2012年12月31日月曜日

2012年年末雑感

大晦日。
早いものでもう2012年も終わりである。
終わりよければすべて良しという言葉があるが、良い年だったと思うにはちょっと厳しい年だった。それは仕事でもそうだし、親子関係・夫婦関係でもそうだ。
それ以外にもうまくいかずに悪戦苦闘しているものがある。
人生に試練は付き物だと思うが、自分の場合、ちょっと重すぎるのではないかと最近感じている。

娘は中学受験に備えて勉強している。
年末年始も塾通いだ。
お受験などバカにしていた私だが、最近では都立高校も中高一貫化しており、我が娘が目指す地元の都立高校もそうなってしまったから仕方がない。

それにしても自分の小学校6年の時と比べると、娘は遥かに勉強している。
同じ学年で比較すれば早くも親を越えたと言える。
親としては子供にどんな影響を与えられるだろうかとよく考えている。
基本的に財産はそんなに残せないから、それに代わる無形の資産をたくさん残してやりたい。
それにはいろいろと語って聞かせる事だろうと思う。

息子は今日本の歴史にハマっている。
特に戦国武将に興味を惹かれているようである。
一緒に風呂に入るとあれこれと質問してくる。
大した答えができるわけではないが、それでも思いつくまま答えていると、目をキラキラさせながら聞いている。こういう瞬間を大切にしたいところだ。

嫁姑問題は、一朝一夕にはいかないだろう。
自分ですべて解決できるとは思わずに、周りの手も借りながら少しずつ歩みを進めていくしかない。自分の事でないから、なかなか難しいところだ。
今年がどうだったかという事も大事だが、来年どう生きるかはもっと大事。
やっぱり「昨日よりも今日」、「今日よりも明日」と日々より良く生きたいと思う。
常に良き夫、良き父親、良き息子、良き友人であるかを自らに問いかけていきたい。
そしてそれに応えられるように、今日も明日もより良く生きたい。

ありきたりではあるが、一日一善の善行を心掛けていば、最後にサイコロの目が良い方に出るかもしれないと信じてそう行動したい。
小さな事でも構わないから、来年はそんな日々を過ごしてみようと思う。
また明日から新しい一日、新しい月、新しい年が始る。
顔を上げ、前を向き、常に前傾姿勢で倒れる時も前に倒れる。
そんな姿勢で行きたいと思う。

より良き明日に備えて、2012年の完了キーを押したいと思うのである・・・


【本日の読書】

「完全なる経営」A.H.マズロー
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」増田俊也


2012年12月28日金曜日

難問(嫁と姑)

底荷のない船は不安定でまっすぐ進めない
一定量の心配や苦痛・苦労はいつも誰にも必要である

ショーペンハウアー
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誰にでも悩みごとの一つはあるものだと言うが、やっぱりそうなのだろうか、とふと思う。
今の自分にも頭の痛い問題がある。
それが嫁姑問題である。

結婚した頃は、嫁姑問題なんてどこか他所の話かと思っていた。
今の妻と結婚しようと思ったのも、この女性なら母親ともうまくやってくれるだろうと思ったのが理由の一つでもあった。いずれ両親が年老いたら同居も、などという考えも抱いていた。すべて幻想となった今、何が悪かったのだろうと考えてみるも、これという理由は思い浮かばない。

その昔は、結婚とは「嫁をもらう」事であり、女は文字通り家に入って嫁となった。
「嫁ぐ」とはそういう事であった。
家に入ればそこには既に君臨している女帝がいるわけで、厳しい指導にお嫁さんも苦労したし、そこから衝突して嫁姑の争いとなったのだろう。
だが今は、我が家もそうだが、互いに独立した家庭であり、そんなに接点があるわけではない。なのにどうしてうまくいかないのだろうか。

原因は姑、つまり私の母親にある。
というか、あったと言った方が正しいかもしれない。
妻もはじめから喧嘩腰で結婚したわけではない。
始めは、旦那の母親に気に入られようという健気な気持ちであったと思う。
それが母親の「悪気はないけど余計なひと言」、「軽い気持ちで言った傷つく一言」が積み重なり、次第に反発を覚えていったようである。

人間、感情は隠していても態度に出る。
やがて、母親に対する反発心が知らず知らずのうちに態度に出る。
それを母は面白くないと思うし、時として気分を害する。
もちろん、何で妻がそんな態度を取るのか思い当たる節は何もない。
「自分は娘ができたと思って仲良くしたいのに・・・」と言いつつも、そんな態度に対する不満がまた余計な一言になって表に出てくる。
あとはその泥沼のような連鎖である。

双方その不満のはけ口は、間に立つ人間、すなわち私に来る。
私もまた事態を軽く考え、真剣に受け止めなかった。
「またこんな事を言われた」→「気にしなければいいじゃん」
「何でああなの?普通は○○するでしょう」→「世代も違うし、自分たちの常識をあんまり押し付けるのもどうかと思うよ」
積もり積もった積年の思いが、ついに先日火をふいた。

直接衝突したわけではないが、妻の怒りの矛先は鋭く私に向けられた。
双方からその言い分をじっくりと聞く。妻との話し合いは、深夜にも及ぶ。
双方それぞれ言い分があり、双方それぞれもっともである。
大体、喧嘩なんてそんなものだ。みんな自分には自分の正義があるのだ。
どちらも正しいから答えは出ない。長い年月の経過は、その原因を曖昧にする。

アラブとイスラエルの紛争が良い例だ。
どちらの主張にも正義があり、だからこそ解決が難しい。
互いに歩み寄る気持ちがあれば、と思うのだが、それも「相手が非を認めるならば」と双方が考えている。何とかうまく取りまとめようと何度も試みたが、双方それぞれを立てるとそれぞれから反発を喰らう。
「母親に何も言えない」
「嫁の言いなりになっている」
双方からの私に対する批判は手厳しい。

今のところ解決の糸口は見えない。
双方もう少し寛容にとも思うが、それは私の立場だから言える事なのだろうか。
解決できない問題はないと言われるが、こればっかりは難しそうだと思うのである・・・

 

2012年12月20日木曜日

選挙雑感2012

選挙が終わった。
事前の予想通りの自民党の圧勝。
前回は民主党が怒涛の大勝利。
その結果はともかく、これだけ大きく振れるのはどうなんだろうという気がする。

自民党もこの勢いで国民の期待に応えてくれればいいのだが、自ら自滅して政権を開け渡した3年前からどれだけ復活できているのだろうかという気もする。
私が投票した地元の議員さんは見事小選挙区で当選を果たした。
自民党の議員さんだが、「自民党だから」という理由で投票したのではない。
個人的に頑張っているなと感じての投票だ。

前回の選挙でも投票したのだが、前回は民主党旋風の前に小選挙区で落選し、比例代表で復活していた。今回は堂々の小選挙区での、それも圧倒的な勝利であった。
そして前回、「民主党だから」という理由で当選していた議員さんは、残念ながら落選。
選挙前に民主党を離党し、今度は「民主党だから」という理由で落選するのを回避しようとしたようだ。さらにそれだけでは不安だったのか、直前になって日本未来の党の看板を掲げて選挙に臨んだのだが、我が選挙区の選挙民はそれほど甘くはなかったようだ。
「看板頼み」も限界があるだろう。

民主党も、大物議員が次々と落選するという逆風下でも、立派に小選挙区で当選している議員さんはいる。こういう人は勝負できる「自分の看板」がしっかりとあったのだろう。
政治家だったら、やっぱり「自分の看板」で勝負できるようでないとダメだろうと思う。

比例代表は、今や大物議員さんの「セーフティネット」みたいになっている。
今回は菅直人前首相もこれで救われている。
個人的には比例代表制も悪くはないが、今のあり方はどうかと思う。
本当は比例代表はもっと数を減らし、「自分の看板」を持たない有望な若手議員を並べ、政界でキャリアを積んだ議員は、「自分の看板」で勝負するのが理想のような気がする。

若手議員はキャリアを積むにつれて比例名簿の順位が下がるようにしておく。
次の選挙までに自分の看板を作らないと、その先はない。
そうなると、必死で頑張るのではないかと思ってみたりもする。
まあ保身に忙しい政治家の先生に、そんな制度を受け入れる度胸はないだろう。

前回の選挙の時に思った事を読み返してみたが、ある程度民主党政権の失敗はわかっていたのだと改めて思う。前回感じた通り、民主党にとってみれば、ここで膿を出せれば次回また機会が巡ってくるのではないかと思う。「権力は腐敗する」との格言通り、一党支配はやはり良くない。今回は第三極と言われる勢力が出て来たが、いずれ二大政党くらいにはなってほしいと思う。

選挙に行く朝、長女から「どういう基準で選ぶの?」と聞かれた。
子供からの純粋な質問に時として戸惑う事もあるが、この時もそうだった。
「みんな『選挙で当選したらこんな事をやります』と言っているから、それをよく聞いて選ぶんだ」とありきたりな答えをした。
しかし、基本はそうだ。

前回は民主党の勝利後、マスコミはこぞって「マニュフェストに拘るな」と大合唱し、私の周りでもそれに賛同する人が多かった。
私は一人、「拘らなくては困る」と言い続けていた。
当選したあとに手のひらを返されたら困るからだ。
そして今、野田さんは「マニュフェストになかった消費税増税をやった」と批判されている。
いい加減なマスコミだから、国民ももっと考えて行動しないといけない。
右に左に極端に振れるのは、考えていないからに他ならない気がするのである。

政治家は国民の姿を映す鏡。
政治家が情けないと思うなら、それが日本国民の姿だと考えないといけない。
韓国の大統領選の投票率は75.8%だったという。
それに対して我が国は59.6%。
この投票率の低さこそが、大きな問題だろうと思えてならない。

さて、安部総理は日本では珍しい「返り咲き」総理だ。
前回は途中降板だったが、今回は先発完投を目指してほしい気がする。
もうコロコロ総理大臣が代わるのはみっともないし、せっかくだから大いに期待したいと思う。

また次の総選挙の時にはどんな事を感じているだろう。
その時またこの文章を読み返してみるのを楽しみにしたいと思う。
あっ、衆議院の影に隠れてしまったが、同日行われた都知事選では猪瀬副知事が当選した。
かねてから著書を読んでいた事もあって、清き一票を入れさせていただいた。
オリンピック誘致はいかがかと思うが、こちらも頑張ってほしいと思うのである・・・


【本日の読書】

『13歳からの道徳教科書』
『海賊と呼ばれた男(下)』百田尚樹
            

2012年12月11日火曜日

より良く生きるために

智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。

(草枕)
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およそこの世は人間関係がほとんどすべて。
仕事でも家庭でもその他においても。
人間社会の中で生きていくには仕方のない事であるが、この人間関係というものが世の幸不幸の大部分を占めているような気がする。

そしてその人間関係の鍵となるのが、「言葉によるコミュニケーション」=「言葉のキャッチボール」であると思う。「モノは言いよう」と言うが、本当にこの言葉の使い方一つで、同じ事を言っていてもまったく結果は違ってくる。「そういう言い方はないだろう」と、文句を言いたくなる事は日常茶飯事。言い方一つで気分を害する例は枚挙に暇がない。

20代の頃は、棘のある言葉に接すると、真っ向から歯向かっていた。気分が悪い時は、相手を不快にさせるとわかっていて、そういう言葉を使った事もあったと思う。
30代で多少考え方が変わった。
そうあちこちで対立ばかりしていても疲れるだけだと悟ったのだ。

また、気持ちの良い対応をされると嬉しくなるのは誰でも同じだろうが、自分もまたそうであった。それに輪をかけたのは、片思いの影響もあった。
どうしたら、意中の女性に愛されるのだろうかと考えたら、他人と勇ましく対立ばかりしている人間が対象になるとは思えなかったのだ。

40代になって、『自分が源泉―ビジネスリーダーの生き方が変わる』という考え方に触れた。
「目の前のすべての結果は自分が作り出していると考える」考え方は、自分にしっくりとくるものだった。だがそれでも、何気ない相手の一言や対応に腹の立つ事は絶えない。
仕事でも家庭でも極力感情を抑えようとはしているものの、なかなか難しいところがある。

そんな時に「距離を置く」というのは一つの解決策だ。
嫌な相手とは接触の機会を断ってしまえば、それ以上ストレスは感じないで済む。
しかし、仕事でも、そして家庭では特に逃げる事はできない。
であれば、正面から受け止めるしかない。
最近ようやくこの受け止め方がわかって来た。

相手は相手なりに自分が正しいと思っている。
そしてしばし、そこに悪意はない(と考える)。
時に鈍感になり、言葉の棘の痛みをやり過ごす。
自分で転んだ時は、痛くても誰にも当たれないように。
相手が悪意で言って来ても、『自分が源泉』の立場に立てば、それを言わせたのは自分だとなる。

考えてみれば、「キャッチボール」は「キャッチ」ボールであって、「スロー」ボールではない。投げるのではなく、捕るのがキャッチボールなのである。
相手の胸に向けて、(取りやすい)ボールを投げるのがキャッチボールの基本とされているが、実は相手の投げたボールを、例え取りにくくても頑張って捕るのがキャッチボールの本来の意味なのかもしれない。

そう考えれば、言葉のキャッチボールも受け止め方が大事だと言えるだろう。
自分にはまだまだ練習が足りないと改めて思う。
人生もそろそろ半分を過ぎただろうし、好きな事をして楽しく毎日を暮らしたいと思うが、それには上手な言葉のキャッチボールが必要だと思う。

元旦に「今年一年は家では腹を立てない」と決めた。
もうそろそろ期限を迎えるが、今のところはうまくいっている。
相手が気分がよければ、それは自分にも伝播する。
上手なキャッチボールは何よりも自分のより良い人生に直接結び付く。
50になるまでまだ少し時間がある。

それまでにはこの境地をもう少し極めたいと思うのである・・・

【本日の読書】

『マスタースイッチ「正しい独裁者」を模索するアメリカ』ティム・ウー
『海賊と呼ばれた男(上)』百田尚樹

2012年12月6日木曜日

雨について思う

先日家族でディズニー・シーに行った。
この時期我が家恒例の年中行事である。
しかし空は生憎の曇り空。
天気予報は無情の「夕方から雨」を告げていた。
そして、その通り暗くなると同時にパラパラと雨が降り出した。

雨は降っても困るし降らなくても困るという、考えてみれば誠に奇妙な現象だ。
しかしながら雨というキーワードで過去を振り返ってみると、せっかく後楽園球場に野球を観に連れて行ってもらったのに試合が中止になってしまったりとか、旅先で恨めし気に空を見上げたとか、そんなネガティブなものが多い。
「恵みの雨」とは言うけれど、よくよく考えてみればそれは農家の人たちとかで、我々都会人にはやっぱり煩わしいものであるようだ。

妻などはよく「洗濯物が乾かない」と嘆いているし、それは主婦にとっては共通の認識でもあるだろう(そういう妻は小学生の頃、運動会の前の日に真剣に雨乞いしていたそうである)。
都会人にとっては、雨は嫌われ者と言えそうだ。
いざという時の雨は、本当に嘆かわしいものだ。
もっとも私自身は自称「晴れ男」なので、雨に泣かされる事は少ない方かもしれない。


雨で印象深いのは、やっぱりラグビーだ。
高校に入ってラグビーを始めた時、一番驚いたのが、「ラグビーの試合は雨でも中止にならない」という習慣だ。それまで野球をやっていたから、これはちょっとした驚きだった。
困ったのは、「だから練習も中止にしない」という最もな理屈。

それでも主要グラウンド(通称A面)は学校が使わせてくれなかったから、雨の日の練習はもっぱら通称“C面”と 呼んでいた、グラウンドというよりも体育館の裏の空き地だった。
狭いから大した事はできず、もっぱら地面のボールを滑り込んでキープするような練習ばかりさせられた。練習後の姿は想像するに難しくないと思う。

年に一度の夏合宿では、やっぱり辛くてみんなで雨乞いをした。
「雨でも練習する」という習慣を忘れたわけではなかったが、それでも雨乞いせざるを得なかった。「ひょっとしたら」という奇跡にすがったと言えるが、結果はやっぱり雨の中で練習は続けられた。

当然試合も雨の中で何度もやったが、相手も同じ条件とは言え、実力が十分発揮できたとは言えない。ボールはすべるし、ぬかるみに足は取られるし、動きも大きく制限されてしまう(もっとも最近は人工芝化も進んでいるので、状況も少し違うかもしれない)。

雨の日の試合は、やっぱり悲壮感が漂う。
ドラマでも、傷心の主人公が雨にずぶぬれになるのは定番のパターンだが、雨にはそういう効果がある。「涙雨」という言葉があるくらいだし、「氷雨」は悲しい内容だし、雨がふって楽しいのは童謡くらいではないだろうか。

外出する時に雨というのはやっぱり鬱陶しい。
しかしながら、この世に生きていく以上、雨は避けられない。
避けられないものなら、それなりに受け入れるしかない。
それが休みの日だったりしたら、諦めて晴耕雨読の精神で穏やかに過ごしたいと思うのである・・・



【本日の読書】

『マスタースイッチ 「正しい独裁者」を模索するアメリカ』ティム・ウー