2019年1月31日木曜日

『ラブ・ネバー・ダイ』観劇雑感

ミュージカル『ラブ・ネバー・ダイ』を観てきた。基本的に私は映画好きであり、昨年だけでも年間176本の映画を観ているが、その一方でミュージカルも結構好きであり、折に触れ観に行っている。今回は久しぶりに、そしてあの『オペラ座の怪人』の続編ということで、かなり期待しての観劇であった。

観終わった感想としては、残念ながら少々「期待値に及ばず」というものであった。まぁもともと期待値が高すぎたのかもしれないが、その期待値を大いに挙げたのは、前作がストーリーも、そして音楽も非常に素晴らしかったというところがある。才能はあるものの醜い容姿から仮面を被って人前に出ることを憚っていた怪人が、美しき歌姫に恋するという悲恋もの。醜い男の悲しい恋と、心揺さぶられる音楽とが見事にブレンドされた傑作であった。

『ラブ・ネバー・ダイ』は、その10年後という設定であったが、どうにもその10年間の断絶に、前作との違和感が拭えないストーリーなのであった。その最大のものはストーリーの連続性。前作では心を動かされたものの、ヒロインのクリスティーヌは結局ラウルという子爵を選び、怪人は傷心のまま姿を消していた。しかし、本作ではいつの間にか怪人とクリスティーヌとは、10年前に結ばれていたということになっていた。ラウル子爵はギャンブルに溺れ、借金苦を抱えたダメ男になりさがり、そこに「かつての恋」が再燃するというもの。「そうだったっけ」という違和感がずっとついて回ったのである。

醜い男と美しい女という組み合わせの物語は、『美女と野獣』を筆頭に数多いが、よくあるパターンは「醜くても心は錦」という男の姿。そしてそれに気がつく女の美しい心。だから『美女と野獣』では、最後に呪いが解けてイケメン王子に戻ってハッピーエンドというものだった。おとぎ話ならそれでいいが、現実的にはイケメンになることはない。しかも、ここに登場する怪人は脅したりするのも平気で、どうも「心がきれい」とはいい難い。それはともかくとして、前作との断絶がどうしても違和感としては拭えない。

さらに、ミュージカルであるから、ストーリーに多少難があったとしても、音楽がそれをカバーできるということもあるが、今回は音楽面でも期待値に及ばなかったと個人的には感じたのである。前作は、劇中で歌われる歌も流れる音楽も「何度も聞きたい」と思わされるもの。迷わずCDも購入して聞き込んだが、今回は怪人がクリスティーヌにたった1曲だけ歌わせようとした歌も、それほどでもなかったのである(ダメだったというわけではなく、多分期待値が高すぎただけだろうと思う)。

映画であれば、ストーリーに難があればそれまでだが、ミュージカルはそれだけではない。実際に目の前で演じる役者たちの演技や、舞台袖のオーケストラが奏でる音楽。そして様々に変化する舞台装置との動きが相まって、それは見事な舞台であった。映画であれば場面転換など問題ないが、ミュージカルは一つの舞台で、時に港、時に劇場の部屋、さらに舞台裏や海岸、夢の中まで様々表さないといけない。照明や大道具や舞台装置など、役者の演技と音楽とに合わせた動きは、舞台装置担当者もかなり大変なのではないかと想像させられる。

目の前で一体として展開される舞台は、見入っているうちに別世界へと連れて行ってくれる。これが生の舞台の迫力だと思う。映画の5倍の料金も頷けるというものである。いつもはしつこいくらいに繰り返されるカーテンコールがあっさりしたものだったのは、出演者に子供がいた(子供とは思えない演技力だった)ことが関係しているのかもしれない(終演時間は9時ギリギリだった)。これはこれで個人的にはありがたかった。

 全体としては、期待値には及ばなかったものの、料金に見合う楽しいひと時であったのは確か。次はまた別の作品にしようか、それとも一度観た作品をそろそろもう一度観てみるか。いずれにしてもまた次回を楽しみにしたいと思うのである・・・




【本日の読書】
 

 


2019年1月27日日曜日

成人誌

セブンとローソン、成人誌の販売中止へ 8月末までに
朝日新聞DEGITAL2019121
 コンビニエンスストア大手のセブン―イレブン・ジャパンとローソンは21日、国内の全店での成人向け雑誌の販売を8月末までに原則中止することを明らかにした。女性や子ども、訪日外国人客らに配慮する。日本の多くのコンビニの店頭から成人誌が消えることになりそうだ。
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職場では昼のランチは主にコンビニ弁当である。ゆえに、コンビニ(主としてセブンイレブン)には多い時で週5回通っている。行けば弁当コーナーにまっしぐらなのであまり意識していないが、多分いつも行く店舗にも成人誌が置いてあるように思う。「あるように思う」という自信のない表現は、あまりしっかりと見た記憶がないからである。雑誌の類はチラ見しているが、成人誌には見向きもしないので、記憶の片隅に残っていないのである。

「成人誌には見向きもしない」というと、何やらカッコつけているように思われるかもしれないが、事実である。その理由は2つ。1つはもちろん興味がないわけではないが、「人前でそうしたものを眺めているところを見られたくない」という羞恥心というかプライド。やっぱりどう見てもカッコ悪いだろう。もう1つは、そうしたものを見たければ、今やネットでもっと過激なものをいくらでも見られるからである。わざわざ人前で、「規制のかかった中途半端なもの」を見るメリットはカケラもないのである。

なので今回、セブン-イレブン・ジャパン、ファミリーマート、ローソンが成人誌の販売を今年8月をめどにやめると発表したニュースは意外な気がしたものである。なぜ成人誌の販売をやめるかというと、訪日外国人客の増加や女性客、子供などに配慮したとのこと。これはつまり、「イヤイヤながら」「仕方なく」やめるということである。日常的に商品の入れ替えは行われているだろうし、いちいち発表などしないだろう。それを発表するということは、アナウンス効果も狙っているわけである。販売に対する批判への回答ということだろう。「仕方なく」やめるということは、つまり「売れている」ということなのだろう。

 事実、成人誌はコンビニ店にとっては重要商品らしい。それはまず単価が高く(コンビニで売られている成人誌は1,000円にのぼることも多いらしい)、さらに「ついで買い」も誘発するらしい。要は買う人もさすがにそれだけ買うのも気まずいのか、新聞やジュースなどと一緒に買うようである。思わず「へぇぇ」である。では一体どんな人が買っているのだろうか。それは多分、インターネットをほとんど利用しない人なのではないかと想像する。なぜなら、今やちょっと検索すれば、1冊の雑誌以上に見きれないくらいの情報が手に入るからである。
 
 インターネットを利用しない男性像といったら、おそらく年配の肉体労働系かと想像してしまう。仕事帰りにビールとツマミと合わせて買って行く姿が想像できる。それにしても、そういう人は8月以降どうするのだろうか。本屋で買うとなれば、町の本屋さんはありがたいかもしれない。ただ、「ついで買い」によるごまかしが効かないので、買いにくいかもしれない。羞恥心を紛らわせるといえば自販機だが、最近あまり見かけないが、それがよもや復権するのだろうか。

自販機と言えば、その昔、昼間は光の加減で見えないが、夜になると中身が見られる自販機があった。かくいう私も高校生の頃、酔った勢いで友達と一緒に買った記憶がある。今はほとんど見かけないが、コンビニでの取り扱いが増えて減ったのか、近所からの苦情なのかはわからないが、それが復権するというのもありえなさそうである。手っ取り早いのはAmazonだが、そもそもネットを使わないおじさんたちには論外だ。となると、もう肉体系労働者(と勝手に想像している)のおじさんたちは成人誌を買えなくなってしまうのかもしれない。

考えて見ると、成人誌というのは買うのも恥ずかしいし、持っているのを見られるのも恥ずかしい。私もかつては「保管」に苦労した口である。弟は母親にバレて怒られていたが、私は一度としてそんなヘマはしなかった。だが、買うのには苦労した。ネットではその「買う」苦労も「保管する」苦労も不要である。若者はスマホを持っているのが当たり前であるだろうから、そうすると成人誌も遅かれ早かれ廃れていく運命にあるのかもしれない。

その昔、成人誌は少年にとって禁断の入り口にあるものだった。見てみたくてもなかなか見ることができないシロモノであった。本屋でその手のコーナーを通りすがりにチラ見するのが精一杯であった。ある時、親戚の家にあった成人誌を従兄弟と2人でドキドキしながら読んだ記憶がある。登場人物の名前の読み方がわからなくて2人で頭をひねりながら見ていたのは、遠い日の懐かしい記憶である。今から思うと大した「情報量」ではなかったが、それでも少年の目には禁断の書物の甘みがあったものである。

 考えてみれば、そういう雑誌を見なくなって随分久しい。一度読んでみたいと思わなくもないが、いつも行っているコンビニでそれを買う勇気はない。そう考えて見ると、今でも成人誌は近くて遠い存在なのかもしれないと思うのである・・・




【今週の読書】