2009年4月30日木曜日

時計2

 昨日ご紹介した腕時計の他にももう一つ思い入れのある時計がある。これも10何年か前に知人にもらったスウォッチである。スイスのお土産として、それこそスイスらしいお土産としていただいたものである。

 説明書もついていたのだが、英語でなかったのでいまだに使い方がよくわからない。上部のボタンを押すと軽快なメロディーとともに針がくるくると回る。まるで時間だけ表示していたら飽きるでしょうから、何かやってみせましょうってな感じで芸を披露してくれるみたいなのだ。とっても気に入って、もらって以来職場で使っている。

職場ではたびたび見た人が手に取る。特に女性の場合はかなりの割合で興味を持つ。そのたびにちょっと誇らしい気になるのだ。
   
 ところが先日この時計が止まってしまった。電池切れだと思った。考えてみるともらって10数年、電池交換などした事がない。そんなにもつものだろうかと思っているが、誰かが換えてくれたわけでもないので事実はそうなのである。

 さっそく池袋のスウォッチ店に持って行った。応対してくれた若い女性の店員さん、時計を受け取ってドライバーで蓋を開けようとしたが開かない。「力を入れるとひびが入るかもしれませんが、どうしますか?」と聞いてくる。どうやら万が一の時の責任回避にきたようだ。やり方を聞いたら簡単そうであったので自分でやる事にした。

 相手がゼペット爺さんのような時計職人なら任せたのだが、若いおねえちゃんでは心もとない。たとえ壊れても自らの手でなら諦めもつく。電池だけ購入して帰ってきた。

 やってみると蓋は簡単に開き、交換も問題なくできた。
ところが・・・動かない。
上部のボタンを押してもメロディーも鳴らなければ、針もピクリとも動かない。これは内部の故障だと判断して再び店に持って行った。
   
 若いおねえちゃんが今度は簡単に蓋を開ける。「電圧を測ってみましょう」などと言っている(昨日ここで買った電池だぞ!)その間、国内にはスウォッチの修理工場はないこと、海外だとコストが高くつくことなどの説明をしてくれる。やれやれ、いくらくらいまでならコストをかけようかと算段する。何せこのままお終いにするにはちょっと未練が残る。できる事なら修理したい。

 と、蓋を閉じたおねえちゃんが「直りましたね」と言う。驚いて受け取ると、確かに動いている。上部のボタンを押すと例の軽快なメロディーとともに芸を披露してくれる。死んだように沈黙していたスウォッチは見事に息を吹き返した。

 頼りなさそうなおねえちゃんだと馬鹿にしていたが、この店員凄いと思った。
そうしたらおねえちゃん曰く、「電池が逆さまに入っていました!」
「・・・」
  
 何にせよ無事に職場復帰した我がスウォッチ。ちなみに文字盤を斜めに見ると製造年がわかると教えてもらった。1995年製だとの事。セイコーの腕時計の半分か。それでも時計の本場もメイド・イン・ジャパンに負けていない。
 
 この時計ももらった時の思い出とともに定年まで職場で使いたいと思っている・・・




     

2009年4月29日水曜日

時計1

私はいくつか時計を持っている。
まあ大概の人は少なくとも2~3個は持っているものであろう。私もそうなのであるが、そのうちの一つはもう長く使っているものだ。セイコーの純国産腕時計である。
ちょうど19歳の春、大学の合格祝いとして父親に買ってもらったものだ。だからもうかれこれ26年使っている事になる。

それまでは大して必要性を感じなかったので、これといった時計はもっていなかった。
それを知っていたのか、大学に受かった時に突然父親が「時計を買ってやる」と言ってきたのだ。
もともと自立心が強かったのもあって(何せ高校生になってからこずかいはもらっていなかったのだ)、親に何かをねだるという事もなかったし、親もわざわざこれを買ってやるということもなかった。だから突然父親が「時計を買ってやる」と言ってきた事に少々驚いた事を覚えている。

父親からすれば、浪人したとはいえ息子が無事大学に受かり、(しかも予備校にも通わず学費の安い国立に行ったから随分安上がりだったのだ)少しは何かしてやろうと思ってくれたのかもしれない。あるいは自分が行けなかった(行きたかった)大学なるものに息子が行く事になり、そのことが誇らしかったのかもしれない。

それはともかく、父親と二人で買い物に行く、などという事はそれまでほとんどなかった事であった。買い物というと、ほとんど直感でパッと物を買うタイプである私は、普段あちこち見て回ってから買うなどという事はなかったのであるが、(それは今に至るまで変わっていない)その時ばかりは何件かハシゴした。父親の何か思いのようなものを感じていたためか、中途半端に妥協したものを選びたくはなかったのだ。

そうして何件か回った後で見つけたのが上の腕時計だ。
見た瞬間に気に入ってしまった。
そしてこれが、自分にとって初めてまともに買った腕時計となった。
それをはめて19歳の春、新しい生活を始めたのだ。

以来ずっと私の腕で私と同じ時間を刻んでいる。
その後いくつかの新しい腕時計を手に入れたが、だからといってこの時計を隅に追いやるつもりはさらさらない。逆に使わないとダメになるかもしれないと思い、今でも週に1~2回はつけて出勤している。26年たってもいまだに若いものに遅れる事なく動いているのはさすがメイド・イン・ジャパンだ。

もしも誰か奇特な人がいて、この時計を譲ってくれと言ってきても(100万円までなら)、その場で断る自信がある(それ以上だったらちょっと考える)。
いつまでも、できる事なら定年を迎えるその時まで使い続けたいと思っている。
まだまだ長い人生、これからも私の大切な時を刻み続けてほしいと思うのである・・・

    

2009年4月25日土曜日

やってみること

百聞不如一見、百見不如一考、百考不如一行
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私はけっこう好奇心が強い。
といっても誰でもそうであると思うが、私の場合は興味を持つと取りあえずやってみようと、すぐに行動に移すという意味である。元が面倒くさがりやであるから、あれこれ考えるよりもやってみればわかると思うところもある。

パソコンは随分早くから始めた。これからパソコンが便利らしいとの話を知り、何ができるのかよくわからないまま大枚15万円をはたいて東芝のPCを買った。まだMS-DOSの時代だ。それは結局、何に使えるかよくわからないまま表計算ソフトでこずかい帳を作って終わった。

それからウィンドウズなるものが良いらしいと聞いて、早速買い換えた。ウィンドウズ3.1だ。インターネットというものがあるらしいと聞いて、わけのわからぬまま装備を揃え、やり方を聞きに休みの日に後輩の家に押しかけた。その効果は職場にPCが導入され始めた時にはっきりした。「一日の長」の効果は大であった。

とにかくやってみる。そしてやってみて合わないと判断すれば撤退も早い。
アムウェイもねずみ講ではないかと疑ったが、面白そうなので入ってみた。
リスクは入会金の1万円と割り切って覚悟はした。だが心配をよそに制度自体はきちんと機能しているとわかったし、自分には合わないとわかったのですぐにやめた。1万円もちゃんと戻ってきた。

「喧嘩芸骨法」という古武術にも入門した。
こちらは「喧嘩OK」だったのだ。
しかし、仕事の合間に通うのは難しく、土日はラグビーでつぶれていたため、泣く泣く辞めた。
今でも残念に思う。

ブログなるものが出回った時もすぐに喰いついた。
だが実際にどう活用するかはつかめなかった。
今では古いものだと2年半ほど続けているが、副収入でおこずかいもあったりする。
自分の考えを活字にするのは楽しいし、ブログの記事を見た見知らぬ人からコメントやメールをもらったりというのも面白いものである。
アフイリエイトは実入りもあると期待したが、手間隙がかけられず中断状態だ。

興味を持つのは早いし、やってみるのにもさしたる抵抗はない。ただ問題は手間と時間だ。あらゆることに手を染めるには人生はあまりにも短すぎる。取捨選択がどうしても必要だ。だから興味がそれ以上わかないとわかれば、意識的に早い撤退を心掛けている。

今興味があるものの意識的に避けているものがある。
そんな時間とてもではないが捻出できないからだ。
今以上長い時間PCの前に張り付いていると家庭内で大変な事になる。
今でも「忙しそうね」などと冷ややかな言葉をかけられたりするから尚更だ。

だからmixi参加は涙を堪えて見送っているのである・・・
     

2009年4月24日金曜日

武術を学ぶということは・・・

実は私は格闘技ファンである。
見る方専門であるが、自分でやりたいと思った事も当然ある。
柔道、空手、合気道、と特に日本の武術については、子供の頃にやっておけばよかったなとつくづく思う。タイミングを逃してしまったのだ。
だが、合気道については実は入門一歩手前までいった事がある。

社会人になってしばらくした頃、取引先の社長が合気道の道場を運営している事がわかった。
話を聞いて興味を持ち、いい機会だからやろうと思った。
そして入門を申し入れようとしたその時、その社長が言った一言で興味を失ったのだ。
「喧嘩に使ったら破門ですよ」

そもそも格闘技を学ぶ目的は何なのか?
その社長も言っていたが、「精神の修養」である。異論はない。
では「精神の修養」とは何なのか。
残念ながらその社長にはわかっていなかった。「喧嘩に使ったら破門」などと言う人物がわかっているとはとてもではないが、思えなかったのである。

例えばタクシー待ちの行列に並んでいたとする。
そこへチンピラ風の者が割り込んできた。
誰もが見て見ぬ振りをしようとする中、勇気ある老人が注意した。
頭に来たチンピラが老人に殴りかかろうとしたその時、どうするのか?
止めに入れば間違いなく喧嘩になる。

ここで「喧嘩に使ったら破門だから」と言って見て見ぬ振りをするようであれば、私が道場主であればそれこそ破門だ。先の社長の一律禁止論ではこれに答えられない。
「子供にはそんな判断は無理だから、一律禁止とする」というのも正解ではない。
子供だからこそ、考えさせるのだ。
友達がいじめられていたらどうするのだ、と。

「精神の修養」とは、「感情と技術のコントロール」であると言える。
例えば5歳の子供に喧嘩を売られたとして、まともに相手をする大人がいるだろうか。
適度に相手をして、必要があれば「お灸を据える」かもしれないが、まともに殴る大人はいない。
それは相手の力と自分の力を比較し、絶対勝てるという安心感から心の余裕が生まれ、適度に力を加減して必要最小限の対応ができるからである。
格闘技を学ぶ目的は、この境地に達する事である。

余裕があれば、例え揉めそうになっても謝る余裕ができる。
ライオンに勝てると思えば猫にもなれるのである。
例え喧嘩になっても相手を怪我させない程度に戦意喪失させる事もできる。
どの程度まで力を使えばいいかの判断ができる。
その余裕の境地こそが、格闘技を身につける目的である。

一律喧嘩禁止ではその答えに到達できない。
仮に精神の未熟さから喧嘩をして破門された子供はどうなるのだ。
中途半端なままの力を無制約に振り回す事になる。
中途半端に教えて放り出すのは無責任極まりない。
それがわかっていない。

もしも私が道場主であったなら、道場には次のようなルールを決めるだろう。

1. 格闘技を学ぶ究極の目的は「闘わずして勝つこと」、そこに至るまで各人精進すること
2. 力を使うのは自分、または誰かを守る時のみ、いたずらに喧嘩で使う事は厳禁
3. 力を使った時は報告する事、胸を張って報告できるか、力を使う前に考えよ
4. 力を使う時は本道場の生徒として恥ずかしくない結果を出す事   
                                    
以上


2009年4月21日火曜日

私の地球の歩き方

   
週末、些細な事で妻と口論になった。
子供の机の高さ調節で、いきなり取り掛かろうとした私に対し、説明書を読んでからにしろと妻が文句を言ってきたのだ。
諍いはいつもささいな原因であり、いつも私が戦意喪失して終わる。

その口論の時、ふと学生時代の卒業旅行の事を思い出した。
ラグビー部の同期のKと二人で行ったオーストラリア3週間の旅である。
何事も慎重なKは全行程にわたって計画を立てようとし、すごろく方式の旅を望む私とは事あるごとに衝突した。

「宿は現地についてから探そう」と言う私をこの世のものとは思えないものを見るような眼差しで見つめるK。わかってはいたものの対照的な性格。
議論の末、妥協の産物として日本から予約していく宿は、現地で当日確保が困難であるエアーズロック2泊とあらかじめ旅行会社指定の4泊の合計6泊のみ、あとは現地で選ぶ、ただしその先はあらかじめKが調べて行ったところを優先する、というところでスタートすることになった。

行く先々で宿探しから始める旅、というのも素敵じゃないかと考える私と、もし泊まるところがなかったらどうするのだ、というK。
「そんなの何とでもなるし、なけりゃ野宿したっていいじゃないか」なんて私も言うから大変であった。Kはあらかじめ宿をピックアップしておく事で安心し、私はその場で「今晩泊まれる?」と交渉する楽しみを得られるところでの妥協だった。

二人の主張はお互いの性格の違いだ。
旅行の間中、
「そんな誰かが行ったところを回って、その通りだったと確認する旅が面白いか?」と私が言うと、
「せっかくオーストラリアに行ってつまんない経験しかできなかったらもったいないだろう、確実に楽しめるところに行くのは当然だ!」とKは反論する。
当時は自分の考え方が正しいと信じていたが、今になるとKの気持ちもよくわかる。

それでも4年間苦楽をともにした仲、お互い妥協しあった。
Kがガイドブックから選び出したレストランに二人で行く。
ガイドブックに載っているお勧めメニューを食べて満足するK。
一方そんなKを横目で見つつ、せっかく話しかけるならときれいなウエイトレスさんを探してキョロキョロし、答えを聞いても理解できないのにお勧めメニューを尋ね(結局Kと同じものを食べた)、生バンドには勝手にリクエストし、と私もそれなりに「ガイドブックに載っていない旅」を楽しんだ。

しかし、とうとう最後のケアンズで大喧嘩。
4泊5日のケアンズは別行動を取ることになった。
と言っても、お互い懐が寂しいので泊まる部屋だけは同じにした。
朝起きると口もきかずにそれぞれ出て行く。
最初の日こそ一人寂しく後悔したものの、夜になって部屋での沈黙に耐えかね、ホテルのバーに一人繰り出したところ、現地の旅行者たちと意気投合。
それから毎晩、片言の英語でやり取りをして楽しい夜を過ごした。
トイレで並んで用を足しながら、互いに覗き込んで、それは英語で何と言うのだ、日本語ではどう言うのだ、などと話したのはいい思い出だ。

「俺は砂漠でバーを経営している、お前も来て一緒にやらないか」、とバーの写真を見せられた時は心が動いた。贅沢ではなくても心豊かに生きているオージーたちの生活に溶け込みたいと強く思った。興奮と酔いとで部屋に戻ると、高鼾で寝ているKに対して「どうだ、地球の歩き方に載っている旅は?」と心の中で勝ち誇った。
結果的にケアンズでの滞在は、オーストラリアでもっとも楽しい4日間となった。
旅先に持っていった「地球の歩き方」も結局、新品同様の状態で長く本棚に眠る事になった。

その後互いに別々の人生を歩んでいるKとは、たまにラグビー部の同期の集まりで会っている。
もちろん、今では何のわだかまりもない(たぶん・・・)。
ただあの4日間については、Kが何をして過ごしたのかいまだに知らない。
お互いに自分のしたい旅をしたのであるからそれでいいと思っているし、今ではKを批判する気持ちはサラサラない。

その後、旅行もデートも基本的には「その場でサイコロ」方式だ。
けっこう失敗もしているが、それもあとから振り返ればいい思い出だ。
これからも計画的にきっちりと、とは性格的にできそうもない。
「ガイドブックに載っていない旅」は、これからも妻の逆鱗に触れない程度に続いていくと思うのである・・・
      

2009年4月19日日曜日

球界人の本

 イチローが日本人最多の安打記録を更新した。
それで3,085本というそれまでの最多安打記録も引き合いに出される形で注目されていた。3,085本という数字は言うまでもなく張本勲のものだ。
張本といえば往年の大打者で、私はまだ野球小僧の時代だったが、晩年の巨人時代の記憶がわずかに残っている。

 しかし今年に入ってから、ちょうど氏の「最強打撃力」という本を読んだところだったから、張本氏の言動に自然と注目してしまった。
イチローもいろいろとその考えが広まっていて、それはそれでとても凄いが、この本を読むと張本氏の努力もまた凄い。

 貧しい生活の中から、とにかく生活のために必死に這い上がろうとする。
しかも、右手の指が曲がっているという左バッターとしては致命的なハンディを抱えながら、である。後年、野球の神様川上哲治氏だけにずっと隠してきた右手を見せたところ、「よくぞこの手で・・・」と神様も言葉を失ったらしい。

 毎晩の素振りを欠かした事がなかったという不断の努力に裏付けられた打撃論は、野球に興味がなくても面白く、かつその生き様には心をうたれるものがある。
3,085本というこれまでずっと破られる事のなかった記録は、それなりの理由があったのだ。
その3,085本を抜いたのだから、やっぱりイチローは凄いのだろう。

 張本氏以外でも野球選手の本は結構読んでいるのだが、一流選手のものはそれなりに示唆に富むものが多い。特に最近のお気に入りはノムさんの本だ。
『野村ノート』『野村再生工場』など多数あるが、野球以外にも読みどころは多い。
とかく氏自身の暗いイメージと奥さんに対する悪いイメージがあって、長島に反発的なところからも私はずっと好きではなかったのだが、本を読んでイメージが180度変わってしまった。

 野球を愛し、やっぱり貧しさから母親のため、自分を高校に行かせるために大学進学を諦めてくれた兄のためにと、頑張ってきた青年時代のエピソードは胸を打つものがある。
江夏、山内、山崎などの選手を再生させてきた手腕は、現役時代の努力と勉強の賜物だったのである。

 今年は楽天も出足好調であるが、この頃すっかり応援するようになってしまった。
一流のプロにはどの道にも通じる一流のものがある。
そんな事を感じさせる野球人の本である。
         

2009年4月17日金曜日

行列

この15日、東京ディズニーランドの新アトラクション"モンスターズ・インク"に最長5時間半待ちの長蛇の列ができたとニュースでやっていた。
本当に5時間半並んだというのなら、大したものである。
私だったら「また今度にしよう」と言って諦めるところだ。

もともと並ぶのは好きなほうではない、というか好きな人はいないだろう。
耐えられるか否かといった方が正確だ。
学生時代は学食で昼時に長蛇の列が出来ていたが、(並んだとしても10分くらいだったと思うのだが)私は並んだ事がなかった。並ぶのが嫌だったからいつも割り込みをしていたものだ。どんな時でも30秒以上並んだ事はなかった。今思えばとんでもない奴だ。
でも言い訳ではないが、もしも勇気を持って注意してくる奴がいたらいつでも最後尾に並ぶ覚悟はできていたのだ。ただそんな骨のあるやつは、ついに4年間お目にかからなかったのである。

それはともかく、みんな行列にはどのくらい辛抱できるのだろう。
東日本高速道路関東支社が全国の20代から50代の男女を対象にしたアンケート調査で、「並んででも欲しい商品を購入するために何分程度なら並ぶか」をたずねたところ、20代の平均待ち時間が69分であったのに対し、50代の平均は29分と20代の半分以下だったそうだ。しかも50代の27%は「並ばない」と回答しているらしい。人気の飲食店で順番を待つ時間に関して同様の結果で、20代が29分だったのに対し、50代は18分。50代の4人に1人は「並ばない」と回答したらしい。なんとなくおじさんたちの気持ちはよくわかる。

私は今では結構並ぶクチだ。
大阪では行列が並んでいない店はうまくないと言われ、行列の長さがうまさのバロメーターになっている。並びたくない、などと言っていると美味しいものにはありつけない。さすがに社会人にもなると割り込みというわけにもいかないから大人しく並んでいるのだが、いつの間にか慣れてしまった。以前、大勝軒というラーメン店では50分待ったこともある。「並んだ甲斐」があるなら、並ぶのも悪くないと思えるようになったのだ。

と言っても本性は変わらないから、並ばなくても良い方法があれば常にその努力はする。
社会人になってお盆に夏休みを取った事がない、というのも混雑を避けるためだ。
だが、人気のラーメン店やディズニーランドなんかはそうもいかない。
腹を括って並ぶのだ。
並んだだけの対価が得られればそれで満足だ。

そんな明日、我が家はディズニーランドへ行く。
混むだろうな・・・
家族が効率良く遊ぶため、並ぶのはいつもパパの役目だ。
文庫本は忘れないようにしないといけない。

並んだ対価は、と言えば子供たちの笑顔なのである・・・



     
    

2009年4月15日水曜日

日本語入力

   
先日職場の同僚と飲みに行った時のことだ。
ふとしたきっかけで、パソコンの入力方法について話題になった。
その場にいた8人のうち、実に6人が「日本語入力」派であった。
その結果に一堂大いに驚いた。

私はずっと「日本語入力」で通している。
だが、世の中の主流は圧倒的に「ローマ字入力」だ。
「日本語入力」だと言うと大抵驚かれる。
もうすっかり慣れてしまったが、私はずっと自分が少数派であると思ってきた。
だから6/8という数字に驚きまくったのである。

どちらがいいのか、優れているのか、という議論をここでするつもりはない。
「やりやすいのが一番」だからであって、それは「人それぞれだから」、である。
ただ、普段使いもしない「ローマ字入力」をパソコンの時だけ使うのも何か違和感がある。
それに「英語入力」をするときに、圧倒的に紛らわしい。
そんな二つの理由から私は「日本語入力」に徹しているのである。

というと何やら英語ができそうに聞えるかもしれないが、そうではない。
できないからこそ、なのである。
以前外資系の人と机を並べて仕事をしていた事がある。その時、彼に英語とローマ字とでごっちゃにならないか聞いてみた。例えば「チェンジ」は英語だとCHANGEであるが、ローマ字だとCHENNJIでる。
ファックスはFAXで慣れているが、FAKKUSUと打つのはどうにもへんだ。
帰国子女で英語ペラペラの彼は何の苦もなく使い分けていたが、慣れない私は時間がかかってしかたない。それで「日本語は日本語入力で」、で通してきたのだ。

日本語入力だと、頭の中でアルファベットの組み合わせを考える時間がかからず、スムーズに入力できる。その効果はかつて英文でメール文通していた時に確信した。
(相手は海外在住で現地の人と結婚した日本人女性だったのだが・・・)

アルファベットは英語、日本語は日本語と分けておくと頭の中のワープロもしっくりいく。
これから英語はやっぱり機会をみつけてもっと磨きたいし、そのためにもローマ字入力でへんな癖をつけたくないと考えている。
我が職場で主流派になったから、というわけではないが、自分スタイルとしてこれからも堂々と貫き通したいと考えているのである・・・




2009年4月13日月曜日

留学その2

我が母校の財団が運営する海外派遣制度。
縁あってその派遣審査員に任命され、昨日行ってきた。
応募者は新一年生、在校生、卒業生(大学生)からなる総勢75名。
審査員6名が、それぞれ持ち点を持って一人一人を採点していく。
新一年生など入学式から一週間も経っておらず、湯気が出ている状態だ。
そしてみんなガチガチに緊張している。

質問は3問。
志望動機、自己PR、最近印象に残った事。
ポイントは、態度(挨拶、笑顔、好感度等)、表現(自分の言いたい事が伝わってくるか、取ってつけた他人の言葉でないか、言葉がはっきりと聞き取れるか)、論理(筋道が通っているか)である。
とは言え、大半は印象でかなりの割合が決まってくる。

やっぱり我が母校を代表してイギリスに行くわけで、イギリスに行けば「日本人ってこうなんだ」と思われるわけである。何よりも好感度が高い子の方が採点は甘くなる。どうせ言葉は十分に伝わらないのだ。せめて笑顔と一生懸命さで心が相手に伝わりそうな子の方が好ましく思うからだ。自分なりの基準を作って行ったが、なかなかどうして審査は難しい。
緊張で顔が引きつっている子、言葉が震えている子にマイナス点はつけられない。
結局、どの子にもマイナス点はつけられなかった。

審査員の合計点で順番に並べてみると、トップ10のうち実に9人が女の子。
笑顔でハキハキとしている子が上位に並んだ。
「何でも親にしてもらってばかりいるので、一人で親のいないところで頑張ってみたい」などと言う子には二重丸をつけてしまった。唯一の黒1点は、2年生の男の子。去年落ちたリベンジ派で、さすがに2年生ともなるとしっかりしていたが、男の子は総じてハンディをつけようかと思ったくらい評価は女の子より低かった。

上から順番に選んでいって、最後に同点数で並んだ5人から4人を選ぶことになった。
その中の男の子一人は、「男女調整のため」無条件で合格。
残り4人で審査員であれこれと悩んだ。
「この制度があるために入学を希望した」とあれば心情的に落としにくい。
「得意の書道を教えたい」とあれば文化交流的に入れたい。
結局、最後の決め手は一人が遅刻してきた点であった。飛行機に乗り遅れたら笑い事ではない。何より意欲があれば遅れる事はありえない。やっぱりこういう基本は大事だ。

落ちた子は残念だったと思うし、心情的にはみんな合格にしたいところだ。
これに懲りずまた来年チャレンジしてほしいものである。
合格した子たちは夏休みにイギリスへと向う。
きっと忘れられない経験をしてくるのだろうと思うと羨ましいかぎりである。
審査員としても良い経験のできた一日であった・・・


~蛇足~
申し込み書を見ていて興味を惹かれたのは、メールアドレスと趣味だ。
わけのわからないアドレスは何か意味があるのか、迷惑メール対策なのか?
○○p--q@○○・・・なんかは顔文字みたいだったし・・・
趣味「テレビ観賞」って何だそれは!
特技「バイト」ってどんなバイトだ!
それに「ゲーム」に「漫画」!?
確かに今や日本の文化だからなぁ・・・ 
    

2009年4月11日土曜日

留学

我らが出身高校には、卒業生の運営する財団がある。
そしてその活動の一つに、海外派遣というものがある。
イギリスまたはドイツに、夏休みの間3週間程度の短期語学留学する制度である。
対象は現役の母校生徒、一定年齢の卒業生及びその親族である。
研修制度もあり、費用も格安とあってこれを目当てに入学してくる生徒もいる。
我々の現役の時には、残念ながらなかった制度である。

その派遣にあたっての選考会に、縁があって面接官として参加させていただくことになった。
(今回はイギリス留学である)
例によって簡単に引き受けはしたものの、総勢77名の面接はけっこう大変である。
選ばれるのは36名。
派遣コースによって違いはあるが、競争率は最も高いところで3倍である。

みんな行かせてあげたいがそうもいかない。
となると選ぶのも大変だ。
選ばれなかった人の気持ちを考えると責任感も重い。
というわけで、事前に頂いた申し込み書類を一枚一枚読んでいる。
申し込み書類を読んでいて気付いたのは、「女高男低」とでもいうべき流れ。
同じ審査委員の一人は、「いつからうちは女子高になったんだって思うよ」とぼやいていた。
時代の流れか女の子の積極性が噂通り目に付く。

申込者の割合は女:男=2:1。
志望動機を読んでいて、「これは行かせたいな」と思う内容も女の子が多い。
募集動機に将来の夢や向こうに行って何がしたいか、きちんと書いてあったりするのは女の子が多い。中には「親に費用負担をかけたくないから自分でお金を溜めているが、少しでも安く行きたいから応募した」なんて書いてあった大学生の女の子などは、これだけで合格にしたいところだ。

CAになりたい、国際関係の仕事がしたい、通訳になりたい(だからその足がかりにしたい)、歴史ある建築物を見たい、剣道を通して日本のよさを英語で伝えたい、そんな言葉が並んでいるのをみると、なかなかどうしてしっかりしている。
「みんなまとめて行ってこい!」といいたくなる。

男の子も全滅というわけではないが、女の子の勢いに押されている感は否めない。
と言っても、我が身を振り返ると今の男の子を責める事はできない。
現役の時にこんなにしっかりとした考え方を持っていただろうか、と自問するとお恥ずかしい限りである。

とはいえいい機会をいただいた。
明日はどんな面接になるのか、とっても楽しみである・・・



2009年4月9日木曜日

選択の人生

   
『ひさかたの 光りのどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ』

桜のまぶしい季節。
朝、ちょっとだけ遠回りして駅に向っている。
そのちょっとの先に桜の木があるからだ。
遠くで見るのと下を歩くのとはまた違う。
今日見た時は少し緑の葉が目に付くようになっていた。
今年も桜を楽しめるのはあと少しだ。

毎日毎日我々は知らず知らずのうちに「選択」をしている。
朝、目覚まし代わりに使っている携帯のアラームが鳴る。
最初に鳴るのは「ジェームス・ボンドのテーマ」だ。
巨大な陰謀がうごめいているかもしれない時に寝ていていいのか、という気になるかなと思ってセットしているが、ここで起きるかもう少し寝るか、との選択で一日が始まる。
(もう少し寝る、を選ぶと次は「ロッキーのテーマ」、その次は「スターウォーズ」。「スターウォーズ」のあとはない、それは恐ろしい事態を意味する)

いつもの電車に微妙に間に合わなさそうな時、急ぐか見送るか。(大抵は見送るのだ)
新聞を開いてどの記事から読むか。そんなささやかな選択から始って、ランチタイムに何を食べるか(幸いな事に行員食堂は悲しいほど選択肢が少ないので、あれこれ悩まなくてすんでいる)、何の本を読もうか、今月はどの映画を観ようか、などというものまで様々である。
そうした数々の選択の結果が今の自分なのである。

こういう選択は失敗しても大した事はないが、車や住宅などの大きな買い物や、学校選びだとか就職とか、結婚などの人生を左右するような選択は失敗するとけっこう致命的だ。
やり直すとなるとかなりの時間・費用・エネルギーを消費するし、精神的なダメージも大きい。

私は物事をとにかく楽観的に考えるようにしている。
なので失敗した、と思ってもそれもまた人生と割り切るようにしている。
無理やりにでもそう思うようにしている。

二つに分かれた道。
もし選ばなかった方に行っていたら、たぶん違う人生だったのであろう。
でもそっちに行っても結局別の問題で後悔していたに違いない、だから同じなのだ、と無理に自分に言い聞かせている。今の選択が本当に失敗だったかどうかは、時間が経ってみないとわからない。そして時間はいつもそれなりの結末を描いてくれるのだ。

無理にでも楽観的に考えるようにしていないと、「あの時もしも・・・」と考えるといても立ってもいられなくなる。今更嘆いてもどうしようもない事を嘆いて時間を浪費しても仕方がない。
だけど、嘆きたくなるような人生の選択の大きな失敗が、私にはある。

もしも道を歩いていて偶然魔法のランプを拾ったら、そしてその中から出てきた頭にターバンを巻いた魔人に「何か一つだけ願いをかなえてやろう」と言われたら、「もう一度あの時に戻って人生をやり直したい」という瞬間が私にはあるのだ。だが、そんなランプはやっぱり落ちていないし、「人生上を向いて歩こう」という主義の私だから、落ちていても気付かないかもしれない。

だからやっぱり過ぎてしまった選択よりも、これからの選択に目を向けたいと思う。
どんな結果であれ、自分で選んだのである。

「冬があり夏があり 昼と夜があり 晴れた日と雨の日があって ひとつの花が咲くように 悲しみも苦しみもあって 私が私になってゆく(星野富弘)」

くよくよせずに次に進んで行こうといつも自分で自分を励ますのである・・・




2009年4月7日火曜日

オヤジの背中

   
花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。
 雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛知らぬも、なほ、あはれに情深し。
       徒然草  第百三十七段

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 桜も満開のこの季節。
学校の新学期も始った。
待ち焦がれた満開の桜であるが、これから散るばかり。
風に舞う桜の花びらほど風情のあるものはなく、桜吹雪ともなれば圧巻だ。
咲くのを待つも良し、満開を見るのも良し、そして散りゆく様を見るのもまた良し、である。

 ところで、ランドセルなどの合成皮革を手がけるクラレが新入学の児童を対象に「将来なりたい職業」を聞いたアンケート調査を目にした。
男の子は「スポーツ選手」、女の子は「お菓子屋さん」が不動の1位となったようである。

 <男の子>            <女の子>
  1位 スポーツ選手   (1)        1位 お菓子屋    (1)
  2位 職人          (5)     2位 花屋      (2)
  3位 警察官      (4)     3位 芸能人     (3)
  4位 運転士      (3)     4位 教員      (5)
  5位 消防士      (2)     5位 看護師     (4)(  )は前年順位

 ちなみに、親が男の子に就かせたい職業は、17年連続で「公務員」が首位だったのに、今年はなんと子供の夢と同じ「スポーツ選手」。また、親が女の子に就かせたい職業では、「お菓子屋さん」が前年の9位から1位に躍進。どうやら今年は親子の意見が一致したらしい。
 
 驚きなのは、これまで不動の1位だった公務員が後退した事だ。
この不況下では、公務員に対しては嫌味をいいつつも、「我が子は公務員」と思うのだと思っていたら違うようだ。そう言えば、私もその昔「公務員になったら」と親に言われた事がある。その時は歴史が好きだったから、「歴史学者になりたい!」と言ったのだが、母親に「よしなさい、食べていけないわよ!」と言われてしまった。純真な子供の夢に向ってなんて事を言う親だと、今でもたまに母親をからかう。
 
 ただ、逆に親の立場ともなると複雑だ。
今のうちはどんな職業でも笑って、「そうか、そうか」と言っていられるが、本当にその職業に就くとなったら正直悩ましい。スポーツ選手はいいとして、2位~5位だとついつい年収はどうなのだろうと考えてしまう。
 
 そういえば、流行りのキッザニアに行った時も、子供たちの人気は制服系の職業だった。知的労働系などは閑古鳥だった。世知辛い話だが、やっぱりついつい考えてしまう。
ガソリンスタンドで楽しそうに働く我が子に向って、「せいぜい学生時代のアルバイトに留めてくれよ」と心の中で語りかけたものである。翻って自分はどうかと言えば、まあ仕事の内容も大変であるが、それなりに楽しんでいる。少なくとも「嫌々ながらやっている」という事はない。
 
 以前よく「自分の仕事は子供には継がせたくない」というセリフをあちこちで聞いた。
大変なのだろうが、そんな親父の働く姿こそ子供には見せたくないものだ。やっぱり仕事自体もさることながら、どんな仕事であれ、中味よりも仕事との関わり方こそ重要だ。
嫌だ嫌だと思って働く親にはなりたくない。どんな仕事にも共通する「働き方」はあるはずで、それだけはしっかりと背中で語れるようになりたいと思うのである・・・
    

2009年4月6日月曜日

関西弁

    
我が家の公用語は、標準語と関西弁である。
しかし飛び交う頻度から言えば、圧倒的に関西弁である。
何せ母と娘という家の中の会話の大半を占める二人が関西弁だから、当然と言えば当然なのである。
言葉の点だけから言えば、我が家は東京の中の関西、かつての東ドイツにおける西ベルリンのようだと言える。

そんな関西弁であるが、自然と喋れるようになるかと言えばそうでもない。
逆もまた真なりで、妻もよく初対面の人に「関西の人?」と言われるそうである。
(「標準語しゃべってるのになんでやろ?」とよくぼやいている)
表面上は関西弁の単語を使ったり、「そやねん」とか「ほんま」とか言ってみたりして関西弁を使う事はできることはできる。ただ関東人が圧倒的に真似できないのが、おそらくはそのリズムだ。平たく言えば会話の中でのボケとツッコミである。

テンポ良く交わされる会話には必ずボケとツッコミが入る。
それが会話のリズムとなって活き活きとしたやり取りになるのだ。
私はよくそれで妻から、「ここっていう時につっこんでくれないからストレスやわ」と言われる。
私からすれば、「なんで夫婦でつっこみ漫才やらなあかんのや、ボケ!」と言いたいところだし、実際そう言えばたぶんいいのだろうが、「もしも本気で怒らせたら」と思うとそのセリフを吐く勇気はない。難しいところだ。せめて心の中でちゃぶ台をひっくり返すのがせいぜだ。

私自身は無口な父親の性格をかなり引き継いでおり、もともと言葉数が多いほうではない。
だから新婚当初は大阪の実家へ行った折、「真面目で堅物で面白みのない銀行員」という目で見られぬよう、都会の洗練されたジョークで対抗しようと勇んで乗り込んでいったものである。
ところが目の前で展開される母娘3人の会話のストロークにまるでついて行けず、私は貝になってしまった(考えてみればその会話がたとえ標準語であったとしても、それについていけたかどうかは疑問ではあるのだが・・・)。

唯一の救いは北海道生まれで関西弁をしゃべれないお義父さんだ。
性格的にはかなり明るくて、時折勇敢にも母娘の会話に割って入り、大ボケをかますのだ。
一瞬のうちに母娘の会話を断ち切ってしまうのはさすがなのである(本当に一瞬だけなのであるが・・・)。ただ、すぐに再開された会話からはじき出されてしまう。そんな義父の遠くを見つめる眼差しに数十年後の自分を重ねてしまい、思わず優しく接してあげたくなるのだ。

一方同じ環境下ながら、4歳の長男はバリバリの標準語だ。
大阪では近所の同世代の子供に、「あの子、あんなにちっちゃいのに標準語しゃべってる!」と感動されたそうだ。次代の標準語のホープとして大いに期待しているところである。

何せ回りは標準語なのだ。
やがて娘も年頃になれば、しとやかな標準語をしゃべるようになるのではないか、そしていつの日か我が家にもベルリンの壁が崩壊する日がくるのではないか、と儚い望みを抱いていたりするのである・・・
    

2009年4月4日土曜日

君が代

「世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」      
在原業平

【「君が代で起立」職務命令は合憲】という記事を少し前に目にした。私は幸いなことに経験した事はないが、卒業式などで君が代に抵抗して起立しないなどの抗議をしている教師の話をよく耳にする。「教師が」というところに信じ難い思いがしていた。

判決では卒業式典で国旗に向って起立し、国歌斉唱を命じた都教委の通達と、これに基づく校長の職務命令について合憲である、としたものである。極めて当たり前すぎる判決なのであるが、個人的に驚いたのは、訴えていたのが都立高校の教職員172名だという事だ。「一部の変わり者」だけかと思っていたが、そんなにいたのか、と。

もっとも都立高校は200校あるらしいので、1校あたり教職員50人くらいとしても10,000人だから、そう考えると「一部の変わり者」なのかもしれない。この変わり者たちはいったい何を考えているのか、一度話を聞いてみたいものだと逆に興味深い。

国旗・国歌問題では板ばさみに苦しんだ校長先生が自殺するという事件があって、だからこそわざわざ(当たり前すぎて)くだらない通達など出さざるを得ないのであるが、誠に嘆かわしい。
我々は否応なく日本という国の中で、同じ文化・ルールの中で暮らしている。
ある程度の一体感は必要であり、同じ旗の下で同じ歌を歌う事はむしろ必要なことだ。
本来それは通達などで強制されるものではなく(この点では彼らと同意見だ)、自主的にすべきことなのだ。

たぶん、であるが自分たちは戦争反対の平和主義者で、二度と戦争という過ちを起こさないために、二度と国家によって統制されないために、日の丸に向って全員が起立したり、全員で「君(=天皇)が代」を歌ったりということに反対するのだ、という陶酔の中での行動なのだろう。それで平和が達成できると考えるおめでたい人達だ。

こういう人達は、オリンピックの表彰台で君が代とともに掲げられる日の丸を苦々しく見ているのだろう。サッカーのワールドカップでは、ドイツのスタジアムで君が代が流れ、若い人達もみな起立して歌っていたらしいが、先の教職員たちはみな「今の若者達は」と顔をしかめていたのだろう。

「私たちは平和主義者」、そういう人達に限って歴史をきちんと学んでなく、したがって戦争の原因すら正確に理解していなかったりするのである。原因がきちんとわかっていないから、君が代を歌わなかったり、国旗に敬意を払わなければ国に統制されて再び戦場に駆り出されることもない、と純粋に信じているのだろう。純粋なる無知ほど手に負えないものはない。

幸いなことに我が子が通う小学校にはこういうおかしな輩はいないようである。
教育の現場だけに、素直に言うことを聞きやすい子供たちの先生というだけに、こういう輩にあたってしまったらと考えると危機感を覚える。
172/10,000。
この数字が自然と静かに消えていってほしいと切に願う次第である・・・
   
   

2009年4月3日金曜日

究極のメニュー

かつて「美味しんぼ」という漫画が一世を風靡した。
「究極のメニュー」VS「至高のメニュー」という対立で、毎回極上の料理が紹介されていた。
そんな漫画を熱心に見ていたわけではないが(漫画好きの私でも趣味ではなかったのだ)、いつの間にやらヒントを得て自分流の「究極のメニュー」探しをするようになった。

といっても、どこぞのレストランの有名シェフの手による究極の一品などというような、極上の一品というものとは程遠いものである。
「もしも明日が人生最後の一日だとしたら、3食何を食べたいか」というごく庶民的なテーマだ。

朝食は既に決まった。炊き立ての白いご飯、アジの開き、焼き海苔、豆腐と油揚げの味噌汁、しらす干しに梅干、そして緑茶だ。それぞれどこの産地のものとまではまだ決めていない。けれどもやっぱり人生最後の朝食のメニューとしてはこれが一番だ。

ランチがまだ迷っている。
筆頭候補としてはラーメン+おにぎりなのだ。
ラーメン好きの私としてはやっぱりラーメンは外したくない。
ただ醤油、味噌、とんこつとどれにしようかはまだ迷うところだ。
おにぎりも外せない。
何せ小さい頃「おむすびころりん」の話を聞いて、ねずみの穴におむすびを落としてしまったおじいさんに同情した上に、「自分だったら追加で穴におむすびを入れるなんて絶対しない」と、子供心にすでに思っていたほどの筋金入りのおにぎり好きを自負しているくらいだ。

次点候補としてはカツ丼だ。
数ある丼モノのなかでもカツ丼は大好きだ。
(あんまりおいしいところはないのであるが・・・)
半ラーメンにおにぎり(ネタはこれまた迷うところだ)に半カツ丼なんて言ったら欲張りすぎであろうか・・・

最後の晩餐はまだ思案中だ。
日本人だから寿司もいいなと思うし、ステーキ類もいい。
隣町にたまに食べに行くカレーとナンのインド料理もおいしいし、イタリアンも好きだ。
アルコールもちょっとぐらいつけたいところだが、それは料理によって決まるだろう。
決めかねたらバイキングという手もあるもしれない。
機会を見つけてはあれもいいな、これもいいなと決めかねている。

いずれにしてもまだまだ人生は長いからゆっくりと決めたいと思っている。
決めたは良いが食べられない、という状態にだけはならないように、やっぱり健康には留意しようと思うのである・・・