2018年12月9日日曜日

白と黒の狭間

カルロス・ゴーンが逮捕されてから少し時間が経ったが、さすがにネタ切れなのかマスコミも大人しい。その後の報道を見ると、たぶん今は起訴する検察が証拠固めを行なっているのだと思う。これも実にわかりにくい事件で、巨額の報酬をもらったことが罪なのではなく、それを投資家に「公表していなかった」ことが問題となっている。さらに報道によれば、その報酬も既にもらっているわけではなく、退職後に「もらうことになっている」ものだという。つまり、「まだもらっていない」わけである。

もらっていないのに「もらった」とされるのは、日産との間で「覚書」という形で約束がなされていたということで、覚書を締結した時点で公表しなければならなかったというものである。しかも金額が確定していなかったなら問題はなかったようで、なんだかその白と黒の境界線は微妙である。これは殺人や窃盗のように行為そのものが違法な刑事罰と異なる所以であるが、このあたりは実際に直面すると悩ましい部分である。

今の仕事ではお客さんからいろいろと要望があったりする。もちろん、報酬をいただく以上満足いく成果を出すことは重要である。しかし、だからと言ってどんな要望にもお応えしますというわけにもいかないのも確かである。例えばその要望が違法であったりすれば、当然やるべきでないのは当たり前である。だが違法とは言えず、かと言ってやっていいものとは言い難いものだと難しいところがある。

今回頼まれたのは、そんな悩ましい内容。一応、弁護士に相談したら、「訴えられたら負ける」というもの。依頼者は、まともに法的な手続きを取るとかなりの費用がかかることもあって、まともにはやりたくない。なので我が社に法律の手続きを取ることなくやってほしいと言ってきたのである。「訴えられたら(費用的な)責任は取るから」と。依頼者にしてみると、法的対応でかかる費用よりも、訴えられて負けて払う損害賠償の費用の方が安いこと(過去の判例からすると、半分くらいで収まる)、さらにそれも「訴えられたら」の場合で、「訴えられない可能性もある」との理屈である。

依頼者にしてみれば、実に経済合理性にかなった考え方であるが、問題は当社としての対応である。行為自体は法律に明確に違反しているとは言い難いが、過去に訴えられて負けた判例がある以上、好ましい行為とは言えない。ゴーン氏の例で言えば、覚書を作ってサインだけしていない状態とでも言えるだろうか。報酬をもらうという事実は確定していて、ただ覚書にサインするという行為だけしていない状態である。「確定したら公表」というルールなら、形式上(サイン)は確定していなくとも、事実上確定している(いつでもサインできる)なら公表しないといけないだろう。

さて、どうするかと悩んだ末、お断りすることにした。悩んだと言っても、悩んだのは「やるかやらないか」ではなく、「断り方」である。やはり、依頼を断る以上、相手が気に入らなければ取引を切られる可能性もある。かっこよく断るのは簡単だが、社員一同食っていかなければならないわけで、「喰わねど高楊枝」というわけにはいかない。「やるやらない」で悩まなかったのは、やっぱりいくら仕事でも「そこまでしたくない」という単純な気持ちである。

幸い今回はうまく断ることができて事なきを得たが、常にそうとは限らない。「もう頼まない」と取引を切られてしまうこともあるだろうし、それでも会社の業績が上向いてきている今の状態だからよかったが、これが切羽詰まっている時だったらどうだろう。明らかに違法行為であれば断るだろうが、「違法とも言い切れない」というところであったらどうだろうか。今回と同じ判断ができるだろうかと考えてみると、心許ないのも確かである。

ゴーン氏が巨額の報酬のもらい方にいろいろと工夫を凝らしたのも批判を恐れてのことだという。もらい難いならもらわなければいいし、欲しいなら堂々ともらえば良かったわけである。堂々と巨額の報酬を(おそらく起こるであろう批判を無視して)もらい続けることができたか否かは別として、結果的には公表額で我慢していたら、この先ももらい続けることはできたであろうし、その方が結果的にたくさんもらえたかもしれない。欲深き計算違いだったと言えるかもしれない。

 我が社もこれから先どうなるかはわからないが、「君子危うきに近寄らず」ではないが、白いラインの内側をしっかり歩きたいと思うのである・・・




【今週の読書】
 
 
 

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