2012年7月29日日曜日

ウルトラマン・フェスティバル2012

「ウルトラマンフェスティバル2012」に息子と行ってきた。
今年で3年連続であるが、内容としては、展示物とショーにゲームにグッズ販売という内容で、値段(大人:1,800円、子供:1,000円)に見合うとはお世辞にも言えないものである。

今年はウルトラセブン45周年という事で、展示物はウルトラセブンが中心。
パパ的には嬉しい内容であり、昨年一通りビデオで観た息子も同感だったようである。
10時開場を目指して行ったものの、到着すると既に長蛇の列。
実はあちこちでタダ券が配られていたりするので、その影響もあるのかもしれない。
小学生の子供なんているのだろうかと観察していたが、意外と大きな子供もいたりして、我が家の息子がまだ幼稚だとも言えないようで、ちょっとほっとする。
まあいずれ近いうちに卒業するのだろう。

そんな事を思いながら、長蛇の列に並ぶ人たちを見ていると、親子連れに混じって完全に大人一人という人たちがチラホラ。
いわゆるマニアなのだろうが、どう見てもマニア受けするような内容でもないと言い切るのは間違っているのだろうかと複雑な気分。

ショーは45周年のウルトラセブンに花を持たせつつも、主役は息子のウルトラマン・ゼロ。
10,000年以上も生きていて、たった45年で世代交代か、などという突っ込みを入れるのは野暮というもの。メインのショーでは、子供たちの「ガンバレ~」と言う声援に力を得たウルトラ戦士たちの活躍で、地球の平和は守られた。

このショーは、今年はなかなかの出来で、正直言って入場料の元が少し取れた気分だった。
出口付近にグッズコーナーがあって、ここが息子の最大の目的地。
ソフビと呼ばれる人形を買ってもらうのが、何よりの楽しみなのである。
もっとも、一体840円のものだが、ちょっと池袋駅まで戻るとビックカメラでは670円、ヤマダ電機では580円で買えてしまう(しかも10%のポイントまでついてしまう)。

「ここで選んで帰りに買おう」がパパの常套文句なのだが、敵もさる者。
「ウルトラマンフェスティバル限定版」のウルトラマン・ゼロ(定価945円)を売っている。ご丁寧に2色あって、息子は赤の「ストロングコロナ」バージョンをゲットして満足気だった。

このウルトラマンゼロのソフビであるが、どう見ても形は一緒。
同じ金型で色だけ塗り替えて、「一粒で2度、3度おいしい」商売をしている。
残念ながら、まんまとその手に乗らされてしまった我が家としては、うまいとしか言いようがない。
仮面ライダーもそうであるが、少し時間が経つとバージョンアップして2匹目のドジョウを吸い上げるのが巧みだと思う。

目の前のマニアのお兄さんなんか、赤バージョンと青バージョンをそれぞれ3体ずつ大人買いしていた。我が家の息子のように、帰って戦いごっこして遊ぶのだろうか、などと想像してみる。
案外オークションで売ってこずかい稼ぎするのかもしれない・・・

帰りに怪獣のソフビを一体買ってもらって満足気な息子。
何を思ったか、突然「これ取っておいて、子供が好きになったらあげようかな」と言い出す。
そろそろ卒業が近いと無意識に感じているのかもしれないが、それにしても気の長い話だ。
しかし、そのためには我が家に君臨する「断捨離怪獣」を何とか倒さねばならない。
パパでさえ表面上は勝てないのだから、極めて難しい。

でも3世代で楽しめたら、素敵な事だろう。
円谷プロがそれまで息長く頑張れるだろうか。
60周年くらいだったら、十分期待できるかもしれない。

ちょっとだけ期待してみたいと思うのである・・・



2012年7月25日水曜日

石神井プール

いよいよ夏も本番という感じになってきた。
この時期、子供たちは何と言ってもプールが一番の楽しみのようだ。
せめて水だけは怖がらないようにと思って、二人とも幼児の時よりスイミングに通わせてきたが、その成果もあって水は怖がらないし、徹底的に楽しんでいる。

豊島園から昭和記念公園、サマーランドと家から行けるプールには毎年どこかへ言っているし、沖縄やグアムに行った時もプールは最優先事項だった。
ウォータースライダーなんかがあるところだと、子供たちは何度も何度もエンジョイしている。今年は少し新しいところを開拓しようと相談しているところである。

一方で近所にある石神井プールは、お手軽に子供たちと行くことのできるプールである。
区営なので安いし、自転車で気軽に行けるので、午前中とか午後とかちょっと空いた時間に行くなどという事も簡単にできる。
今年は14日に始めて行って来た。

ここのプールに来ているのは、基本的に子供。
圧倒的な子供とプラスして親がついている状態。
妻は「近所の人に隠している体型がばれたらまずい」と言って行く事はない。
したがって、いつも連れて行くのは私の役目である。

そんな状況だから、「目の保養」などは端から期待できるものではない。
子供の喜ぶ顔が唯一の目的なのである。
とは言え、先日は若いカップルが来ていた。
そうなると興味津々である。
「目の保養」という意味ではなく、「何でこんなところに来ているのだろう」という興味の部分である。

妻に話したところ、「私だったらそんな所に連れていかれたら、すぐ別れるわ!」と例の如く予想通りの返事が返ってきた。今の若者は堅実でつつましいから、こういうところでもいいのだろうかと興味は尽きない。

トドのような裸体で寝そべっているお父さんがいる。
子供はきっとプールの中だろうが、立派な裸体を拝見すると、自分もシェイプアップしなければと強く思う。
こちらはラッシュガードを愛用しているから、何となく締まった感覚でいられる。
風呂上がりの己の裸体を見ると、最近は嘆かわしく思うが、やっぱり外でご立派なメタボリックボディを拝見すると、いい刺激になる。
そういう利点がプールにはあると言える。

娘はすぐ「パパ、競争しよう」と言ってくる。
人が少なくなった合間を見計らって、挑戦に応じる。
25メートルを3/4ほど泳ぎ、圧倒的に差をつける。
まだまだ娘には負けない。
ただ、残り1/4を残して泳ぐのをやめたのは、ゴールするまでもないと余裕の勝利をアピールしながらも、実は両足をつってしまった結果だと言う事は伏せておく。
これが正式な競泳だったらかなり無様な負け方をしていたところだ。

それにしても冷たい水は気持ちが良い。
プールの中で時折浮かんだりして自分でも楽しむ。
そう言えば子供の頃は、目黒にある区民センターに友達とよく行っていたものである。
何の変哲もない50メートルプールだけだったが、それなりに結構楽しんだ。
石神井プールも同様だが、子供たちは実に楽しそうである。

夕食時、「パパあんまり動いていなかった」と子供からするどい指摘を浴びる。
「混んでいたからな」と誤魔化したが、せっかく行っているのだし、今度はもう少し体を動かそうと反省する。
これからも、お手軽プールとして、すきま時間に子供たちと通うつもりである・・・

【本日の読書】
『じゃんけんはパーを出せ!~ビジネス解決力が身につく「ゲーム理論」~』若菜力人
『謎解きはディナーのあとで 2』東川篤哉



2012年7月19日木曜日

ツイッター

フェイスブックとほぼ同時に登録したツイッター。
まあ取りあえずやってみようと一歩を踏み出したわけである。
ところが、いざ呟こうとしても、どうも勝手がよくない。
そもそもツイッターの場合、フォローしていないとその人の呟きは拾えない。
逆に言えばフォローされていないと呟いても聞いてもらえない。
つまりそれはトイレで独り言を言っているようなものではないかと思ったのである。

それでも取りあえずは知り合いからフォロー。
なるほど、日々の些細な出来事をつぶやいていて、それを読むのはそれなりに面白い。
そのうち有名人のつぶやきが目につくようになる。
ツイッターはクリック一つで簡単にフォローできる。
フェイスブックは友達にならないとダメだから、有名人なんて基本的に無理だろう。
(相手の設定によっては見る事だけはできる)

そんな感じで目についた有名人をフォローし始める。
橋下徹、猪瀬直樹、竹中平蔵、蓮舫、河野太郎、松田浩太、中田宏、福島みずほ・・・
やはり政治家が多くなるのは、個人の嗜好を反映しているのかもしれない。
孫正義、藤田晋、三木谷浩史、Bill Gatesといった経営者もいるが、正直言ってあまり面白くない。田中将大、ダルビッシュ、浜崎あゆみ、田原総一郎などは、勢いでフォローしたが、これも今一。居酒屋社長に高成田享。友人知人はやっぱり顔が見えるせいか、しっかり読ませていただいている。

基本的にこれは政治家向きかもしれないと感じる。
とくに橋下さんのはマメに読んでいるが、論点が明確でわかりやすい。
難を言えばツイッターは字数制限があるため、主張がコマ切れとなる。
新しい呟きが上に来るから、自然と結論から読む事になる。
遡って読み返すのがちょっと大変だ。
だが、普段何しているかわからない政治家も、こうしたツイッターを見ると、こんな事をしているのか、考えているのかとわかるのがいい。

変わり種は元航空幕僚長の田母神俊雄氏だろう。
この人は侵略戦争否定論文で有名になった人だが、その主張はその後もまったくブレていない。「日本核武装論」なんかも展開しているから、普通の人が聞いたら危険分子としか見ないだろう。だけど、よくよくその真意を聞けば、賛否は別として非常に筋が通っている。
ある意味我々日本人は「戦争と平和」論においては、一定の考え方に呪縛されているから、こういうモノの見方に触れて考えてみるのはいい思考トレーニングになると思う。

自ら呟くのはやっぱり反応がわかるフェイスブックの方が面白い。
だが、しっかりとした意見をきっちり読めるのはツイッターだ。
両方とも毎日アクセスしているが、当分はこういう「使い分け」が良さそうだと思う。
それにしても、そんな事やあんな事で、ますます時間が足りなくなっていく日々が恨めしいのである・・・


【本日の読書】

『小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ』平川克美
『ずるい考え方 ゼロから始めるラテラルシンキング入門』木村尚義




2012年7月14日土曜日

教師と親と・・・

小学校6年の娘のクラスは今問題を抱えている。
男の子を中心に反乱が起こり、女性の担任の先生はとうとう休職に追い込まれてしまった。
緊急、そして臨時と二つの保護者会が開かれたものの、校長先生は問題先送りに終始。
(ええ、その件につきましては新しい先生が来ました時に・・・)
だいぶ父兄の顰蹙を買ってしまったようである。

中心となっている悪童が一名(悪童1号)。
その影響下で共に行動しているのが2名(悪童2号、3号)。
雰囲気によって影響されるその他大勢という構図。
対応策として、親が教室で見張りをする事に。

ところが毎日出てくるのは悪童3号のお母さんだけ。
中心となる1号のお母さんは仕事もあってほとんど来ない。
学校公開の時にはみんなに交じって来たものの、その場でも態度の悪い我が子を注意しようともしない。そうしたスタンスに、父兄の中からも疑問の声も上がっている。

担任代行の副校長は、妻に言わせると「言っている事は正しいが、言い方がまずい」。
副校長の対応にも疑問の声。
そして臨時保護者会では、ついに副校長と悪童1号のお母さんが真っ向から衝突。
筋から言えば副校長の方が全面的に正しいが、そのモノ言いに悪童1号のお母さんが逆ギレしてしまったらしい。
どっちもどっちで、非常に居心地の良くない保護者会になってしまったようである。

当事者以外には面倒な事態である。
まずは根本的な原因として悪童1号の問題行動がある。
そうした行動がどこから来ているのか。
転校生だと言うが、親の言動からすれば家庭環境に問題があるのかもしれない。
真の原因がわかれば、必然的に対応法も決まってくる。

親に正論をぶつけるだけでは解決できないかもしれない。
我が子は誰だって可愛いだろうし、将来きちんとした大人になって欲しいと思うだろう。
それには今ここでしなければならない事がわかれば、協力はしてくれるだろう。
働いていて難しいなら、誰か他に頼るという考え方もある。
保護者会に集まった親に協力を呼び掛けてみれば解決できる問題なのかもしれない。

悪童は悪童、その親はモンスターペアレンツと決めつけないで、彼らが抱えている問題を解決して上げるというスタンスが学校側にあれば望ましい事だ。
一番中心となるべき校長先生は、「来年春にはみんな卒業してメデタシメデタシ」と思っていると思われても仕方ない対応振りだ。

悪童1号を個別に呼び出してよく話を聞いてみる。
親(できれば両親)と個別に面談して学校での子供の態度を説明し、家庭での様子を聞き、親としての考えを聞く。
面倒だが、私だったらこういう事から始めてみると思う。

今大阪の橋下市長はツイッターで、公務員教師の改革案を盛んにぶち上げている。(対象は教師だけではなく公務員全般に広く及んでいる)
「公務員という身分に守られていてはダメだ」という一連の意見は確かに傾聴に値する。
だが親の評価を気にするのもいかがなものかと思う。
親がいくら文句を言おうと、未来の日本を背負う人間を真剣に育てようとしているのなら、そういう先生こそ支持したいと思うし、そのために身分を心配しなくてもいい公務員の方が都合がいいなら、公務員で良いだろう。

だが、時間が経てば制度も疲弊し、身分の安定こそが第一となってしまうのも摂理なのかもしれない。
「教師は聖職」
「先生の言う事こそが間違いなく正しい」
「学校で先生に怒られたなんて言えば、それだけで家で親父に猛烈に怒られた」とかつて父は語ってくれた。
戦前の教育も、部分的には良かったのだと思う。

先生には教育に対する熱意を、親にはそんな教師への信頼と協力こそがあれば良いと思う。
互いの悪い点を探すのは簡単だが、大事なのは悪童1号の未来と同じクラスの子供たちの未来だ。今一度その事実を認識するところから、ほつれた糸を解きほぐすべきだと思う。

自分自身、その他保護者の一人として何かした方がいいのだろうか、できるのだろうか。
そんな事もあわせて考えてみないといけないだろうなと思ってみたりしたのである・・・
   
  

2012年7月10日火曜日

教師という存在

少し前の事、母校の高校の校長先生とお話をする機会があった。
今年で定年であるという校長先生に定年延長はできるのかと尋ねてみた。
すると、我が母校は校長先生の希望者が多くて難しいのだと言う。
比較的レベルの高い高校の校長職は、人気のあるポジションらしい。
それに大概が教育委員会経験者がなる事が多く、コネのようなルートも暗にあるらしい。
いずこも同じようなものなのかもしれない。

一方それに対して公立小学校の校長職は、人気がないのだと言う。
言われてみれば、我が子供たちの通う小学校の校長先生は、今年定年延長して続投している。
要するに、「偏差値の高い高校は問題児が少なくて楽」なのに対し、「モンスターペアレンツや学級崩壊など負担の大きい小学校は大変」というわかりやすい理由が背景にあるようである。

確かに、我が娘のクラスでは、男の子たちの反乱で担任の先生は休職に追い込まれてしまった。緊急保護者会、臨時保護者会が立て続けに開催されているが、問題の矢面にたっている校長先生は、のらりくらりと問題の先送りに終始し、父兄の顰蹙を買っている。
副校長は娘のクラスの臨時担任となっているが、気合先行で怒鳴っているばかりで、生徒たちの評判は今一のようである。

我が妻も、だいぶ腹に据えかねているようであるが、何か言い過ぎれば「モンスターペアレンツ」と言われかねないかという心配もあり、また娘の受験を控えて内申書の事を懸念する気持ちもあって、言いたい事をこらえているようである。
(そのとばっちりは、もちろん私が全面的に受ける羽目になっている)

教師は聖職と言われていた時代があったが、今はどうなのだろうとふと思う。

週末に高校の同期会があり、久しぶりに同期の面々と顔を合わせると同時に、先生ともお話をさせていただいた。そのうちの一人である数学の先生は、担任ではなかったが、ラグビー部の顧問という事もあって私の事をよく覚えていただいている。生徒から見れば先生は数少ないから忘れようもない。だが先生からすれば、在職期間中に指導する生徒の数は膨大だし、とても覚えきれないだろうと思う。

その数学の先生も担任したクラスの生徒を覚えるので目一杯だと語ってくれた。
それでも私の事は覚えてくれていたようで、高校時代の私のエピソードも話してくれたりしてありがたく思った。ラグビーの“ラ”の字も知らないのに顧問を引き受けていただき、休日の試合にも足を運んでいただき(顧問が付き添わないと対外試合はできなかった)、それはすなわち休日出勤なわけで、後から思えばありがたかったとつくづく思う。

小学校から大学までの16年間を振り返ると、多くの友人たちと共に先生の思い出もある。
記憶に残っている先生もいれば、そうでない先生もいる。
ただ覚えているというだけでなく、印象深く心に残っている先生は、何となく我々に対する愛情が深かった気がする。先生もやっぱりサラリーマンなので、我々サラリーマンが日々感じているような事を感じていたのだと思う。
そんな中で、生徒に対するスタンスこそが、生徒の心に残るか否かを決めるものなのかもしれない。

自分の仕事が相手の人格形成や学生生活に影響を与えるという意味では、先生の仕事というのはやっぱり意味合いが大きい。今でも十分“聖職”なのだと思う。
単なる就職口の一つとして考えるのではなく、楽だからとか、大変だからとかを判断基準にして欲しくないような気がする。
先生の社会的地位も、もっと高くないといけないのかもしれない。

戦前の姿が良いか悪いかは別として、社会的な地位が高ければ、もっと使命感に燃える先生が集まってくるのかもしれない。当然、先生を見下すような親の態度は論外だ。
年下の先生であっても「先生は先生」というムードが出来あがれば、もっと違うのかもしれない。

週末の夜に、そんな事を考えたのである
・・・


【本日の読書】
【CD-ROM付】『お金の科学~大金持ちになる唯一の方法~』ジェームズ・スキナー
『プーチン 最後の聖戦 ロシア最強リーダーが企むアメリカ崩壊シナリオとは?』北野幸伯

2012年7月7日土曜日

決めた!

初めてアメリカに行ったのは、1999年の事だった。
ラスベガスに遊びに行って、カジノそのものよりも街全体がレジャータウンという雰囲気に圧倒され、毎日睡眠時間3時間で街を堪能した。
一方その時感じたのは、「アメリカ人はデブが多い」という事だ。
それも小太りなんてかわいいものではない。
もともと体格がでかいから、関取かと思うくらいのレベルだ。

あるレストランに入った時の事だ。
ちょっと小腹が減ったからなのだが、もう夜中だった事もあって(深夜の12時を過ぎていた)、軽めにシーザーサラダをオーダーした。
出てきた一皿に夫婦で目を見張った。
何人分かと思うくらいの山盛りだったのだ。

隣のテーブルでは、老夫婦がかなりのボリュームのステーキをぱくついていた。
後で見たら半分くらい残していて、「もったいない」と思ったものだが、アメリカの問題を身近に感じた旅行だった。

 肥満度を計る際に用いられるBMIは、『BMI= 体重(kg)÷身長(m)÷身長(m)』で求められる。
日本肥満学会ではBMIの値が、
18.5未満=「やせ」
18.5以上~25未満=「ふつう」
25以上=「肥満」
としている(WHOでは25以上を「太りすぎ」、30以上を「肥満」)。

 英ロンドン大衛生熱帯医学大学院の研究チームが発表した調査結果によると、2005年現在、BMIが25を超える「太りすぎ」の超過体重(余分な肉の重さ)は世界合計で1,548万トンで、これを維持するエネルギーを国別に比較した肥満ランキングは、1位が米国だという。また、BMIが30を超える「肥満」の超過体重の世界合計は352万トンで、その3分の1が米国にあるというから、あの時ラスベガスで感じたのは間違いではなかったという事だ。

調査報告は、さらに全世界が米国並みの肥満者の割合に達した場合、食料の需要は5800万トン増加し、世界の人口が新たに9億3500万人増えるのに相当すると結論付けている。
途上国の人口爆発が、世界に深刻な食糧危機を招くという説があるが、その前にもっとなんとかしないといけない問題があるという事だろう。
ちなみに先の肥満ランキングでは2位がクウェートで、3位がクロアチア、日本は155カ国中、118番目となっている。何だかイメージと合わない気がするが、日本は優等生と言えるみたいだ。

こんな事を考えたのも、最近体重が増加傾向にあるからだ。
1年前と比較すると5キロ近く増えている。体重だけをみると、学生時代とほとんど変わっていないから、かなり優秀だと言えるかもしれない。
しかし、学生時代は鍛えぬいた筋肉を身に着けていた。
今は自分でもわかるくらい筋肉は落ちている。
贅肉と筋肉とでは筋肉の方が重い。
同じ体重でもその“質”は明らかに違う。
安心してはいけないわけだ。

会社で同じフロアーの先輩は、最近体を鍛えているらしい。
夏になって半袖のYシャツ姿を見たら、明らかに体が盛り上がっているのでわかったのだ。
別の同期の男はフェイスブックを見ると、ゴールドジムに頻繁に通っている。
一度体を鍛えた男の本能なのだろうか、この年代でもまだ意欲は衰えていないらしい。
そういう自分も、“意欲だけは”衰えていない。

恐る恐るBMIを計算してみたら、「25.48」だった。
なんと「肥満」だ。WHOの規定では「太りすぎ」だ。
学生時代の体型なら笑って認めるゆとりがあっただろうが、今の自分にこの言葉はきつい。
(ちなみに小数点第2位まで計算しているのは、決して涙ぐましい努力ではなく、計算式がそうなっているからだ)

体型がはっきりわかる夏だし、ちょっとそろそろ引き締めないといけないかもしれない。
「週末の夜中に映画を観ながらお菓子をつまみに酒を飲む」という行為は、残念ながら少し控えた方がいいかもしれない。「もういいや」と思った時が終わりの時。
サミュエル・ウルマンも「青春とは心の持ち方」だと言っているし、心の肥満だけは回避しないといけない。

この夏、せめて「ふつう」レベルに戻そうと思うのである・・・



2012年7月1日日曜日

小沢一郎

消費税の増税がいよいよ決まる事になりそうであるが、新聞紙上ではそんな事より小沢一郎の動きで忙しい。今さらピントのボケたマスコミに、本当の実態など期待しても仕方がないが、政治家のやっている事はどうもよくわからない。

消費税の増税によって、何がどう変わるのか。
果たして我が国の財政はそれで再建できるのか。
できるとしたら、あるいはできないとしたら、次にどうするべきなのか。
本当はもっと今後の我が国のあり方を議論すべきだとは思うのだが、マスコミの関心は民主党の造反議員がどうだとか、小沢さんの新党がどうだとか、そんな事ばかりだ。
政治家もマスコミも相変わらず嘆かわしいばかりだ。

言っている事だけを純粋に捕えれば、小沢さんの主張が一番まともだ。
「増税だけが先行するのは国民への背信行為で、嘘つきと言われても仕方ない。社会保障、年金、医療も我々の改革案を掲げて政権交代を実現した。それを一切棚上げし増税だけを先行するのは国民が決して納得しない。」
問題は、それが本心からなのか、あるいは自分が首相になるための、党内で主導権を握るためだけの詭弁なのかわからない事だろう。

それにしても、小沢さんと同じく民主党で消費税増税反対・棄権等に回った民主党議員が57人。そのうち、小沢グループが43人だという。
マスコミであれだけ叩かれていて、明らかに国民の人気なんてないだろうと思われる小沢さんに、43人もの議員がついていくという事実に興味を惹かれる。

半数以上が、いわゆる「小沢チルドレン」と言われる当選1回の議員らしいが、なぜ「輿石チルドレン」ではなく、「鳩山チルドレン」でもなく、ましてや「菅」「岡田」「野田」でもなく「小沢」チルドレンなのか。
可能であれば、追求してみたいところだ。

自民党でかつて大権力を誇った田中角栄さんは、アメリカの不評を買って潰されたという話がある。アメリカよりも先に中国と国交を回復し、いち早く中国との友好関係樹立に走った田中角栄の動きを気に入らなかったアメリカは、ロッキード事件で田中角栄を葬ったというのである。
事件はアメリカで公けとなり、東京地検特捜部もアメリカ側から次々と証拠が出てきて、非常にやりやすい裁判だったらしい。

そんな事が頭にあったから、民主党が政権を奪還し、小沢さんが米中等距離外交を謳いだした時、「大丈夫なんだろうか」と思ったのだが、今その通りになっている。
本当に裏でアメリカの意向が働いているのかどうかはわからない。
ただ、東京地検特捜部が起訴を見送った(すなわち勝てる見込みがないと判断した)陸山会の裁判で、一弁護士が無理やり起訴してしまうなんて動きを見ていると、まんざら嘘でもなさそうな気がする。

もともと天の邪鬼な性格なだけに、マスコミが狂ったように小沢批判をすると、一層「そんな事はないんじゃないか」と思ってしまう。
小沢一郎という政治家の本当の胸の内はわからない。
国民の事、我が国の事を真剣に考えているのかもしれないし、実は腹黒くて権力欲だけで夫人の手紙にある通りの人なのかもしれない。

ただ人間性はともかく、発言だけをとらえると、昔からすっと腹に落ちてくる事を主張している事は確かである。まあ政治家はみんな良い事を言っているのも事実ではあるが・・・
先日の菅さんも言っていたが、もう消費税を上げないと日本国の信用が損なわれ、金利が上昇し、それはギリシャのような国家財政の破綻につながるのだと言う。
個人的には、「やる事やってから上げても十分間に合う」とは思うのだが、そう言うならそれでもいだろう。

常識的に考えれば、消費税の増税が成立したら、後回しにしている議員定数や公務員の人件費やらその他の無駄の削減に着手してくれるに違いない。
大山鳴動して何とやらという事にはならないようにしてもらいたいものである。
いずれにせよ、小沢さんのニュースは今後も当分メディアに賑わしていくのだろう。

興味を持って、かつメディアの偏見に惑わされないように、注目していきたいと思うのである・・・