2011年3月31日木曜日

休止中のATMに思う

日中仕事で外出して、ふと思い立って駅の改札口横にあるATMに立ち寄った。
確か改札口の横にあったなと記憶していたのだ。
ところが、あるにはあったが休止中だった。
張り紙には「節電のため」と書かれていた。
まあ仕方ない。

その時なぜだか、社会人3年目くらにの時に行った香港の事を思い出した。
香港支店に赴任していた先輩を訪ねて遊びに行ったのだ。
香港の街並みは興味深かったが、私も銀行員とあって、何より興味を惹かれたのは現地の銀行。
そして一番印象に残ったのは、街中にある24時間営業のATMだった。

当時日本では、ようやくATMが夜何時まで開いているという状態だった。
24時間営業のATMなど一台もなかった。
先輩にさっそくその疑問をぶつけてみた。
なぜ、香港で可能な24時間ATMが日本ではできないのかと。
そうしたら、24時間と言ってもよく札切れで使えないのはザラなのだと言う。
現地の人は、使えなければ使えないで他へ行くのだと言う。

だが、そんな事だと日本ではクレームものだ。
常にきちんと稼働しているのが当たり前だ。
ただ機械を動かすだけではなく、常に「サービスを提供しなければならない」のである。
そうした体系作りが必要なので、日本に24時間営業のATMが登場したのはずっと後になってからだった。

その時は、「日本人は何て子供なのだろう」と思った。
手取り足とり面倒を見てもらわないといけないなんて、と思ったものだ。
しかしあとから考えれば、そうした過剰とも言えるサービスを当然とするカルチャーが、日本の製品やサービスが高い品質を保つ原動力となったのである。
電車は常に時間通りに運行し、ATMはいつでも稼働し何かあれば電話ですぐに係員が駆けつけてくる。徹底した製品やサービスは、Made in Japan のブランドを燦然と輝かせている。

そうしたハイクォリティなサービスも節電の前に暗くなってしまっている。
間引き運転で朝は身動きも取れないラッシュに揉まれ、気軽に立ち寄れたATMは沈黙。
駅の構内も会社のトイレや食堂も薄暗い。
原発に頼らないようにするためにも、今後はこういうのも仕方ないのだろうかと思わず考えてしまう・・・

しかしなあ、と一方で思う。
こういう不便な状態から、またあれこれ考えるのも日本人なのではないだろうか、と。
ちょっと前までは、細り続ける家計を前に、省電力の家電製品が次々と発売されていた。
それらはこれからは、もう一つの節電という役割を担うために今後も開発され続けるだろう。
ディズニーランドは自家発電の方向に動くようだし、すでに電力の自由化で自家発電能力のある企業も増えている。一般にも小型のハイスペックな発電機なども売られるようになるかもしれないし、太陽光や風力などにもこれまでのエコ目的だけではなく、拍車がかかるかもしれない。

ピンチに嘆くばかりでなく、それを商売のネタにしてしまう逞しさも日本人にはある。
これから世界が驚くようなものを生み出していくのかもしれない。
スリーマイルで原発がストップしたアメリカ。
国内電力の8割を原発が生み出すフランス。
さて日本はどこに行くのだろう。
何だか楽しみな気もするのである・・・


【本日の読書】
「こんな言葉で叱られたい」清武英利
「フリーター家を買う」有川浩
     

2011年3月28日月曜日

原発問題について考える

さてまた一週間が始った。
相変わらずの節電で、朝の西武線も間引き運転が続いているが、さすがにもう慣れてきた。
以前よりも少し早く家を出て、以前よりも少しだけ時間をかけて、以前よりもかなり混んだ電車での通勤となっている。心配な原発もまだまだ収束の兆しが見えない。
一体どういう結末を迎える事になるのだろうか。
そしていつ元の生活に戻れるのだろうか。

そういう事を考えていくと、原発は今後どうなるのだろうかと思う。
日本の電力の3割は原発が担っているらしい。と言う事は、首都東京が以前と変わらぬ姿に戻るには、原発の稼働なくしてはあり得ないように思う。原発の近くに住んでいる人たちは、たぶん不安を抱えて暮らして行く事になるのだろうし、東京の人間は元に戻れば電気の源など気にもしなくなるだろう。いったいどうやって原発と付き合うべきなのだろうか。

東京の人間にとってみれば、今のような不便な生活を考えればやむなしとなるのではないかと思う。
しかしながら、宮城県の角田に住む 先輩Hは明らかに反対の立場だ。
たぶん原発に賛成か反対かを問うたなら、地元の人たちは反対し、東京の人たちは仕方なく賛成と答えるのだろう。それはどうかという気がする。

今の東京での豊かな生活を維持したければ、地方の人たちに原発を押し付けるのはいかがなものかという気がする。例えば先ほどの同じ質問でも、「では東京に原発を作りましょう」となったら、賛成に手を上げた人は同じ答えを口にするだろうか。
場所にもよるが、東京湾の埋め立て地に原発を作れば、環七道路の内側がほぼ半径20キロ圏内に入る事になる。みんな賛成するだろうか。
たぶん、東京電力なのになぜ福島県に原発があるのかという理由がそこにあるのだろう。

それだといけないだろうなという気がする。
普天間の基地の時もそうだったが、国のために我慢すべきだというのなら、自分がそれを受け入れる立場に立って発言しないといけない。
「東京には原発が必要だ」と発言するなら、自ら原発の近くに住む覚悟が必要だろう。
それが嫌なら賛成すべきではない。東京電力の役員になったなら、全員原発の近くに住むべきなのだ。

それが嫌なら節電にも停電にも文句は言うべきではないし、甘んじて不自由は受け入れないといけないだろう。私は、と聞かれたらやっぱり原発の近くには住みたくない。
「安全だ」という言葉に根拠がないのは今回よくわかったし、一度事が起これば被害は桁はずれだ。
住み慣れた家を、思い出の品々をすべて置いて、取るモノも取りあえず避難しろなどと突然言われるのなんて考えただけでも耐えがたい。

さてそうすると、今の不便な生活を受け入れるべきかとなるが、そもそも東京は贅沢すぎるくらい何でもそろい過ぎている気がする。
7割の発電量でも暮らしていけるように工夫しても良い気がする。
首都への一極集中是正をこの機会に本格的に検討するのもいいだろう。
電気料金を消費量に比例して加速度的に課金すれば、合理的な企業は対応を考えるだろう。

「足りなければ作る」という考え方は良いと思うのだが、ある程度まで行ったなら、「あるもので間に合わせる」という考え方に切り替える必要もあると思う。
それは国の財政にも当てはまる。打ち出の小槌などどこにもないのである。
福島の原発問題にどのような結末が待っているのかはまだわからないが、いずれ起こるかもしれない議論に際し、人に犠牲を押し付けるような考え方だけはすべきではないと思うのである・・・



【本日の読書】
「フリーター家を買う」有川 浩
「ロスト・シンボル(下)」ダン・ブラウン
     

2011年3月24日木曜日

非日常の日々雑感

何とも落ち着かない日々が続いている。それでも人間は慣れるものだとつくづく思う。
相変わらず必要以上の混乱を避けるため朝早く家を出ているが、それでも最初の頃の1時間早くから、今朝は40分早くとだんだんと家を出る時間も元に近付いている。
明日は以前より30分早くともう少し縮めてみようと思う。
地震がきて震度5と聞いても何とも思わなくなってしまった。
慣れとは恐ろしい。

そんなところに東京都の浄水場で基準値以上の放射線を検知というニュースが飛び出て来た。
ついに来たかと思うも、「健康にまったく問題ないレベル」という専門家の意見がきちんと付されている。「基準値以上の放射線検知」という事実を報道しなければならないという義務と、混乱を回避しなければという思惑とが入り混じったニュースだ。

しかし、よくよく考えてみれば、ではこの基準値っていったい何なのだと思う。
健康に影響のないレベルの基準値を決めて、何の意味があるのだろう。
本来なら、「ここを越えたらダメ」というのが限界線たる基準値なのではないかと思う。
決めたからには何らかの理由と意味があるはずなのに、それには触れられず、「健康に影響はない」というだけで済ますのもどうかと思う。

娘の小学校のクラスにこの時期に転校生が来たという。福島からと聞いて納得。
聞けば家は第一原発から10キロ以内の圏内にあるらしい。
もう帰れない、帰らないという思いから両親も転校させたのだろう。
同時に関西のおじいちゃんの家に行って戻って来ない友達もいるという。
身近なところでも様々な思いが行き交っている。

米軍はすでに80キロ圏内から退避しているし、横須賀の米軍も佐世保に移動するとかしないとかやっている。各国大使館でも似たような動きが出ていて、「裏でヤバイという情報を掴んでいるのではないか」という噂もある。逆の立場で考えれば日本人を避難させるだろうと思うから、そうした動きも個人的には気にならないが、疑心暗鬼の人からすればそうは思わないだろう。

政府も東京電力も信用できないと言う人は多い。
私も完全に信用できるとは思わないが、それでも「疑うのもほどほどに」という感覚だ。
ある在日ロシア人の人は、避難を勧める本国の家族に対し、日本は(チェルノブイリの時のソ連政府より)はるかに安心と回答したらしい。
放射線はあちこちで測定して公表しているし、(ロシア人)2億人のために(原発作業員)2,000人を平気で(危険性を伏して)作業させるような政府ではないからだそうだ。
風に揺らめく柳に怯えるようなものかもしれない。

ただそうは言っても不安は不安だ。
その原因はと言えば、「最悪のケースがわからないから」だ。
最悪こうなるとわかれば、その時自分はどうすべきかという判断ができる。
そこが決まれば、ではそこに至らぬ段階ではどうしようと想定できる。
私の場合はそれが安心の源になる。

心配したところで、事態はなるようにしかならない。
私にできる事と言えば、多少の不便には目を瞑り、節電を心がけながら日常生活を普段通りに送る事くらいだ。こういう事態になると、平凡なる日常生活というものが如何に尊いかがよくわかる。
そんな日常生活に早く戻りたいものである。

震度5の地震にびっくりするような日々を、早く取り戻したいとつくづく思うのである・・・


【本日の読書】
「大前健一の資本主義の論点」大前健一ほか
「ロスト・シンボル(上)」ダン・ブラウン
     

2011年3月21日月曜日

リビア空爆に思う

日本では震災一色である。
それが我々の第一関心事項なのだから当然である。
しかしながら、そうしている間にも世界は動いているわけで、それを改めて感じたのがリビアに対する空爆のニュースである。

内戦状態に入っていたリビアに対し、国連がリビア上空の飛行禁止空域設定などを盛り込んだ新たな対リビア武力行使容認決議案を賛成多数で採択した。
ここで注目したのは、英仏が中心になっている事だ。
今までであれば、当然アメリカが音頭を取っていたところだろう。
しかし、今回はそうではない。
最初の空爆を行ったのはフランス軍だし、アメリカは協力せざるを得ないという感じでの参加姿勢に思える。

おそらくもうアメリカにも主導権を発揮する余裕はないのであろう。
イラクでは石油利権確保という国益のために、「大量破壊兵器」だとか「アルカイダ支援阻止」などという名目を並べ立てて攻め込んだアメリカも、国際社会の反発と予想外の戦死者と厭戦気分とリーマン・ショックによる経済の疲弊とが諸々重なり、今回は手を出しにくいのだろう。
そこにアメリカの没落の始りを感じてしまう。

かつて読んだ「大国の興亡」という本では、覇権国家のライフサイクル論が語られていた。
スペイン・ポルトガルから始り、オランダ、英仏、米ソと覇権国家が推移してきた。
ソ連の崩壊により、アメリカが唯一のスーパーパワーとして君臨してきたが、それも下り坂に入ったのかもしれない。とはいえイギリス軍の使用したトマホークミサイルはアメリカ製だし、今も世界最大の軍事大国には変わりないし、一応アメリカも空爆には参加しているし、すぐに次の覇権国家が現れるという事もないのかもしれない。

さてその空爆であるが、表面上は国連決議を経て、正当性を強調してのものであるが、本当の理由は我々にわかるはずの事ではない。イラクではアメリカにみすみす奪われた石油利権だが、リビアはフランスからすれば地中海の向こう岸。もともとアメリカとは距離を置くフランスだし、自らのお膝元ゆえにしっかりと利権を確保しようとしたのかもしれない。
イタリアも名乗りを上げているのは、同じ理由からかもしれない。

国際情勢は表面上の建前とは裏腹に、しっかりと各国が国益に沿って行動しているようだから、表面上のニュースだけ見ていても真の姿というのはわからない。
マスコミの伝えるニュースだけ見ていたってわかるはずもない。
しかしそれにしても同じ国の中で二つに分かれて殺し合うというのも、何とも言えない事である。

国際社会が間に入って停戦させるというのは良い事だと思うし、本当は日本だってその役割を担うべきだと思う。
ただ国内の空想的平和主義者が唱える自衛隊の海外派遣反対論とは別にして、複雑に思惑の絡み合う国際情勢の中に出ていくのもいかがなものかとも思う。
日本人は根本的に外交下手だと思うし、いわゆるインテリジェンスは苦手としているから、下手に手を出さない方がかえって良いのかもしれない。

いつか日本の自衛隊も、国際社会の中で積極的な平和活動を求められる日がくるかもしれない。
ただその時までに、国民レベルで国際情勢というものについてきちんと理解できるようになっておかないと、魑魅魍魎の巣くう世界ではいいように利用されてしまうかもしれない。
こうしたニュースに触れた時は、いろいろと考えてみたいと思うのである・・・
    

2011年3月18日金曜日

震災雑感

仙台近郊の角田というところに住むラグビー部の 先輩H
いつも ブログを拝見しているのだが、震災以降ブログの更新が止まっていた。
何度もグーグルマップで場所をチェックしては、津波の被害はなさそうだし、大丈夫だろうとは思っていたが、ずっと気になっていた。
そうしたらようやく更新された。
何でも電気が止まっていたらしい。

電気はないが、プロパンガスが使え、なんと薪で暖も取れるという。
農家だから食料は十分。
不便だが、被災地ほど悲惨ではないようである。
というかむしろ逞しさを感じる。
関東では計画停電が実施されていて、幸い我が家は対象地域ながら停電にはなっていない。
改めて停電準備をしていたら、我が家では電気が止まるとすべて止まる事が判明した。

暖房手段のエアコンはダメ。
石油ストーブはあるが、家が高気密設計だから使い方は慎重にしないといけない。
ガスはスイッチがすべて電気だからこれもアウト。
風呂はもちろん、お湯も手に入らない。
角田の先輩に比べ、我が家はみんなでろうそくを囲んで布団に包まっているしかない。
何と脆い砂上の楼閣・・・

いつもより1時間早く家を出て、激混みの電車に揺られていつもより30分よけいにかかって通勤。
東京駅も地下通路の蛍光灯は半分で薄暗い。
帰りに寄ったスーパーも、薄暗く棚は噂通り空っぽ。
「戦時中みたい」と同僚が言っていたが、それは大げさとしてもこれはかなりの異常事態だ。

それでもみんな駅では辛抱強くきちんと並んで順番を待つ。
海外メディアでは略奪が起こらないと言う事で称賛されているらしいが、そんな当たり前の事が当たり前であるのは、やっぱり素晴らしい事なのだろう。
民主党が唱える「1,000万人移民政策」なんてやったら、こんな文化はたちまち壊れるに違いない、とあらためて思う。やっぱり移民政策など愚の骨頂である。

考えてみれば明るい街中、明るい通路に明るい店内、棚に溢れる商品群に我々はすっかり慣れ切ってしまった。電気も水道もふんだんに使え、年寄りが戦時中の苦労話をすると鼻白んだ。
こういう状態になってくると、改めてモノがある生活のありがたみを感じる。
被災地の状況から比べると、むしろもっと不自由した方が我々都民にとっては良いのではないかと思う。石原都知事の「天罰」発言は、被災地の人たちには不適切だが、我々都民にとってはある意味適切な発言ではないだろうか。

地震の犠牲者数はまだまだ増えそうだし、原発はまだまだどうなるかわからない。
今の東京の状態なんてまったく問題ではない。
もっと窮乏して一緒に痛みを分かち合うくらいでちょうどいいと思う。
子供たちにも空になったスーパーの棚を見せ、よく教え込みたいと思う。
今、我々都民は良い学びの機会を与えられていると思うのである・・・



【本日の読書】
「大前健一の資本主義の論点」大前健一ほか
「ロスト・シンボル」ダン・ブラウン

     

2011年3月16日水曜日

マスコミが国を滅ぼす

まさに国難と言える状況の毎日。
私も普段は1時間の通勤が、電力供給制限の影響による鉄道の混乱により、昨日は3時間、今朝は2時間半かかる有り様である。だが、そんな些細な事は気にもならない。
今は国民が一致団結して何かしないといけないが、私にとってそれはこうした不便をも喜んで受け入れる事ではないかと思うからである。ただ、どうも腹立たしいのはマスコミの報道だ。

普段からマスコミ嫌いの私だが、これでも就職の時はマスコミが第一志望だったのだ。
事件や事故・災害といった現場の最前線で取材するというイメージに憧れを抱いていたものである。
それが現実の姿を目にして失望に変わっていったのだ。
湾岸戦争でバクダッドから多国籍軍による空襲を報じたガッツのあるCNNに比べ、日本のマスコミはさっさと逃げ出した。まあそんな事はどうでもいい。

被災地の上空を飛ぶヘリから、ある学校の校庭に記されたSOSが何度もテレビに映し出された。
しかし、そこにどんな人たちがどのくらい避難しているのかは報じられなかった。
当たり前だ。高いところから見物しているだけで、降りてみないからだ。

もしかしたら、警察や消防などから規制されていたのかもしれない。
しかし、目の前にSOSがあるのに、「あそこに助けてと言っている人がいます」と安全なところから見ているだけなのはどういう心境なのだろう。
降りてどんな人たちがいるのか確認したっていいはずだ。
助けろとは言わないが、「助けを呼んでくるから」と励ますだけでもいいではないか。
降りて行ってそうして励ますシーンを流せば、それだけでもニュースバリューは上がると思う。

東電の計画停電も混乱している。しかしそれは仕方のない事だ。
平常時ならともかく、こうした異常事態で「ハイ第一グループ停電スイッチオフ!」などと言うわけにも行くまい。なるべく回避できないか、どうするのが最適か、混乱の中でやっているのだ。
それを「無計画停電」などとよくも言えたものだ。なぜ、「現場は混乱しているので、いつ停電になってもいいように準備しましょう」と言えないのだ。

東京電力のHPはアクセスが集中して一時開けなかった。
国民に伝えるのはマスコミの仕事だ。
東京電力から情報をもらってかわりに各社で流してあげればいいではないか。
なぜそうした助け合おうという行動に出ないのだろう。

原発についても政府の情報開示の遅さを非難するが、あやふやな情報を矢継ぎ早に出せば良いと言うものではない。それに現場は報告よりも先にやらなければならない事もある。
放射能だって「通常の何十倍」などと言われれば素人は青ざめる。
何十倍といったって、レントゲン1回で浴びる量の1/50程度なのに、だ。
いたずらに危機や不安を煽ってどうするのだ。

今朝のCNNの英語版トップページでは、真っ先に「Heroes battle to keep Japan」と出ていた。原発の現場で必死に作業する作業員を讃えている記事だった。
ヒーローを称賛するお国柄とは言え、目を向けるところがまるで違う。
一致団結して国難に対処すべき時に、自分たちはまさにヘリの上から優雅に見物し、安全なところから批判だけしているのである。

ツイッター上では「prayforjapan」のハッシュタグをツイートすると、応援メッセージが溢れんばかりだ。まさに今我々が持つべき気持ちがそこにはある。
第4の権力と言われるマスコミであるが、その正体は批判はしても批判はされない独裁権力だ。
自分たちこそが崇高な存在だと思いこんでいる。

原発から200キロも離れた安全な首都にいるのだ。
世界中が日本人の行動に注目しているのだ。
買占めなどに走るのではなく、他人を批判する前にサポートする事を考えればこんな国難は難なく克服できる。それを先頭に立って呼びかけるのがマスコミのあるべき姿だ。
そんなマスコミのあり方を見たら、20数年前に初志撤回して金融業界へ進んだ我が身を、今頃は死ぬほど後悔していただろう。

批判をしていても仕方ない。
そんな腹立たしい気持ちを抑え、原発で作業に当たる人たちに心でエールを送り、明日も通勤に何時間かかろうと、この首都東京で日本経済を担う一翼としての職務を全うしたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「大前健一の資本主義の論点」大前健一他
「ロスト・シンボル(上)」ダン・ブラウン




    


     

2011年3月12日土曜日

災害の夜

天災とはいつやってくるかわからないとはよく言ったもの。
普段であればあと少しで休みという安堵感の漂う金曜日の夕方の地震はまさにそんな感じだった。
人間はピンチの時こそ真価を問われるし、その人間性が出る とは常日頃から考えているから、これは尋常ならざる揺れだとわかった時も、咄嗟に考えたのはその事だ。

12階という事もあってオフィスはかなり揺れた。
船に乗っているような感覚だったし、壁がミシミシという音があたりに響き、かなり迫力はあった。
古いビルだという意識もそれに輪をかけた。
もしや倒壊するビルでもあるかもしれないと窓際に立って一人外を眺めていたが、その間もブラインドが揺れて窓にあたり、ガタガタ音を立てていた。
オフィスの同僚たちは揃いもそろって机の下に潜った。
冗談かなと思ったら、備え付けのヘルメットまで被って真剣な表情をしている者もいた。

外出禁止令が解除され、早々に仕事は終了。
オフィスに残っても良し、帰っても良しという事になった。
こういう場合、「動く」タイプの人と「待つ」タイプの人とがあるが、私は基本的に「動く」タイプだ。もちろん、雪山や砂漠などの特殊環境なら別だが、都会でさしたる危険があるわけでもなく、ただ交通機関がマヒしているだけ、という状況であれば尚更「待つ」という判断はしない。

電車はダメでもバスがある、と窓の外を観察していて気がついた。
しかし、すぐに渋滞が始ってそれは甘い考えだと気がついた。
さて歩いて帰る事にしても東京駅から自宅までだと、ざっくり見積もって20キロ。
歩く速度が時速4キロとして5時間。
一方実家のある武蔵小山だとその半分。

迷った末、実家へ行く事にした。
車で通った事のあるルートだし、頭の中で道順を描けるという心理的な安心感もあったからだ。
わかりやすい幹線道路を選んだが、同じように歩く人が多く、行き交う人々でなかなかスムーズに歩けない。道路は車と人が溢れかえる。

歩き始めて1時間。
途中のホテルでトイレ休憩。
外の公衆電話はみな長蛇の列だったが、ホテルの中は穴場。
それでも3台のうちテレフォンカード専用電話が2台であり、残りの1台を待つ事になった。
目の前で電話する若い女性。こういう状況で長電話するとはなかなかの非常識と感心しながら待つ。
携帯電話もオフィスからの電話もつながらなかったのに、公衆電話からだと自宅にすぐにつながった。テレフォンカードはまだどこかに残っていたはずだから、今度探してみようと思いつつ、再び歩きはじめる。

あとわずかで実家というところで、コンビニに入る。
夕食はないだろうと思って弁当を買おうと思ったのだ。
しかし、みごとに棚はすっからかん。
しかたなく実家で冷蔵庫を漁る事にした。
こうした事も貴重な教訓だ。

途中の飲食店はどこもサラリーマンで溢れかえっていた。
オフィスで一晩過ごす事にしたサラリーマンが、夕食に寄ったのだろう。
ABCマートは靴を買い求める人で賑わっていた。
たぶんヒールの女性や革靴の男性がスニーカーでも買いに入ったのであろう。
ホテルのラウンジでは優雅にコーヒーを飲む人たちがいる一方、パチンコ店にも少ないとはいえお客さんがいた。災害というよりも何かのイベントのような夜だった。

品川から人混みを回避して裏道に入った。
月を目印に歩いていたら、井深会館というソニーの歴史博物館を発見した。
さすがソニー村だ。
家まで休憩時間を除いて2時間。
東北は大変な事になっているが、東京はこの程度だったから幸運だった。
いざとなると携帯もつながらない。

今回の事は貴重な経験としておきたいと思ったのである・・・

【本日の読書】
「錨を上げよ(下)」百田尚樹


    

2011年3月8日火曜日

パソコンとのお付き合い

朝起きて顔を洗って髭を剃った後、パソコンを立ち上げる。
夜帰宅して、夕食をとった後、コーヒーを飲みながらパソコンに向かう。
一日の大半を過ごす職場では、パソコンに向かって仕事をする。
考えてみれば、起きている時間の大半をパソコンに向かって過ごしている気がする。
テレビを見ない日はあっても、パソコンを立ち上げない日はない。

思い起こしてみれば、初めてパソコンを目にしたのは中学生の頃だ。
当時仲の良かった天才Sと一緒に秋葉原へ行った時のことだ。
店頭にあるパソコンにSが訳知り顔で何やら打ちこんでいった。
するとまもなくゲームが始った。
新鮮な驚きが今でも脳裏によみがえる。

初めて買ったパソコンは東芝のダイナブック。
ノートブックタイプで、まだDOS-Vの時代だ。
15万円もはたいて買ったはいいが、何をしたらよいのかわからない。
結局、表計算ソフトを使ってこずかい帳を作ったくらいだ。
そして次にデスクトップパソコンを確か24万円くらいで買い、最初のダイナブックは5万円で下取りに出した。

2台目のパソコンはウィンドウズ3.1だ。
パソコン通の後輩にいろいろと教えてもらった。
彼の自宅に押し掛け、インターネットを見せてもらった。
初めて見たホームページはホワイトハウスだった。
そして自分でも「インターネットカメレオン」という接続ソフトを購入してきて、インターネットを始めた。接続すると、ピーヒャララ~と音がしていた時代だ。

私はどちらかというと好奇心旺盛な方で、とにかくやってみようと手を出す事が多い。
パソコンもその典型で、それは仕事では有利に働いた。
ようやく勤務先の支店に設置されるようになったのは、1996年頃だ。
使いこなせる人は支店に一人か二人。
早く始めたのが幸いし、その一人に名を連ねたし、女性陣を集めてレクチャーしたりもした。

ただ、時代についてこられない上司はいるもので、みんなが手書きで作っていた資料をパソコンで作っていると、「パソコンを打っていれば仕事していると思ったら大間違いだぞ」と嫌味を言われた事もあった。
今ではパソコンがなければ仕事にならない。

自宅のパソコンも3台目と4台目は会社の同僚が自作してくれた。
好きな人は自作するようになっていたのだ。
私は面倒だから作るよりも使う方が良かった。
5台目からはパーツで買うようになり、今のパソコンは6台目だ。
ディスプレイは5台目の時に変えたやつだし、マウスやキーボードも都度交換しているからもう数は忘れてしまった。

厄介なのはデータの保管だ。
特に写真や日記はまめにバックアップを取っているが、フロッピーディスクではそのうち使えなくなりそうな気がするし、CDはこまめなバックアップが取れないのが難点だ。
それに人には見せられない秘蔵動画類はバックアップも楽ではない。

考えてみれば、パソコンとは不思議なものだ。
これで何をすれば良いのだろうと考えていた時代もあったというのに、今では新聞代わりにニュースを読み(それも一紙だけではなくCNNなんかも見る事ができる)、国内外の友人知人とメールでコミュニケーションを取り、音楽を楽しみ、映画も観られる。

5歳の長男にウルトラマンタロウの歌を教えてくれと言われ、「セブンならわかるのに」とぼやきながらもYoutubeを訪ねれば、主題歌をそのまま聞かせる事ができる。
ブログを書けば見知らぬ人がそれを読みコメントを寄せてくれるし、ブログに載せた広告でちょっとしたおこずかいも入ってきたりする。
ダイナブックのキーボードを叩いていた頃には想像もできなかった進化だ。

これから先もまだまだ進化していくのだろうか。
敬遠していたツイッターなども利用方法を工夫すればいろいろと楽しみ方があるようだし、好奇心旺盛だったあの頃の気持ちそのままに、さらに楽しみを深めていきたいものだ。

あとまだやり残している事があるとしたら、次のパソコンはマックにしようかと考えている事だろうか。これまでにも何度も思い断念してきたマッキントッシュ。
憧れのようなものを感じると言えば大げさだろうか・・・

キーボードを叩きながらそんな事を考えたのである・・・

【本日の読書】
「錨を上げよ(下)」百田尚樹
     

2011年3月6日日曜日

スキー in 岩原

昨日は今シーズン3度目、そして最後のスキーに行って来た。
場所はさる方にお勧めいただいた岩原スキー場。
初心者コースが充実しているという事であり、我が家にぴったりと判断したのである。

朝5時に出発すると、前回同様ほとんど渋滞もなく3時間で現地に到着。
ゲレンデ前にある、ネットで調べていた格安レンタルスキー店に車を止める。
家族が車で朝食のおにぎりを頬張る間、店内を偵察。
ところが店内はアルバイト風店員一人で、一昔前のレンタル店の雰囲気。
安いからか、と思いつつ一旦外に出る。

そうしたところ、雪かきをしていた隣店のおみやげ屋のおばちゃんに声をかけられた。
「あっちのお店の方がいいわよ」と道路向こうの店を指さす。
「そこはずっと閉店していたし、あるものも古いでしょ。あそこは新しいのもあるし、駐車場にタダで車止めて、そのまま滑りに行けるわよ。」

せっかくのお勧めにしたがって、道路向こうの「ベアースポーツ」に行く。
店員さんも親切で、リフトの割引券までもらえた。
ネット社会とはいいつつも、まだまだアナログな部分が大事であると感じる。

さて計算してみると、リフト代とスキーセットのレンタル代と何もかもゲレンデ内でお金を払った場合と比べ、家族で5,100円安くなった。この結果はバカにできない。
こういう部分はネットで情報を検索した結果であるから、やっぱり両方大事である・・・

肝心の岩原スキー場であるが、情報通り初心者向けのゲレンデが充実している。
子供たちもまだまだ初心者。広い緩やかなゲレンデは恐怖心を覚える事なく楽しく滑れる。
私自身からするとまったく面白味はないのだが、まあ子供たちが楽しければいいだろうと満足。
ゲレンデの一角にキッズコーナーがあって、ポールが立てられている。
子供たちもボーゲンながら器用にポールを曲がって滑っていたし、こうした部分も楽しかったようである。

ランチのあとは雪合戦。
考えてみれば、こんなにたくさんの雪に囲まれるなんて経験は東京ではできない。
それに前夜に降ったとみられる新雪が気持ちいい。
5歳の長男は3時過ぎには疲れて滑るのを嫌がったから、1時間ほどゲレンデの端で遊ばせた。
雪に埋もれて穴を掘ったり山を作ったり、砂場の砂と違って面白かったようだ。
一人滑らず付き添っていて、せっかくスキーに来たのにと思ったが、目的はスキーなのか子供を楽しませる事かとなると考えるまでもない。
まあひどく熱中して遊んでいたからいいのだろう。

妻と交代して娘と滑りに行く。
なんと中級者向けのコースを降りてきたという。
さっそくそのコースに行く。
けっこうな急斜面だが、長女はボーゲンでしっかり危なげなく下りてくる。
ここでようやく遠慮なく滑り下りた。
スピードと転ぶかもしれないというスリルを久々に楽しめた瞬間であった。
いずれ我が家も初心者コースとは無縁になるのだろう。

さて、たっぷり楽しんでの帰り道、覚悟した渋滞はちょっとだけ。
結局食事時間を除けばほぼ3時間で帰って来た。
拍子抜けしたが、まあ早く帰れるに越した事はない。
終わりよければではないが、今シーズンは充実して楽しめた。
来年はゴーグルを新調して臨もうと思うのである・・・


【本日の読書】
「錨を上げよ(上)」百田尚樹
    

2011年3月3日木曜日

移民政策を憂う2

民主党による「1000万移民構想」を始めとして、日本の少子高齢化・生産人口減少を解決する手段として移民政策を主張する声があちこちにある。
それについては個人的には反対している。
机上の理論と違い生身の人間は理屈通りにはいかない。
その最大の要因は「文化の違い」だ。
それは決して「足して2で割る」事のできないものだ。

例えば中国人。
東洋学園大学の朱健榮教授によれば、中国は「自己主張の文化」、日本は「恥の文化」だと言う。
中国人は4割知っていれば「知っている」と言い、日本人は9割知っていても「知らない」と答える。
一歩下がる謙譲が美徳とされる文化と誰もが我こそはと出る杭になりたがる文化。
どちらが良いとか悪いとかという事ではなく、ただ大きく違うのである。

いつだったか「ガイアの夜明け」で、中国に進出した日系企業が中国人労働者の扱いに悩む姿を映していた。合理的で、その日のノルマを達成してしまうと仕事をやめてしまう中国人労働者と、決められた5時まで働かせようとする日本人管理職の意識のギャップがそこにはあった。
辟易した中国人労働者は手抜きして5時までに終わるように仕事を「調整」するようになっていた。
中国人労働者の考え方もよくわかる。ただ、肩を並べて一緒に働けるか、という事だ。

「郷に行っては郷に従え」であれば、日本に来たら日本流に合わせてもらうべきだと思うかもしれない。でも1000万人も「自己主張の文化」の人たちが来たら、「恥の文化・謙譲の文化」はそれを自己主張できるだろうか?以前中国滞在経験のある同僚に聞いた生身の中国人の話を思い出せば、どうなるかは火を見るより明らかだ。

繰り返すがどちらが良い悪いではない。
まさに水と油ほど交われないものなのだ。
一緒に入れても理想通り混ざり合うのは難しいだろう。
仮に混ざり合ったとして、その時日本人が廃墟から経済大国に上り詰めた原動力となった「日本人の文化」が、果たして維持できるだろうか。

移民先進国のドイツでは、地域によっては移民が住民の9割を越え、なんとそこの学校ではドイツ人の子供が「ドイツ人だという理由で」いじめに遭っているとテレビで紹介されて話題となっていた。
移民の流入により街の雰囲気が変わり、経済的に余裕のあるドイツ人たちはよそへ出て行き、余裕のないドイツ人が少数派となって残されてしまったようである。
そして、ドイツのメルケル首相自ら、「移民政策には反対しない」と前置きしつつ、「ドイツの多文化主義は失敗した」と公の場で語っている。

また、「3K労働者を入れれば治安が悪くなるかもしれないが、教育水準の高い人たちを入れれば大丈夫だ」という主張もある。だが就職先がないと嘆く軟弱な若者たちが、母国語と日本語を操る外国人に太刀打ちできるのだろうか。一層就職難になって、外国人が一流企業に就職し、日本人が就職難民になっても社会は穏やかでいられるのだろうか。

「移民政策で日本の活力を維持しよう」なんて机上の空論にしか思えない。
一度入れたら過ちに気付いても追い出すわけにはいかない。ドイツのように、である。
ドイツは対岸の火事ではないし、もって他山の石とすべき貴重な経験を我々に教えてくれているように思うのである・・・


【本日の読書】
「錨を上げよ(上)」百田尚樹

   

2011年3月1日火曜日

移民政策を憂う1

ここのところブログの更新間隔が開いてきている。
雑感がないわけではないのだが、いや、それよりもむしろ増えているのだが、アウトプットの時間が悲しいくらいない。何かを捨てないといけないのだが、寝る時間はもうこれ以上削れない。
そうすると、ブログを更新する時間が犠牲になるのである。
1日26時間ほしいと真剣に思う毎日である・・・

そんな中で、「移民政策」についてここのところよく考える。
少子高齢化というのは昨今よく言われる我が国の問題点の一つである。
医療の発達もあって老人が増え続け、一方で晩婚化や未婚などの要因もあり子供が増えない。
それに従い生産人口(要は働く人だ)が減少し続けている。
それに対する対応策として、「移民」を主張する声が上がっているのである。

現在与党である民主党も「1000万人移民受け入れ構想」を掲げているし、私がお手伝いしている社会人向け勉強会「寺子屋小山台」に講師として参加していただいた朱健榮先生も、先日そう主張していた。確かに、減った分を自分たちで補えないのであれば、他所から受け入れればいいという理屈はわかる。ただ、事は人に関わる事である。そう簡単に行くものではない。

そもそもであるが、本当に人口が減少していくのは大変な事なのだろうか?
まずはそこの議論が抜け落ちている。
資源もない我が国に、果たして1億2,000万人という人口は適正なのだろうか?
江戸時代の人口は4,000万人に満たなかったらしいが、それ以降人口は増え続けてきているわけである。これからも増え続けるのが良いという事もあるまいし、ひょっとしたら日本の国土にあった人口は8,000万人くらいかもしれない。

かつてはウサギ小屋に住むエコノミックアニマルとバカにされた日本人である。
今だって都心部で庭つき一戸建てに住もうと思ったら、相当の金持ちでないと難しい。
だが人口が減れば可能になるかもしれない。
もちろん、我が国の国土は大半が山間部で、自ずから平野部に人口は集中するし、江戸時代だって庶民は長屋にひしめき合って暮らしていたわけだから、そう簡単にいくかどうかはわからない。
しかし、土地は安くなるだろうし、今よりも住環境は確実によくなるだろう。
生活の質は、住宅に関しては上がるはずだ。

今1,000円高速にした途端、問題となっている高速道路の渋滞だって緩和されるだろう。
人口が減れば消費も減る。経済規模も縮小するが、当然リストラなんてしなくても社員も減るわけだから問題はなさそうな気もする。食料自給率だって上がるだろう。
何か問題があるだろうかと思ってしまう。

もちろん、今は人口構成が逆ピラミッドなわけで、当面の問題は避けられない。
しかしいずれ老人は死に、人口の逆ピラミッドも解消されていくだろう。
その過程で産みの苦しみは出るだろうが、きちんと将来の姿を見据えて頑張れば乗り越えられなくもないはずだ。簡単に移民などと口走る前に、そうした検討をしてみてもいいのではないかと思う。

それに移民というが文化の違いと言う大きな壁がある。
それこそが最大の問題だ。
資源のない我が国がここまで発展したのは、間違いなく「勤勉な国民性」だ。
価値観の違う人が10人に1人となったら、この国民特性も失われていくかもしれない。
その結果いつのまにか我が国は、ただ単に人口が多いだけの国に落ちてしまわないかと心配になる。

そんな事を考えていると、移民などと無責任に主張する意見に腹が立ってくるのである。知恵を絞ればもっといいアイディアが出てくるように思うのである・・・


【昨日の読書】
「ハーバード白熱教室講義録」マイケル・サンデル
「錨を上げよ(上)」百田尚樹