2019年1月13日日曜日

子供はどう育つのだろうか

子供を持つ親なら、将来我が子がどんな大人になってほしいかということは、漠然とであっても思うものだろうと思う。そして、我が子に必要とあれば、できる限りのことをしてあげたいとも。そこに問題があるとしたら、「そのために何をすれば良いのかがわからない」ということだろうと思う。ほとんどの親は(熱心であればあるほど)、その答えを「教育」に求め、そのために手っ取り早く「塾に行かせる」ということにたどり着くのだと思う。

教育は大事だと思うが、私はそれよりももっと根本的なことを考えている。それはいかに「自立した大人たりえるか」ということである。一流高校に合格しても、途中で登校拒否になりドロップアウトしてしまう子が現実にいる。一流高校から一流大学に行っても、遊び呆けて退学になったり、少し前の就職氷河期みたいに、環境の影響で思うような就職ができなかったりすることもある。一流会社に就職しても、JALだって倒産する世の中だし、鬱になって会社に行けなくなったりする。結局、そうなった時、塾に行かせたことは何の役にも立たない。

自分のやりたいことを見つけたら、周りが反対してもチャレンジしてみようという意欲を持てる人間になるためには、親は何ができるのだろうか。困難に陥った時、必死に歯を食いしばって耐え抜ける人間に育っていけるようになるためには何をしたらいいのだろう。これといって名案が思いつかないまま、塾に行かせることが正解だと信じて疑わない妻を説得することができず、大人しく真面目に塾へと通う我が子の姿を忸怩たる思いで見つめているしかない。

自分自身を振り返ってみても、親から特にこれといった躾あるいは教育を受けたという覚えはない。日々の生活に余裕なんてなかったのかもしれないが、私も弟も育つように育ったと感じている。しかし、母親も「同じように育てた」と言うものの、私と弟とは性格はかなり違う。それはなぜなんだろうと昔から疑問に思う。もっとも、同じようにとは言うものの、弟が生まれるまで一人っ子として育った私と、生まれた時から兄貴という目の上のたんこぶがいた弟とでは、環境は異なるのかもしれない。

同じではないといっても、それだけだろうかとも思う。人間の人格形成には様々なものが影響しているとは思うが、それはどんなものだろうか。よく刑事事件で、弁護人が情状酌量の1つとして育った環境をあげるが、親の愛情に育まれた場合には、刑事事件の被告人になるようなことにはならないのではないかと思う。それは最低限として、例えば意思が強かったり、忍耐強かったり、思いやりがあったりというのは、どうしたら育むことができるのだろうか。

自分自身の経験からいくと、私の性格形成には結構漫画の影響があるように思う。中でも松本零士の漫画の影響はかなりあると思う。しかし、弟の方は目の前に私の読んでいた漫画があったのに、それにはかけらも興味を示さず、私の趣味とはまったく異なるギャグ漫画とかバイク等の系統を好んでいた。そうした趣向の違いは何によって生じるのか、つくづく不思議に思うところである。息子にも自分と同じような意思の強さなどを持ってもらいたいが、同じ漫画を読ませればいいというものではないだろうし、そもそも弟のように興味さえ示さないかもしれない。

たまたまNHKでやっていた『NHKスペシャル 平成史 第1回▽大リーガーNOMO~トルネード・日米の衝撃』という番組を録画して息子と一緒に見た。当時、メジャー挑戦なんて誰もやらなかったことをあえて宣言し、バッシングにもめげずに自らの意思を通して成功させた野茂の物語を息子に見せたかったのである。こういうものが結構影響力を持ったりするのかもしれないと思って一緒に見たのであるが、果たしてどうだろう。

子供たちに勧めるのは、どうしても本や漫画や映画といった自分の嗜好にあったものが多い。息子は割と受け入れてくれるが、娘はそうでもない。今年高校を卒業するが、今の時期にいわゆる文豪の文学作品を読んでみたらと勧めているが、まるで興味を示さない。「親はなくても子は育つ」というが、親があれこれ世話を焼いても無駄なのかもしれないと思ってみたりする。あとはニュースなどを一緒に見て世の中の動きに対して、自分の考えを語ったりするのもいいかと思うが、家族はバラエティ番組ばかり好んで見ていて私にはチャンネル権がないとなると、なかなか難しい。

 結局のところ、意図的に仕向けるということは無理なのかもしれない。ただ、子供たちには、経済的な限界はあるにしても広くいろいろな経験をさせてあげたいと思う。塾に入れて満足している親にだけはなりたくない。そんな思いを持って、これからも子供たちと接していきたいと思うのである・・・




【今週の読書】
  
    
   
   

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