2018年12月31日月曜日

2018年大晦日雑感

2018年も最後の1日となった。年末恒例の大掃除も3日間に分けて行い、昨日終了した。昨年までは大晦日まで大掃除であったが、今年は少しゆとりの大晦日である。年越しそばは、我が家では夜ではなく昼に食べることにしているが、今年も美味しくいただいた。後はこれも恒例なのだが、紅白を見ながらすき焼きで年越しである。家族みんなが健康で新しい年を迎えられることを何よりもありがたく思う。

今年も映画は今夜の作品を入れて177本、本は118冊読んだことになる。一昨年から比べると少し少ない。まぁ「量より質」と思っているから少ないことが悪いとは思っていない。本は厚さもあるから余計である。映画はこれから一年間を振り返って年間ベスト10を決めたいと思うが、また今年も悩ましいところであろう。

基本的に人から勧められたものは必ず試してみることにしている。今年は、本では『終わった人』を勧められて読んだが、定年を意識する人なら考えさせられる一冊だと思う。私は定年のない会社(ただし、「潰れなければ」だが)に入ったので関係なくなってしまったが、ますます老後が長くなるこれから、悠々自適とは程遠い人はしっかり考えないといけない問題だろう。定年後というなら、『定年前後の「やってはいけない」-人生100年時代の生き方、働き方-』も読んでおくべき一冊だと思う。

映画については、信頼の置ける友人の推薦と、大ヒットの実績から『カメラを止めるな!を一昨日観たが、こちらは残念ながら事前の期待を上回ることはなかった。おそらく、「面白い」という先入観無くして観ていたらたぶん面白いと感じたのだろうと思う。ただ、あまりにも期待値が高かったため、正直言ってがっかりしてしまった。評判が高くなければ間違いなく観ていなかった映画であり、事前の評価は難しいところであるが、それでも観ないよりは観た方がいいだろうし、これからも「勧められたものは観る」というスタンスは維持していきたいと思う。

1年間頑張って勉強してきたマンション管理士は、再チャレンジの今年も1点差で涙を飲みそうである。脳みその老齢化を理由にしているが、それは理由になっていないのが自分自身でもよくわかる。コツコツやるのは自分の持ち味だが、何をどうコツコツやるかが重要なこと。年が明けたら、改めて戦略を練り直し、再々チャレンジと行く予定である。来年もまた11月まで自らを率しながらのコツコツの日々である。

なんの心配もない穏やかな年末と行きたいところだが、心配事のない人生などあり得ないのだろう、今も我が家には心配事がある。自分のことならともかく、娘のこととなると有効な打つべき手が思い当たらず、もどかしい限りである。それにしても、年末の忘年会で集まった12人のうち、3人が不登校や発達障害などの子供の問題を抱えていた。未婚と合わせて子供の問題が静かに我が国の将来を蝕んでいるような気がする。我が家は我が家で正面から向き合うしかないと腹を括っているが、愛を持ってあたりたいと思う。

つくづく、人と接しながら暮らしていくこの世の中において、自分と他人の意見の相違ほど扱いの難しいものはないと思う。自分が正しいと常に思っているが、それは他人との文脈の中では必ずしも適切ではない。そのあたりをどう調整するか。それは来年も引き続き大きな課題だと思う。それは仕事においても家族においても同様で、理解を得ることを諦める前にもう少し頑張ってみたいと思う。それが来年の課題だろうか。そのためのキーワードは「感謝」ではないかと考えている。

 まだまだと思うから、さらにもう少しと成長の余地があるのかもしれない。そういう意味で、「まだまだ」はいいことだと思う。1つの試練が片付けば、また次の試練が顔をもたげるのだと思う。それにめげず、くじけず、愛を持って来年も頑張っていきたいと思う2018年の大晦日である・・・





【今週の読書】
 
   
   

2018年12月27日木曜日

魂の老化は防げるか

実家の母親は81歳である。ここのところ長年使用している愛用のガラケーの調子が悪いとぼやいている。そこで私からこの機会にスマホにしたらと提案し、近々切り替える予定である。実はスマホにしたらということは、随分前から言っているのだが、やはり現代のデジタル機器を使いこなせるのかということに不安があるようで、ずっと躊躇していたのである。パソコンも使えない母ならまだしも、パソコンを使いこなす同じ年齢の父すらも「あと10年若かったら」と言って躊躇している。

そんな両親の反応を身近で見ていて、「歳を取る」とはそう言うものかと思っていた。しかしながら、母親とまったく同じ年齢の女性と会ってその考えは一変した。その方はパソコンを駆使して株式投資を行い、もちろんスマホも使いこなしていた。ちょっと郊外に住んでいるということもあって、毎日自らスクーターを駆って買い物に出掛けていた。我が母とは大違いであった。2人の違いは何だろうと考えてみると、やっぱり「考え方」だろうと思う。

「自分は年だから新しいことは覚えられない」と思ってしまったら、その時点で終わりである。よくよく比較して見れば、ガラケーとスマホでは、画面はスマホの方が大きいし、電話やメールという機能はボタンがないだけでそれほど違わない。実際のところ、初めて覚えるのにガラケーとスマホを比較したら、アプリをいろいろ使いこなそうとすれば別だが、基本機能だけならスマホの方がやりやすいと思う。要は「意識の差」だけだと思うのである。

歳を取れば記憶力が減退するのは、50代の我が身をもって痛切に感じているが、衰えるだけで覚えられないわけではない。現に80歳を超えていても、宅建などの資格試験に合格する人はいる。たとえ若い頃の半分しか覚えられなかったとしても、「半分は覚えられる」わけである。この考え方ができるかどうかだろう。自分には無理だと思えば無理だし、「あと10年若かったら」という人は、たとえ10年若くても同じセリフを吐くだろう。

それは高齢者だけに当てはまるものではなく、会社でも同じだと思う。創業直後のベンチャー企業はがむしゃらに新しいことに挑戦する。だから失敗はあったとしても、技術やビジネスモデルでブレイクスルーを起こす。一方、大企業は総じて反応が悪い。それは硬直的・官僚的な組織系統もあると思うが、私自身の経験でいけば、「なにもわざわざそんな事をしなくとも」という考え方だろう。新しいこと、ちょっと変わったことをやろうと思うと、組織の壁も厚く、根回しやらプレゼンやら手間暇がかかるので面倒だと思うのである。

そして本来、組織系統も大企業から比べるとずっと簡略で、はるかにスピーディーに動けるはずの中小企業でも、この「何もわざわざそんな事をしなくとも」という考え方に侵されていたりする。十分に儲かっている企業ならそれでいいかもしれないが、大半の中小企業はそんな余裕などないはずで、あらゆるところに収益機会を求めていくべきだと思う。ベンチャーはそういう点では「元気」なわけで、ベンチャーでない我々中小企業においても、そういう「元気」=スピリットが必要だろうと考えている。

よく物事は簡単な方と困難な方があるなら、困難な方を選ぶべきと言われるが、特に世の中で商売をして存続していこうとするなら猶更であると思う。簡単なことなら誰でもやれるし、そんなレッドオーシャンで得られる収益はわずかだろう。「あえて」「わざわざ」やってみる事が必要だろうと常々感じている。失敗したら大きな痛手を伴うなら慎重対応が求められるが、ちょっとしたチャレンジなら「とりあえずやってみる」感覚が必要だと思う。

我が社が営む賃貸業では、建物・設備の経年劣化は防ぐことはできないが、自分自身の魂の経年劣化はいくらでも防ぐことができる。
 この「敢えてやってみる」気持ちを常に持ち続けたいと思うのである・・・






【本日の読書】