2023年1月29日日曜日

若きウェルテルの悩み

 会社のもうすぐ30歳になる若者の悩みを聞いた。これから会社の中核を担っていく若者である。学校を卒業して東京へ出てきたが、将来のことを考え郷里の実家に戻って両親と暮らすべきかと悩んでいるそうである。まだ独身。いずれ結婚したいが、東京で相手を見つければ一緒に郷里に帰って両親と同居してくれないかもしれない。かといって、郷里では相手も仕事も見つからないかもしれない。どうしたら良いのか悶々とした悩みに囚われているようである。

 今一人はもう少し若い若者。同じように郷里を離れて東京で働いているが、実家が経済的に困窮していて援助しなければならない。なけなしの給料からできる限り仕送りをしているが、耐久生活を余儀なくされている。いったい、こういう生活がいつまで続くのか。自分の将来はいったいどうなるのか。このまま両親のためにだけ働いていくのか、自分の人生とはいったいなんなのか。ともに先の見えない長いトンネルに入っているかのようで、どうするべきなのかと悩んでいる。

 そう言えば、自分もちょうど30歳の時に仕事で壁に当たり随分と悩んだものだと思い至った。当時、私は銀行の支店で毎日を忙しく過ごしていた。自分の仕事はきっちりとこなしていたし、それで何か問題があるなどとは夢にも思っていなかった。そんなところに、ある時隣の課の課長から「飲みに行こう」と誘われた。当時、そういう仕事絡みの飲みが嫌だった私は迷わず断ったが、ならばとそのまま別室に連れて行かれた。そこで言われたのは、「お前は何がやりたいんだ」という一言。

 突然、「何がやりたいんだ」と藪から棒に問われても答えられるはずもない。戸惑う私に続け様にいろいろと言われたが、何を言われたのかは頭には残っていない。その時、私はちょうど管理職に昇格するタイミングだったのだが、このままでは昇格できないという内容であった。当時、私が勤務していた支店には同期が3人いて、昇格するのはそのうち1人だけだと言われていた。私以外の2人は外交と呼ばれていた取引先担当で、私は融資担当であった。外交は野球で言えば打撃部門、融資は守備。どうしてもスポットライトは打撃に当たる。私は一番不利な位置にいたのである。

 支店で1人というのも理不尽だと思っていたが、課長に叱責されても私には何をすれば良いのかわからない。日々やらなければならない仕事をこなすだけである。直属の上司も多忙な日々の中、これと言って何をしたら良いのか言ってくれるわけでもない。さらには支店長との面談でも同じように厳しいことを言われたが、では何をすればいいのかと問われるとわからない。漠然と今のままではダメだと言われても、途方に暮れるだけであった。深い悩みの中、翌年の春、同期が先に昇格した。

 社会人になって、最初は闇雲に突っ走る日々でも、56年経つといろいろと迷いが出てくるのかもしれない。同じような悩みではなくても、何らかの苦悩を抱えるものなのかもしれない。今の自分が当時の自分に戻れたのなら、何となく求められていたものがわかるので、行動することはできると思う。自分のことだけでなく、課全体を視野に入れた行動をとればよかったのである。残念ながら、当時の自分にはそんな事はわかるはずもなく、悶々と辛い日々を過ごすだけであった。

 会社の2人の若者の悩みも、私からすれば対応方法は難しいことではない。悩んで解決する問題であれば悩めばいいが、悩んでも解決はしない。なら解決方法を考えるだけである。それは私が第三者でもあるからであり、それなりに人生経験を積んできたからであり、だからこそわかるものなのかもしれない。当時の私にも良き相談相手がいれば良かったと思うが、反発せずに素直に上司や叱責してくれた課長にぶつかっていけばよかったと思う。悩みは1人で抱えていても解決するものではない。

 そう言いながら、私は人に悩みを相談する事はしない。なぜなら、他人に相談しても解決しないと思うからである。解決するくらいなら自分で考えて解決策を導き出せてしまうと思う。それは傲慢なのかもしれない。ただ、自分以上の解決能力を持った人がいるとは思えないのである。それはそうだが、一緒に考えてくれるだけでも気持ちが楽になるというところはあるのではないかと思ったりする。そういう相談相手になりたいとは思うが、残念ながらまだそこまで若き彼らの心を開けていないところがある。

 人生は苦悩に満ちている。誰であれ苦悩から逃れる事はできないと思う。その苦悩の大小はあると思う。私も結局、30歳の時の苦悩を引きずったままその後の銀行員生活を過ごしたし、眠れないほどの失敗をしてしまったこともあったし、自ら招いた苦境から苦悩の日々を過ごしたし、その延長で銀行を辞めたし、思えばそんな苦悩がずっと続いている気がする。ただ、今はそんな苦悩とうまく折り合いをつけて、心が押し潰されない程度には緩和して過ごしていられるだけである。

 あの頃、誰にも助けてもらえなかったが、今多少なりとも経験を積んできた自分が役に立てるなら、悩める彼らの相談相手になれたらいいなと思う。あの頃、自分に欲しかった心の相談相手にである。そうして少しでも役に立てるなら、自分の今の苦悩も少し軽くなるように思うのである・・・

RUANSHUNYIによるPixabayからの画像

【本日の読書】

 




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