2011年8月30日火曜日

示談交渉

親父が交通事故に遭ったのは、もう2年前になる。
横断歩道を渡っていたら、自動車が突っ込んできたのである。
もちろん、相手が100%悪いと認定された。
膝の靭帯を痛め、通院で治らず結局手術した。
1年後のボルトを取り除く手術とリハビリを経て、治療は終わった。

事故直後から加害者とは別に、保険会社が何くれとなく連絡をよこすようになった。
相手の保険会社である。治療費は一時的にこちらで立て替えるものの、ほぼ全額負担してもらった。
自分達が出す費用を減らす為でもあるのだが、かいがいしく手続きをしてくれた。
調子がいいなと感じるところもあり、また理屈に合わず腹立たしい事もあり、親父はそんな愚痴を時々もらしていた。

治療がすべて終わった段階で、いよいよ損害賠償の和解ということになった。
父は「いくら提示してくるのだろう」と楽しみにする一方で、不安も抱いていた。
何分、温和で穏やかな性格の父は、相手と「切った張った」の交渉は苦手としている。
いいように言いくるめられてしまうのではないか、と心配もしていた。
保険会社の担当者もプロだし、私も何度か話をしたが、穏やかな話振りでとても父が対抗できる相手ではないと思った。そこでもっぱら交渉は私が引き受ける事にした。

交渉事は事前準備が肝心。
そこであらかじめ、「相場」を調べる事にした。
何せこちらも初めての経験。
一体どれくらいが相場なのか見当もつかない。
金額の提示を受けても、それが多いのか少ないのかもわからない。
事前に父とも話したのだが、「欲張るつもりはないが、体よくあしらわれるのは嫌」という事だった。当然と言えば当然の考え方だが、それも相場がわからないとどうにもならない。

ネットで調べたが、はっきりとはわからない。
有料査定サービスはあるが、そんなのもったいない。
損保会社に勤める友人に問い合わせたが、担当職務外なのか参考にならない。
父の知人の保険会社の人も、「とにかく最初の提示額でOKしてはダメ」というだけだった。
なんとなく「自賠責基準」「任意保険基準」「地裁基準」というのがあるというのがわかった程度だった。

そしていよいよ送られてきた和解案には、和解金として75万円の数字が。
知人の体験談から100万円以上は固いと期待していた父はがっかり。
さっそく電話交渉に臨んだが、相手は当然の事ながらそれが如何に妥当かと言う説明に終始。
一通り聞いた後、「でもこちらは後遺症も出ていますしね」と切り返した。
「なら後遺症認定を申請しましょう」と相手も提案してきた。

まあ相手もそれで出しやすくなるなら、とこちらも応じ、医師の診断書をもらい、あとは状況説明書を書いた。曰く、「正座を3分以上できない」「階段の上り下りに不安感」「(しゃがむ行為が難しく)和式便器が使えない」などである。私も膝の靭帯を切った事があるから、そこは自分の体験をベースにすらすらと書き連ねた。

それが良かったのか、後遺症が認定され75万円が上乗せされ、和解金は2倍となった。
父は満足して刀を鞘に納めた。
それにしても、当初の和解金はいったい相場的にはどうだったのか?
結局、そこの部分はそのままで、相手の担当者は自分の主張を通したわけである。
交渉事では、最初は低い球を投げるというセオリーに従えば、もっと上乗せできる余地はあったわけである。自分のことだったら、私も良い経験だと思ってもっと粘っていただろう。

そこから先に行くと、弁護士会のあっせんなどもあるようだし、こういうところでは第3者的な立場での意見を出してくれるだろうから、その時こそ“妥当な相場”がわかったと思う。
父からすれば、交渉が長引くのはいい気持ちがしないという事もあり、「もうそれで十分」となったわけであるが、まあそれはそれで仕方がない。
根拠はともかく、金額的には満足したので、それで十分と言うわけである。
それにしても、他の人たちはどうしているのだろう。

適度な相場が開示されていれば、迷いも少ないと思うのだが、それは難しい事なのだろうか。
保険会社からすれば、「少しでも安く済ませたい」となるのは当然であり、プロが交渉に乗り出してくる。迎え撃つのは素人だから、不利な勝負のような気がする。
今回は、「裁判まではやらないけど、あっせんまでは行ってもいい」と事前に決めて臨んだのだが、そうした制度を調べておけない人は困る気もする。
まあ素人なりに、案外感情論で押しまくって、「泣く子には勝てない」理論で勝負しているのかもしれない。

一度経験すれば、二度目はたやすい。
「今度は私がそうなった時には、手ごわい相手になるぞ」と思うも、よく考えてみればそうならないに越した事はない。やっぱり「いい経験」で終わるのが一番だと思うのである・・・


【本日の読書】
「反対尋問の手法に学ぶ嘘を見破る質問力」荘司雅彦
「タッポーチョ太平洋の奇跡」ドン・ジョーンズ
   



2011年8月25日木曜日

子供に野球

大阪の実家に里帰りしていた妻と子供たちとが帰宅した。
約3週間の帰省だったが、妻も子供たちも楽しんできたようである。
大阪に行っている間、長男は野球好きの叔父(私の義弟)に連れられて、何と甲子園球場に行って来たという。買ってもらったメガホンを誇らし気に見せてくれた。

野球好きの義弟には子供がいない。
それでよく我が家の子供たちを可愛がってくれている。
長男が生まれた時から、「野球をやらせましょう」と言ってくるくらいだった。
グローブなら○○、バットなら○○と決めてあるらしい。
ラグビー好きの親父の子供になんと大胆な、とも思うが、私も野球は好きだから異存はない。
まあどこかでラグビーに転向したらいいなと思う程度である。

私も子供の頃は、野球をやっていた。
親父は、いつも夕飯後にナイターで巨人戦を観ていた。当然ながら、横には私もいて一緒に観ていたわけで、気がついた頃には私も立派な野球大好きジャイアンツファンになっていた。
当時は今のように携帯ゲームなんてないから、子供たちは近所で遊ぶ、学校で遊ぶ。
必然的にその中に野球も入ってくる。

そしてそんな私を見ていてか、母親は私を近所の少年野球チームへ連れて行った。
確か小学校3年の時だったと思う。
ユニフォームを新調し、背番号「6」をつけて、私は【小山5丁目ハリケーン】の一員となった。チーム名からもわかるように、当時は5丁目だけでチームが作れたし、他のチームも似たようなものだった。

初めの頃は自分がうまいかどうかなんてわからない。
というか買ってもらったバットは重くて素振りすらも満足にできない状態。
ゴロだって強いのは取れない。
ただ、もともと根が真面目なだったこともあり、毎週末の練習には欠かさず参加。
少しずつうまくなっていった。
しかしそれもそこそこのレベルまで。打順は2番、ポジションはファーストというのが、最後に落ち着いたところだった。

我が町の町内にも野球チームがある。
小学校に上がってしばらくしたら、長男を入れようかとも考えている。
チームスポーツは一人ではできないし、みんなと力を合わせて相手チームと競う面白さがある。練習してそれが成果に結び付くのも大きな喜びだし、勝利の味は格別。
まずは興味を持つという点では、甲子園は良い体験だったかもしれない。
ナイターを観る事のない親父としては、いい叔父がいて良かったと思うのである・・・


【本日の読書】
「掃除道」鍵山秀三郎
「壬生義士伝(下)」浅田次郎

     

2011年8月20日土曜日

夏休みの思い出

世間はお盆休みとあって、勤務先の丸の内界隈ではよく親子連れを見かける。
お父さんが夏休みでどこかへ出掛けていたのであろう、リュックサックを背負って嬉しそうに歩いていく子供たちの顔を見ると、何となく微笑ましくなる。
みんな今年の夏休みはどんな思い出を作ったのだろうか。

子供の頃の夏休みの思い出って何だろうとふと考える。
やっぱり一番の思い出は、長野県の御代田で従兄と過ごした日々だろうか。
最初は親に連れられて行ったのだが、小学校3年の時に初めて一人で御代田に行った。
当時は新幹線もなく、信越線の急行電車に揺られて3時間。
最初の時は途中まで母が一緒に行ってくれたが、次からは一人で行った。
正直、最初は心細い一人旅だった。
高崎を過ぎ、碓氷峠のいくつもあるトンネルを潜り、軽井沢を通り過ぎて少し行ったところが御代田である。

そこは叔母の家であるが、ちょうど1歳年上の従兄がいて、彼と一緒に遊ぶのが楽しみで、毎年春休みと夏休みに1~2週間遊びに行っていた。
従兄が行くところには、金魚のフンよろしくどこにでもついて行った。
長男である私にとって従兄は兄貴のような存在で、末っ子だった従兄にとっては私は弟だったのかもしれない。
従兄の友達とも一緒に遊んだ。
おかげで今でも従兄の友人たちは、会えば昔の事をよく話す。

小学校のプールに行って泳いだり(田舎の学校はのんびりしていて、在校生でなくても入れてくれたのだ)、みんなで野球をしたり(まあ体力的にはついていくのがやっとだった)、裏の林や田圃や畑などの、都会にはない自然の中で、何をするとはなく遊んでいた気がする。
都会ではカブトムシを買うと聞いて驚いた従兄、「裏の林に行けばいくらでも取れる」と聞いて驚いた私。
次の日朝早く起きて林にカブトムシを取りに行った。
いかにも「いそうな」木をケリ飛ばして落ちてくるカブトムシを捕まえようとしたが、落ちてきたのは小さなクワガタばかりでガッカリした。

近所の公民館ではお盆の時期(田舎では8月だ)に盆踊りが行われた。
東京ではそんな機会なくて、みんなで盆踊りに参加してえらく楽しかったのを覚えている。
後日大人になって懐かしくなってその公民館へ行ってみた。
そこにあった公民館は記憶のままなれど、貧相でちっぽけで、盆踊りのやぐらが組まれていた広場も狭くて猫の額ほどの広さに思えた。

従兄と過ごす毎日が楽しくて、帰る時は本当に切なくて、いつだったか本当に駅までの帰り道で涙ぐんだ記憶がある。
避暑地軽井沢の近くだけあって、今の時期はもう朝晩も涼しく、学校も20日過ぎには始る。
もう夏も終わりだと思って帰ってくると、上野の駅は残暑の熱気とスモッグとが充満し、まだまだ終わらぬ夏が残っていて、異世界のように思えたのを覚えている。

第2の故郷という言葉があるが、田舎を持たない都会育ちの自分が、何となく故郷に思うところ。それが御代田であり、従兄と遊んだ春休みと夏休みのあの日々が故郷の思い出。
いつか自分にも子供ができたら、同じ体験を味わわせてやりたいなぁと漠然と思っていた。
従兄にも子供はいるし、自分の子供が従兄の子供と遊ぶのを楽しみに毎年御代田へ行くようになったら、と思っていた事もあった。
されどそんな機会もないまま、子供たちは今年も恒例である大阪の妻の実家へ。
それどころか、あれだけ一緒に遊んでいた従兄とも、会うのも数年に一度といった有り様だ。
この前会ったのは、可愛がってくれた叔父の葬儀の時だ。

しかたがないとは言え、ちょっと寂しい気もする。
まあ子供たちは子供たちなりに、自分たちの思い出を作っているに違いない。
それはそれでまた違う思い出。
そう言えば私も子供の頃親子4人での旅行なんてあまり記憶にない。
それに比べれば、今は時代の流れもあって、親子で毎年旅行に行けるのはありがたいことだし、思い出を作っているのは子供たちだけではない。

今年はどんな夏休みの思い出を作ったのだろう。
来週からは学校も始るし、もうあとちょっとで子供たちの夏休みも終わり。

いい夏休みであったと思ってくれれば、幸いである・・・


【本日の読書】
「日本一心を揺るがす新聞の社説」みやざき中央新聞
「壬生義士伝」(下)浅田次郎



2011年8月14日日曜日

夏の日雑感2011

ラグビーのワールドカップまで1ヶ月を切った。
サッカーのワールドカップと比べると、その盛り上がりは恐ろしいくらい欠けている。
まあ世間の関心からして仕方がない事ではあるが、個人的にはとても楽しみである。
昨夜、というかもう今朝であるが、ワールドカップに向けての前哨戦であるイタリア戦が行われた。もっと早く気がつけばそれに合わせて寝ておいたのであるが、朝の3時半からのテレビ放送ということもあって、30分で断念した。

メンバーを見てみると、やっぱり外人が多いのが気になる。
15名の先発メンバーのうち6人が外国人だ。
まあうち二人は日本国籍取得者だとしても4人。
リザーブにも4人くらい入っているのはやっぱり多い。
3年日本にいれば代表資格はもらえるし、代表になれば母国の代表にはなれない。
外国人たちもそういう覚悟で日本のジャージを着ているとはいえ、やっぱりなあという気持ちはする。

まあそれはそれとしても、やっぱりレベルの高い試合は何を観ても面白いし、「頑張れ日本代表」という意味合いではなく、ラグビーそのものを楽しみたいと思う。
日本は、オールブラックスやフランス、トンガといった強豪チームのブロックだし、深夜だろうが早朝だろうが観ようと考えている。

毎日とにかく暑い。
今日も入院している母の見舞いに、根津にある日本医大に行ってきた。
頼まれた買い物に病院の外に出ると、すでに夕刻で暑さも一息ついている。
蝉は相変わらず激しく鳴いているものの、少し涼しくなった夕暮れ時のそれは、日中のそれとはちょっと違って聞こえる。日中に聞くのと違って、何となくほっとする気がする。

ぶらぶらとコンビニまでそぞろ歩きを楽しむ。
大通りよりも一歩入った住宅街を歩く方が好きである。
知らない人の知らない家が立ち並ぶ。
そうした家々を、どんな人が住んでいるのか想像しながら歩くのが結構好きである。

一歩裏手は結構な住宅が目に着く。
サラリーマンの家ではない。
自営業か会社経営者だろうな、と思いつつ眺める。
やがて一軒の家が目につく。
真ん中で二つに分かれている二世帯住宅だ。

同じ名字なのに一方には「弁護士」の文字が入っている。
「法律事務所」の看板はないので自宅で開業している様子はなく、これだけの豪邸だからきっとどこかに事務所を構えているのだろうと思う。
ならばわざわざ表札に「弁護士」の文字を入れる必要はないだろうと思うのだが、本人の自分の職業に対する誇りなのかもしれないなと思う。面白いものである。
私も表札に入れようかな、「銀行員」と・・・

知らない街並みを眺めつつ病院に戻れば途端に汗が噴き出す。
やっぱり東京の夏に風流という言葉は見当たらない。
夜遅くなっても蝉はガンガン鳴いている。
もっとも彼らも限られた時間の中で精一杯なのだから、そんな蝉の声も今のうちに楽しんでおこうと思う。

もう間もなくすれば、鈴虫系の虫の鳴き声が聞こえてくるだろう。
半年前、コートの襟を立てて朝の通勤路を駅に向かって歩いていた時、「もう半年もすればここを汗を拭き拭き歩くのだろう」と考えていた。早くそうならないかな、とも。
いざそうなれば、もう少したてば涼しくなるだろうし、半年後にはまたコートの襟を立てて、背中を丸めて駅に向かっているのだろうと考えている。

「夏が来ると冬が良いと言う、冬になると夏が良いと言う、忙しいと暇になりたいと言い、暇になると忙しい方がいいと言う・・・」
野村監督の本に紹介されていた言葉だが、まさにそんな風に思う。
そんな事を考えるから、あっという間に時間だけが過ぎて行くのかもしれない。
今この瞬間を楽しんでおかないと、何だかもったいない気がする。

8月もあと半分。
暑い暑いと思うものの、この暑い夏を今年も十分に楽しまないといけないなと思う。
蝉の鳴き声もリアルタイムのBGMとして、楽しんでおこうと思うのである・・・



【本日の読書】
「壬生義士伝(上)」浅田次郎




2011年8月9日火曜日

カーナビ

先日の事、転院する母を送って行く事になり、実家の車に乗った。
親父は運転歴が長いのだが、「道を知らない」と運転を躊躇したので、代わりにハンドルを握ったのだ。「都内の道だし、適当に看板見ながら行けばいいじゃないか」とも思ったが、そこが年という事なのかもしれない。私も道を知っていたわけではないが、事前に地図を見て、大体の方向感だけ掴んでキーを回した。

運転してしばらくして、なんとなく違和感を感じた。
まもなくそれがカーナビだと気がついた。
自分の車には、車を買い換えた時につけたカーナビがあるが、親父の車にはない。
違和感の正体は、ダッシュボードを見るたびに視線が空振りする事だったのだ。
無意識のうちに、あるべきところにあるはずのカーナビを求めていたのである。

慣れというのは恐ろしいもので、運転する時にカーナビを見る癖がすっかりついていたようである。といっても、運転するたびにナビゲートしてもらっているわけではない。
ただ、地図上に現在地が表示されるため、「今どこを走っているのか」がナビの地図上ではわかる。それが、現実の道路とミックスされて脳内にインプットされていたのだろう。
沖縄でレンタカーを運転したが、今はレンタカーにもカーナビは標準装備されており、その時は違和感を覚えなかったのだ。

やはり、というか曖昧な記憶を頼りに、なんとなくの方向感で行ったのだが、右折したいところでできなかったり、曲がるべきところを曲がらなかったりとだいぶ無駄な時間を取ってしまったが、無事に往復できた。まぁ都内だから、看板見ればなんとなく地図が頭に浮かぶから方向は間違えない。しかし、見知らぬところでは、こうはいかない。


やっぱり、カーナビって便利だと感じる。
もっとも、常に最適表示されるわけでもない事はとっくに気がついている。
家の近所などでは、「どこ連れて行く気だ!」とカーナビに向かって毒づく事はしょっちゅうだし、同じ遠回りの案内を決して改めようとしない。
学習効果という機能はどうやら搭載されていないらしい。

カーナビなどなくとも、親父は相変わらず昔流で運転しているし、私自身どうしても必要だとは思わない。ただそれでも渋滞情報と到着予想時刻は重宝している。
これはアナログな方法ではきめ細かく入手できない。
リアルタイムで表示されるから、先回りして行動を選ぶことができる。
「カーナビなんて」とはバカにはできない。
やっぱり便利だ。

人生にもこんなナビゲーションシステムがあったら、後悔ばかりの人生を歩む事もないだろう。「この先渋滞中」とか、「ここに行きたきゃこのルート」、「今ここ」などその都度その都度表示してくれたら便利だ。受験や就職や恋愛なんかの様子もかなり違ったものになっていただろう。
無駄は減るし、迷っても暗中手探りで模索なんてしなくて済む。たとえあっても盲信は危険だけど・・・
ドラえもんの世界だな・・・

親父にとっては「今さらカーナビ」らしいから、実家の車はこれからもカーナビなしだ。
昔はマニュアルギアが当然だったが、今はほとんどオートマだし、車もどんどん変わっていく。昔ながらの感覚を磨くのに実家の車は便利だ。
これからもアッシーになる事は多いと思うが、それはそれで楽しもうと思うのである・・・


【本日の読書】
「フォールト・ラインズ」ラグラム・ラジャン
「壬生義士伝(上)」浅田次郎


2011年8月5日金曜日

Old friend

彼の名はデビッド。
私が大学3年の時、大学院にニュージーランドから留学してきた。
なにせラグビーが国技というお国柄。
デビッドも幼稚園からラグビーを始めたという経歴だった。
そんなデビッドが、我々のラグビー部にやってきたのである。

それまでにも何人かの留学生がグラウンドに来て、一緒に試合をしたりした。
しかしながらみんな一時的な腰かけで、言ってみれば「週末の暇つぶし」的な参加だった。
ところがデビッドはそれまでにグラウンドに来たどの外国人とも違っていた。
土のグラウンドに驚きながらも、きちんと練習に出てきて、あろうことか夏の菅平の合宿にまで参加したのだ。

ちなみに、今でこそ我が大学のラグビーグラウンドは人工芝になっているが、当時は土のグラウンド。ニュージーランドを始めとして、世界各国では芝生のグラウンドが当たり前。
世界広しと言えども土のグラウンドでラグビーをやっているのは日本ぐらいではないかと、個人的には思っている。そんなグラウンドで、デビッドは我々と一緒になって泥まみれの汗を流したのだ。

さすが本場の出身者。
デビッドは白人にしては小柄で、私とほぼ同じ体型だったが、迫力あるタックルは見モノだった。デビッドのタックルを見て、私ももっとパワフルなタックルができるはずと励みに思った。そんな彼は、秋の公式戦もレギュラーでフル出場し、その年公式戦で3勝を上げる原動力となった。そしてわずか1年で彼は卒業し、某ホテルに就職した。

卒業後、私も一度だけ彼の勤めるホテルへ彼を訪ねて行った事がある。
しかし、その時彼はたまたま非番で会う事はできなかった。
その後、クラブチームでラグビーをしているらしいという噂は耳にしたものの、ついに会う事もなく、今日に至っている。

先日の事、大学のメーリングリストに一人のOBが投稿した。
6月で定年退職し、そのまま冬のニュージーランドにスキーに行ったという。
現地で「日本語ができる人」という条件で雇ったガイドが、なんと偶然にもデビッドであった。いつのまにかニュージーランドに戻り、ガイドの仕事をしているらしい。
そのOBは、その神懸かり的な偶然の出会いを、OBみんなに報告してくれたのである。
添付されていた写真に写っていたのは、だいぶ中年にはなったものの、人懐っこい笑顔はそのままのデビッドであった。

メールアドレスが紹介されていたので、さっそくメールを出した。
私の事を覚えているかわからなかったので、先日ディズニーランドで家族とともに写した写真を添付した。そうしたところ、彼から返信が来た。実に25年振りだ。

日本人の奥さんがいて、子供も一人。
奥さんと一緒にその名も「Tanken Tours」という会社で、ガイドをしているという。ちょっと不安だったが、デビッドは私の事を覚えていてくれた。
「ニュージーランドに遊びに来てくれたら、我が家に招待するよ」
メールにはそう書かれていた。

卒業旅行では計画こそしたものの、結局オーストラリアだけにしてしまった。
以来ニュージーランドは、いつか行ってみたい国の筆頭にあるのだが、ますます行きたくなってしまった。今年はラグビーのワールドカップがニュージーランドで開かれる。彼もきっとオールブラックスを応援しているだろう。私もジャパンの次に応援してみたくなった。

いつかは行きたいニュージーランド。
デビッドに直接会って、積もる話をしたいものだ。
できればあの頃のチームメイトと一緒に行きたい気がする。
そんな楽しみを持っているのもいいと思う。
その時までは時々メールでもして、デビッドと繋がりをもっていたいと思うのである
・・・


【本日の読書】
「フォールト・ラインズ」ラグラム・ラジャン
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」石田衣良他
   

   

2011年8月2日火曜日

沖縄2011

今年の夏季休暇として沖縄に行ってきた。
家族で行くのはこれが3回目。
前回は2007年だったから、4年振りという事になる。
前回は小学校1年と2歳だった長女と長男も、4年経って少し成長しての再訪となった。

今回はホテルを南部に取り、美ら海水族館だけは本島を北部へ移動して行ってきたが、それ以外は南部を中心に行動した。最終日は那覇市内のホテルに一泊し、有名な国際通りにも初めて足を運んだ。
沖縄と言ってもそれなりに広いから、3回目とはいえ、初めてのようなものだ。

最も子供たちにとってはホテルのプールで遊ぶのが楽しくて、それだけで満足してしまう。
それだと家にいてプールだけ行っても良いのではないかとさえ思ってしまう。
まあそこがまだ子供なのだろう。それでも新原というビーチへ行って、シュノーケリングでお魚さんたちを直接見たのが一番印象深かったと言ってくれたから、まあ親としても良しとしたい。

28日の夜には流星群が見られると言う事で、ホテル前の夜のビーチに繰り出した。
雲が多かったとは言え、夜空に輝く星は東京とは比較にならない。
星座なんて北斗七星くらいしかわからないはずだったが、どう見てもあれはさそり座だろうと言うのがはっきりと見えた。長女も初めて肉眼で見るさそり座に興奮。
昔の人は夜空を見上げていろいろと想像したんだという事がよくわかる。

肝心の流星群だが、明るい方角と重なって条件は悪かったが、何とかいくつか見えた。
じっと目をこらしていると、さっと一瞬光の線が引かれる。それは本当に一瞬。
子供たちに願い事を言うのよと教えていた妻が、「3億円!」と叫んでいたが、たぶん届かなかったと思う。最後に珍しく大きな火花のように輝いた流れ星が現れた。たぶん、大きな欠片だったのだろう。それだけは家族全員で観察できた。子供たちが夜のビーチを怖がらなければ、もう少し観察できたのだが・・・

3回目でも変わらないのが食べ歩き。
ガイドブック片手に妻が選択した店を訪ね歩く。
沖縄そばは私も気に入っているので、あちこちの名店の味を堪能した。
どの店にも訪ねてきた有名人のサイン色紙が所狭しと飾られている。
それを見ながら、果たしてお店の人たちは有名人が来た時はそれとわかるのだろうか、とふと疑問に思った。

私自身飾られている有名人は半分も知らない。町ですれ違ったってわかるはずもない。
それなのに、ふらりとやってきてここのいかにも田舎のオバちゃん店員に、それがわかるのだろうかと疑問に思えたのだ。ひょっとしたら、取り巻きを引き連れて、いかにもそれらしくやって来たのかもな、と一人自問自答していた。

あっと言う間の4泊5日。
終わってみればあっけない。
軽くなった財布とデジカメで撮ったたくさんの写真とを残して休みも終わってしまった。
これからまた一年間働かないといけない。
職場でも同僚たちが順番に夏休みに入り始めた。

そこかしこの空席がそれを物語る。
すでに夏休みが終わってしまった立場としては、ちょっと寂しい気もする。まあそれはそれ。
また来年も良い夏休みが過ごせるように、暑さにめげずに頑張って働くことにしようと思うのである・・・


【本日の読書】
「大前研一洞察力の原点-プロフェッショナルに贈る言葉」大前研一
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」石田衣良他