2014年3月28日金曜日

まだ塾へ行くの?

妻と娘の教育を巡って議論となった。
この春中学2年になる娘。中学受験を期に、近所の学習塾に通い始めた娘であるが、受験が終わって中学生になっても続けて通っている。
「塾へ行くの?」
熱心なのはいいのだが、週末も塾の宿題やらで忙しそうにしている姿を見て、何となく疑問に思っていたのである。

タイミングとしては今だろうと思って、思い切って妻に切り出した。
「1年間、塾を休ませたら?」
勉強ももちろん大事であるが、娘は学校のテストでは常にトップ10に入っている。
もちろん、通っているのは近所の普通の公立中学だし、だから安心というわけではないのはわかっている。だが、そんなにあくせくする必要もないだろうと思うのである。

ところがこの提案に妻は猛反対。
レベルの高い都立高校に行くためには、十分ではないそうである。
ここからお互いの意見は真っ二つ。
私は学歴を絶対視していない。
いわゆる「良い高校へ入って、良い大学へ入って、一流の企業に就職する」という事にどれほどの価値があるのかと考えている。

もちろん、本人が希望するならそれはそれで良い。
だが、今の段階で親がその路線を引くのはいかがなものかと思う。
それよりもその都度そばに寄り添い、迷ったら相談に乗るとか、その時点で考えられる選択肢をいろいろ提示して上げるとか、あるいは考え方を教えるとかすればいいと思う。
結果的に、一流と言われる高校・大学・企業となったのなら、それはそれだ。

だが、妻の意見は違う。
将来何になるかわからないからこそ、「(一流校に行けば)選択肢が広がる」と妻は主張する。
それはそうだが、今からダッシュする必要はない。
すでに進研ゼミの通信教育もやっているのだし、それだけでも十分。
塾へ費やしている時間を他に向けさせたいと反論する。

映画を観たり、小説を読んだり、漫画を読んだり、友達と遊びに行ったり、そんな事だって大事だと思うのである。一流の大学へ行ったってノイローゼになるかもしれないし、一流企業に就職したって鬱で会社に行けなくなるかもしれない。勉強も大事だが、バランス良くいろいろ吸収しないといけない。それに何より自分だって今の娘の年頃でそんなに勉強していなかっただろうに、それを娘にやらせるなんて酷い事だと思う。

私も一応、受験の荒波を乗り越え、都立高校から国立大学へと進学しているから、その点では妻よりも言葉に説得力があるはずと思っていたが、「時代が違う」の一言で撥ねつけられてしまった。
自分も、もともと学力レベルとしては、「中の上」くらいだったと思うが、宅浪時代は毎日10時間以上机に向かい必死になって勉強した。それは今の時代だって通じるだろう。
今からやらなくても、本人がその気になればその時で十分間に合うと思うのである。

ああ言えばこう言うで議論は平行線。
子供の幸せを願う気持ちはお互い同じだと思うが、この方法論の違いは歴然としていた。
最後は、「娘の意見を聞こう」と妻に提案。
娘に最終決定を委ねた。
議論の決着は、「塾は続けたい」との一言であっさりとついてしまった。

妻を説得する前に、もっと娘と語り合って、「パパの考え」を伝えておけば良かったかもしれない。まあ仕方ない。これからまだまだ長い娘の人生。
せめて、「お勉強バカ」にならないように常に関心は持つようにしてあげたいと強く思うのである・・・


【今週の読書】
  
    

 

 

2014年3月21日金曜日

クリミア紛争を考える

ここ1週間ほどクリミア紛争のニュースが気になっている。
親露派の大統領が地位を追われたと思ったら、一気にクリミア共和国の独立、ロシア編入へと動いている。大きな注目を集めているのは、そこがロシアの黒海艦隊の基点である事が原因であると思う。

昔から不凍港を求めていたロシアにとって、クリミアのセバストポリは重要な軍港。
ソ連時代は揺るぎもしなかったが、ロシアとウクライナに分離してからは、租借という地位になってしまう。一応2042年まで借りる契約はできているが、今回の政変でそれが危うくなった。
アメリカもそれをわかっているから、「チャンス」とばかりに動いている。

詳しい裏事情などわかるはずもないが、ニュースだけ見ていても、その内容には疑問だ。
日本のメディアは、ロシア批判が大勢だ。
だが、本当にロシアが悪いのかと思うと、そうとも思えない。
その一番の原因は、クリミアの住民投票だ。
83.1%の投票率で、96.77%という圧倒的多数で住民が「ロシア編入を望んでいる」のである。

オバマ大統領は「銃で脅された」結果だとしているが、今の時代銃で脅されたからと言って、こんな圧倒的な結果が出るだろうか。
それにNHKのニュース映像を見たら、住民は大喜びでコンサートまで開催されていた。
ニュースによるとロシア系住民は6割だそうだから、ロシア系以外も賛成している事になる。
ここはロシア編入を認めるのが、筋というものだろう。

ロシアは、「国際法違反」と批判されている。
だが、アメリカだって「国際法違反」という批判を無視して、イラクに軍事侵攻して政権を打倒した“前科”がある。フセイン政権が「大量破壊兵器を隠している」という理由だったが、それは嘘だったと証明されているし、そのあたりの陰謀は映画にもなっている。
(⇒【フェア・ゲーム】

アメリカは、冷戦時代、西ヨーロッパにソ連に向けた核ミサイルを配備しながら、逆にソ連がキューバに核ミサイルを配備しようとしたら、実力でそれを阻止した(キューバ危機)。
公海を海軍艦艇で封鎖し、ミサイルを運搬するソ連の船を阻んだのであるが、そんな事ができる権利はアメリカには当然なかった。

「自分がやる事は正当化し、同じ事を相手がやれば批判する」
アメリカもロシアもお互い様なのである。
そんなキツネとタヌキの化かし合いのような国際情勢で、アメリカの肩を持ってロシア批判などして、日本のメディアはバカバカしくならないのだろうか。

もしも立場が逆なら、アメリカは民主主義の旗をここぞとばかりに振り回して、「地元の民意」を尊重するだろうし、ロシアは口角唾を飛ばして批判するだろう。
確かコソボでは、アメリカは独立を支持したはずだ。
だからだろうか、毎朝見ているCNNのサイトは、トップニュースはずっと「マレーシア航空370便」だ。茶番には付き合えないと考えているなら、CNNはさすがだと思う。

微妙なのは日本の立場。
北方領土の事もあるし、ロシアの天然ガスを安く仕入れられれば、貿易収支の悪化に歯止めもかかる。だが、対中国の手前、今の時期はアメリカも支持しなければならない。
両方の機嫌を損ねることなく、うまく立ち回らないといけない。
政府関係者は大変だろうなと同情する。

先行きどうなるのだろう。
もうしばらくは、クリミアのニュースからは目が離せそうもないのである・・・

【今週の読書】
  



2014年3月16日日曜日

死の淵を見た男たち

川内、再稼働一番乗りへ 規制委、優先原発きょう決定
原子力規制委員会は12日、事実上の合格証となる「審査書案」を作成する優先原発を九州電力川(せん)内(だい)原発1、2号機(鹿児島県)とする方針を固めた。13日の規制委定例会で正式に決定する。川内は審査の重要課題となっていた基準地震動(想定される最大の揺れ)について、12日の会合で大筋で妥当と認められた。津波対策でも異論は出なかった。再稼働一番乗りが事実上決定した。
2014.3.13 産経ニュース
***************************************************************************************************************


原発再稼働を目指す安倍政権。
その動きが、静かに表面に出てきたようだ。
いずれもっと脚光を浴びてくるようになると思うが、徐々に再稼働する原発が増えてくるのだろうと思う。

個人的には原発反対であるが、先週はとくに震災からちょうど3年という事もあっていろいろとニュースに触れる中、また【死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の500日】という本を読んだ事もあり、その信念は一層強くなった。【死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の500日】は、当時の現場の様子が生々しく伝わってきて、迫力ある本である。

原発再稼働を主張する側にも、いろいろと意見はあるようだ。
やはり資源に乏しい我が国にとって、膨大な電力需要に応じるためには、ベース電源として必要であるという意見は理解できる。原発停止に伴って、代替資源の輸入増加により我が国の貿易収支も悪化(円安もそれに輪をかけている)している。
長引けば我が国の“拠り所”でもある「経済力」にもダメージがあるのだろう。

それに技術者問題というのもあるらしい。
昨年世話役として関わっている「寺子屋小山台」で、講師としてお招きした東芝の方が、「“脱原発”となれば、若い人たちが原子力技術を学ばなくなる。そうすれば技術の継承ができなくなってしまうし、もしも中国・韓国で事故が起こっても我が国では対応できなくなる」とのご意見を伺った。
脱原発のその前に

「技術が消失すれば、アメリカの技術協力も得られなくなるし、そうすると国内にある50tのプルトニウム(核兵器数千発分)の管理も難しくなる。技術は放棄できない。」
との意見は、その通りなのだろうと思う。
世の中で「脱原発」の声が大きくなると、こうした問題点を声に出して主張しにくくなるのは問題だ。しかし、無視できない指摘だと思うが、大事なのは「だからダメなんだ」というのではなく、「ではどうするか」と考える事だ。

「技術消失」は確かに問題なのだろう。
でもそれは「衰退産業」として若者に敬遠されないような仕組みを考えれば良いだけの事だろう。
例えば、原子力技術を学んで技術者として就職した人には、国として給料とは別に「技術手当」のようなものを支給したらどうだろうかと思う。
それで国と勤務先から同じ金額の給料と手当をもらえば、かなりの収入となる。
そうした「職業」に若者はそっぽを向くだろうか。

そもそも今でも原子力関連には膨大な税金が使われていると言う。
地元自治体への補助金などを合わせると、「トータルコスト」では原子力発電も決して割安ではないと思うし、そうした補助の一部を「技術の継承」に向けるのは可能だろう。
理論だけではダメだというのなら、どこか一カ所だけ原発を維持するというのもアリだと思う。
一カ所で何機なのかわからないが、54機もある現状からすると、ずっと良いと思う。

そもそも再稼働を主張する人たちは、福島第一原発の事故当時の緊迫した国内の雰囲気を忘れてしまっているのではないかと思う。あの状況下でも、「原発は必要だ」と思えただろうか。
日本の国の1/3に人が住めなくなっていたら、それでも「原発は必要だ」と思うのだろうか。
喉元過ぎて熱さを忘れてしまったのだろうか。

福島の事故で、個人的に一番ショックだったのは、「使用済燃料棒」の問題だ。
原発は稼働中の事故が怖いと思っていたのに、実はそうではないと思わされたのが、停止していた4号機の事故である。あれで心が決まったと言える。

そもそも大きな問題というものは、右と左とどちらに行っても問題があるから、大きな問題となっているのである。であれば、どちらが理想的かと決めてその道を進むしかない。
出てきた問題については、「だからダメだ」とせずに、「だったらどうしよう」と考えて解決を図る他ない。技術の継承も貿易赤字も温暖化もすべて「だったらどうしよう」と解決策が探れる問題だ。

今後もその信念は貫いていきたいと思うのである・・・

     
【今週の読書】
 
        

 

 

 

2014年3月9日日曜日

ファッション

久しぶりに表参道を歩いた。
数年ぶりだったが、また少し雰囲気が変わっていた。
目についたのは、有名ファッションブランドの店舗。
この手の店舗には、何となく気後れする。 

昔から、ファッションという分野は苦手な分野である。
何事につけ「花より団子」ではないが、「見た目より機能」を重視する自分としては、衣服という面においてもそう考えてしまう。だから「気に入った服」であれば、それをずっと着続けたいと思うし、そういう服は大概「機能(=着心地)」面で気に入る事が多かったりする。 
それはそれで良いと思うのだが、問題は「世間がそれを良し」としない事だ。

それを初めて感じさせられたのは、1年間引きこもりそのものだった宅浪生活を経て大学に入った時の事だ。ラグビー部の門を叩いて一員となったある日、K先輩に「お前凄いズボン履いてるね」と言われた。その時履いていたのは、中村雅俊のドラマ「俺たちの時代」に象徴されるベルボトムのジーンズ。自分では気付いていなかったが、もはやそれは流行遅れのシロモノだったのである。 

人は大概他人のファッションについては、面と向かって批判はしないものだろう。
だからわからなかったが、その後社会人になって、婉曲的に女性に指摘された事もある。
もっとはっきり指摘されたのは、結婚してからだ。
「お気に入り」だった服は、妻からみんな「室内着」の指定を受けた。
何でも結婚前、妻は私と結婚を考えるのにあたり、マイナスポイントとして私のファッション・センスが気になっていたらしいのだが、仲の良い友人に「服は変えられるわよ」とアドバイスされ、目をつぶる事にしたのだと言う。 

こう告白すると、何だか情けない男のように思えてくる。
だが、おかしいのはどっちなのかという気がしてならない。
私の着ている服はすべて「購入したもの」だ。
つまりどこかの誰かが、「これがいい」と決めたデザインで作られ、店頭に並べられていたものだ。
その時点では、買って着てもまったくおかしなものではなかったものである。 
ただ、それが「流行」というモノによって、「日陰モノ」にされてしまったのである。

「流行」って何だと言えば、それはどこかの誰かが、「今年はこれで行こう」と勝手に作りだしたものだ。そしてそれを、「今年はこれが流行るらしい」とみんなが採り入れる事によって決まっていくのだ。誰かが「右へ行け」と言うと、ぞろぞろと疑問も持たずについていく。「人が右へ行くなら我は左」という性格の私ゆえ、それは最も嫌悪するパターンだ。 

しかし、それが世の中の流れとなると、異端児としては居心地が悪くなる。
「おかしい」と指摘されたものを、「おかしくない」と主張して我を通すほど私も強くない。
勢い「室内着」が増えていく、あるいは廃棄宣告を受けるのを眺めているしかない。
私としては、ただ買った時に自分で良いと思い、そしてそれを気に入ったなら、自分が飽きるまでずっと着たいと思っている。なのに勝手に流行遅れの烙印を押して、「ファッション・センス・ゼロ」と言われる。何とも納得のいかない話だ。 

まぁ嘆いていてもはじまらない。
華やかな表参道のブティックの店舗を眺めつつ、せめて中味だけでも何とか維持していこうと感じた次第である・・・


 【今週の読書】
   
        

2014年3月2日日曜日

陽の当らない場所

痩せ蛙 負けるな一茶 これにあり
小林 一茶
 ****************************************************************************************************************** 


金曜日に妻が観ていたテレビは、フィギア・スケートの浅田真央の特集番組。
イチローもそうだが、真央ちゃんも才能だけの選手ではないようである。
ソチオリンピックが終わって1週間。
良いタイミングでの特番だし、観た人も多かったのではないかと思う。 

番組を横目で観ながら、何となく感じた。
世の中には、陽のあたる場所とあたらない場所がある。
世の中は、けっして公平ではない。
それはそれで、仕方ない事である。 

浅田真央は、残念ながらメダルを逃してしまったが、最後の演技は素晴らしいものであったらしい。
我が家の妻も夜遅くまで起きて観ていて、涙腺が崩壊したらしい。
翌日のニュースは、浅田真央一色。
職場でも、その話題が聞こえてきた。  

その同じ日に、女子パラレル大回転の竹内智香選手(銀メダル)とフリースタイルスキーの小野塚彩那選手(銅メダル)が、メダルを取った。
しかし、ニュースは浅田真央。
「取れたメダルより取れなかったメダル」が、明るく輝く日差しを浴びていた。

世間の関心度からいって、それは当然の事。
太陽が輝いてそれを浴びるものがあれば、当然その陰もできる。 
そんな事が、最近私の身の周りでもある。
母校である都立小山台高校が、この春の選抜甲子園大会に出場を決めた。
実力的には、まだまだ甲子園は遠いようであるが、「21世紀枠」という制度で、全国3校の一つに選ばれたのである。それはそれで簡単な事ではないし、大変喜ばしい事でもあり、私も後輩たちを応援したいと思う。 

当然の事ながら、これに卒業生も大フィーバー。
寄付の募集や応援ツアーの話で、連日あちこちで盛り上がっている。
されど、同時期に全国大会出場を決めた将棋班(我が母校では伝統的にクラブ活動を『班活動』と呼んでいる)の事は、ほとんど話題にも上らない。会報の扱いにしても、比較にならない。
唯一、学校に掲げられている横断幕だけが、同じ大きさで公平な扱いであった。
さすが、校長先生。 

それは関心度から言っても仕方ない。同じ全国大会と言っても、やはり甲子園は別格だし、「野球だけが班活動ではない」と正論をぶったところで仕方ない。
私自身は、ラグビー班0Bなので、野球も将棋も「他班の事」という意識がある。
どちらも同じ後輩ではあるが、関心度に差はない。
だから、よけい「陽の当らない場所」に敏感なのだと思う。 

思えば高校生の時から、その差を感じていた。
かたや甲子園の東京都予選の一回戦から結果が新聞に載る。
かたや花園の全国大会ですら、試合結果は一回戦くらいだと新聞を隅まで探さないといけない。 大学に進んで、自分たちの(ラグビー部の)公式戦の結果がスポーツ新聞に掲載された時は、嬉しくて何度も見たし、もちろんそれを取っておいたのは言うまでもない。 

そうしたマイナーの世界の経験と、もともとアマノジャッキーな性格が災いして、母校の甲子園出場に対する感応度は非常に低い。もちろん、将棋班の全国大会出場についても同様であるが、「陽の当らない場所」に対する共感度がある分、こちらの方がむしろ応援する気持ちは強いかもしれない。 
まあ一人くらいひねくれ者がそっぽを向いていたところで、母校の甲子園には何の影響もないだろうし、そこが気楽なところ。

当初はテレビで応援しようと思っていたが、それも段々と気持ちが萎えてきている。
もちろん、寄付など初めから毛頭考えていない。
もともと甲子園など、観なくなって久しいし・・・ 

それより、小学校3年になる息子がいよいよ近所の少年野球チームに入る事になった。
気になるのは視力の衰え。たぶん遺伝なのだが、これは由々しき事態。
この春は、この問題に対する関心がかなりのウエイトを占める事になりそうである。 

ところで、天の邪鬼な性格は遺伝するのだろうか。
ちょっと気になるところである・・・

 【今週の読書】