2011年9月28日水曜日

予選敗退

ラグビーのワールドカップ、日本は最終戦でカナダと引き分け。
残念ながらまた1勝もできずにグループ最下位で終わってしまった。
途中まではいい感じでリードしていたのに、最後に追いつかれてしまった。
と言っても、トライ数では負けていたし、ゴールキック一つきちんと決められていたらアウトだった。
試合の経過を観ていても、そんな結果を見ても実力の程が表れている。

思えば学生時代に対戦した早稲田のAチームはとんでもなく強かった。学生トップレベルの実力を遥かに仰ぎ見る思いだったが、その学生トップも社会人には及ばない。さらにその社会人から選りすぐりのメンバーであるJAPANがまったく勝てないのだから、世界のレベルは到底私の皮膚感覚で及ぶ世界ではない。

ワールドカップともなれば、各チームも国の威信をかけて勝ちに来る。
国際試合で5連勝していたトンガに負けたのも、2連勝していたカナダに勝てなかったのも、ワールドカップという特別な場に、各国が威信をかけて臨んできたからだろう。
たぶん、今大会で日本が勝てるのはナミビアくらいだ。
ワールドカップで勝つには組み合わせに恵まれるしか、今のところはない気がする。

そもそも激しい激突の伴うスポーツなだけに、体格がモノを言う。
平均的体格では、日本人は欧米人や南太平洋諸島の人々には劣る。
日本代表も外人選手抜きではもっと悲惨な成績に終わっただろう。
体格的には日本代表も大きな選手がほとんどだが、分母が違う。
子供の頃から馴染んでいるかも大きな差になるし、(Davidは幼稚園からやっていたのだ)「芝生のグラウンドでやるのが当たり前」という環境面の要因もある。

ラグビーに親しみ、後押しする人たちの雰囲気の差もある。
残念ながら、サッカーの方がこの雰囲気(みんなの盛り上がり)は遥かに上だ。
昨日の試合もサッカー日本代表のワールドカップなら生中継だ。
みんな仕事を早く切り上げて家路についていただろう。
子供たちも幼稚園の頃からボールを蹴っている。
8年後には日本でワールドカップが開催されるが、そんなに大きな改善は期待できない気がする。それでもカナダやトンガあたりには勝てる可能性はあるし、頑張ってもらいたいと思う。

それにしても昨日の試合を観ていて、先週観たNZ対フランス戦と比べるとレベルの差は歴然としている。やっぱりランキングトップ10のチームとそれ以下のチームとでは一段違う。
これから決勝トーナメントだが、たぶんどれも見逃せないだろう。
JAPANの結果は残念だけど、それでもラグビーは心底面白いと思うし、何試合でも観ていて飽きない。

もうしばらくは、興奮に浸れそうである・・・


【本日の読書】


2011年9月26日月曜日

職場にかかる迷惑電話

最近よく職場にセールスの電話がかかってくる。
職場の電話は直通回線で、電話帳にはもちろん載っていない。
名刺には記載しているから、取引先などにはオープンになっているが、一般には知られていない。どうしてこの番号にかけたのかと尋ねたところ、一つわかった番号から順番に1番ずつずらしてかけてきたそうである。なるほど、その熱意には感心する。

しかしながらセールスの内容は「投資用マンションを買いませんか」というものだ。
よく休日に家にもかかってくる。大概が価格帯2,000万円前後のワンルームマンション。家賃が月々78万円、利回り(年間家賃収入/購入価格×100)で言うと5%程度という内容だ。「全額ローンを組めば月々の返済を差し引いて10,000円程度手元に残り、ローン完済後はまるまる家賃がおこずかいとなり、所得税控除にもなります」といった謳い文句だ。

職業柄この手の投資判断はできるつもりで、バカにしたような悪い条件をあたかも良い条件のように言ってくるから呆れてしまっている。まぁそれでも見ず知らずの相手に突然電話をかけてきて、一体どんなセールストークをするのだろうという興味から、最初の頃は相手にしていた。しかしそのうちやっぱりマニュアル通りで、とにかくアポを取ろうとするだけだとわかって、最近はあまり相手にしない。アポを取れば、裏にいる鵜匠が出てきて本格的に“落としにかかる”のだろう。“鵜”である若手はとにかく片っ端から電話して、うまく引っ掛かったカモを鵜匠に渡すまでが仕事なのだろう。

そういう仕事ってどうなのだ、と思う。
もちろんいかがわしい物を売っているわけではないが、突然見ず知らずの相手に電話してくるなんていうのは、職業としてとても誇れるものではないと思う。
セールスというのは、相手の顔を思い浮かべ、どんな提案なら受け入れられるかと腐心し、相手に喜んでもらって自分も儲けるというものでないといけない。

当然、そんなのは電話をかけている当の本人も感じているのかもしれない。
何十件も電話しても、うるさがられて断られるだけだろうし、上司には尻を叩かれるし、ストレスも溜まるだろうしで気の毒な気がする。まぁ今は就職難だし、ひょっとしたらいまだ蹴活浪人中の同級生を横目で見ながら、我慢しているのかもしれない。

そもそもそんなセールスのやり方をしている会社の方が問題で、経営陣が無能だという事に尽きる。サラリーマンなど相手にしないで、こうした投資用のマンションを喜ぶような相手は誰かを考えれば、片っ端から闇雲に電話を掛けまくるなんて頭を使わない営業をする必要もないはずだ。そう考えてみれば、そんな電話をかけさせられている若者こそ気の毒だ。

こうした「下手な鉄砲数打ちゃ」作戦は言ってみれば現代の押し売りだ。
今は押し売りなどという行為は出来なくなっているが、昔は押し売りがいた。
相手の迷惑を考えず、人の良さに付け込んで何とか売ろうとするところは押し売りと一緒だ。
そう言えばその昔、親父が押し売りにあってハンドバックを買わされた事があった。
母に怒られていた親父の姿を今でも覚えている。人の良い親父だから、たぶん断れなかったのだろう。

そういう私も独身時代、行きつけの床屋でよくシャンプーなどの新製品を買わされた。
担当の人懐っこい兄ちゃんは私の顔を見るなり、「良いのが入ったんですよ」と笑顔で話しかけてきた。まぁ独身貴族の気楽さと、たかが知れている値段だったのでいつもカモになっていたが、投資用のマンションとなると、気軽に買える身分になるまで待ってもらわないといけない。

気の毒な気もするが、仕事中だしと断る。
一日何件くらい電話しているのだろう、などとふと考える。
私の職場は銀行の本部ビルだし、1番ずつずらして何人くらいかけられるのだろう、などとも考えてみる。さあ仕事と気持ちを切り替えると、「仕事中ですから」とはす向かいの同僚が電話でしゃべっている。どうやら次の番号だったらしい。
仕事中の迷惑電話ではあるが、その努力に免じて許そうと思ったのである・・・


【本日の読書】

2011年9月22日木曜日

トンガ戦に思う

ラグビー日本代表の注目の第3戦は、残念ながらトンガに敗れてしまった。
ディフェンスの差というのが、まざまざと表れていたような試合だった。
どちらのチームも攻撃力には大差なかった。
(それが証拠にトライ数はともに3個だった)
差がついたのはディフェンスだ。

もともと体格に勝るトンガが、強い当たりを繰り返す。
日本が攻めてもしっかりと倒してそこへ殺到してボールを奪う。
密集の中でボールを奪い取ろうとする動きが観ていて凄かった。
日本は外国人選手の突進で何度か良い展開になったが、それを観ていてやっぱり日本人には不利なスポーツなのだろうかと思ってしまった。

最近では相撲もすっかり外人パワーに席巻されている。
まだ日本人主流だが、本格的に「世界の競技」になったら日本人は幕内に残れるだろうかと思う。陸上競技で黒人に勝てないように、ラグビーの世界で日本人が世界の中で勝てるようになるのは難しいのかもしれないと、そんな気もする。

観ているとわからないが、実際にやってみた時、相手とのぶつかり合いというのは試合を左右する大きなファクターだ。体の大きな相手とぶつかりあっていると、始めはよくてもじわりじわりとダメージは残る。スタミナのロスも体の小さい方が大きい。
体の大きな相手が、それをうまく活かして強い当たりをされると、やっぱりかなりの不利は否めない。それはメンタルな部分にも影響する。

大学3年の時の公式戦で対戦した成城大学戦の事だ。
前年までは対等だったが、その前年あたりから成城大学は選手を強化。
試合前に相手をみると、ずらりと体の大きなフォワードが目についた。
「今年は勝てないかもしれない」と正直思った。

案の定、初っ端から押されてゴール前まで追い込まれる。
そして最初のスクラム。
覚悟して臨んだものの、予想外の軽さ。
スクラムの端のポジションでもそれは感じられた。
結局そこでトライは奪われたものの、フォワード陣には力がみなぎって来た。
相手は体こそ大きいものの、あたりは弱くプレッシャーは感じられない。
よくプロレスラーが、「お互いに組みあった瞬間に相手の実力がわかる」と言うが、おそらくそれと同じ感覚だ。

その後トライを奪い返し、一進一退。
ハーフタイムでは、やはり不利を予想していた監督が、「よくやっている、十分いける」と興奮気味に檄を飛ばしてくれた。
あたりが軽くて弱い相手だと闘志も湧くし、意気も上がる。
重くて強ければその逆だし、ミスも起こる。

結局その試合は、6-7で1点を追い掛ける展開となった。
相手は体の大きさに反してあたりは弱い。
いけるという感覚は最後までなくならず、攻めまくった。
最後に逆転トライと思った瞬間、反則の笛を吹かれた。
大学時代、初めて負けて悔しくて泣いた試合だった。
反則を取られたものの、それはミスジャッジで、「あれはトライだった」と今でも思っている。きっと死ぬまでそう思っているだろう。

日本代表の次の試合は最後となるカナダ戦。
IRBのランキングはいつの間にか変動していて、カナダは11位と日本より上位になっている。トンガにも勝っているし、極めて厳しいと思うが、何とか1勝を挙げてもらいたいものである・・・
               

【本日の読書】

2011年9月18日日曜日

大敗

 ワールドカップ第2戦目の日本の相手は、実力世界一のオールブラックス。結果は7-83と厳しいものになってしまった。日本が「勝てそうな」相手であるトンガは、そのオールブラックスに対して10-41だし、カナダはそのトンガに勝っているし、という状況を考えると、残るカナダとトンガに勝つのも厳しそうである。ワールドカップに唯一参戦しているアジアの国として、なんとか次のトンガ戦には頑張ってもらいたい。

 ラグビーはトライで5点、その後のゴールキックで2点、ペナルティキックで3点が入る。したがって点数はそれなりに入るが、それでも83-7という数字はワンサイドゲームだ。私もそういうワンサイドゲームの経験がある(もちろん、負けた方だ)。その相手は学生時代に対戦した天下の早稲田大学。日本対オールブラックスよりももっと差はあった。練習試合は何回かやってもらったが、相手はいずれも5本目(=5軍)、6本目といったレベル。それでも勝てなかったのだが、私が3年の秋に何と対抗戦グループの公式戦で対戦したのだ。

 公式戦となると、両校とも礼儀として一本目(=1軍)が出る。三沢競技場で有料試合として行われ、私も家族や友人たちに声をかけて来てもらった。相手はほぼベストメンバーを揃えてきた(日本代表の合宿に呼ばれた2名だけが欠場)。前早稲田大学およびサントリー監督の若き日の清宮もその中に入っていた。何せラグビーでは2流(3流ではない!)の国立大学が、学生チームのトップクラスとやれるのは大きなチャンスだ。勝てないのは当然だが、同じ土俵に立つ以上は精神的には対等だと思って試合に臨んだ。

 結果は0-114惨憺たるものだ。
当時はまだ1トライ4点だったから、今だったらもっと差がついていた。気持ちとは裏腹に、実力差は想像以上。一人一人が強いので、11では止められない、止まらない。勢い2人、3人がかりで止めに行くと、相手は当然人数が余る。余った人間が余裕でトライを重ねていく。

 ディフェンスでは、味方がきちんと相手を止めていれば、次のプレーヤーは次の展開に備えて動ける。その結果ディフェンスも早くなるし、早いディフェンスは攻撃側にプレッシャーを与えミスを誘う。それをやられてしまい、せっかく攻めてもあっという間にボールを奪われ、蹂躙される。その連続である。せめて1トライくらいはと思うものの、手も足も出ないままにノーサイドのホイッスルを聞いた。

 かたや全国レベルの人材が100名以上集まって日々切磋琢磨するチームと、かたや2流、3流のチームでラグビーを齧った経験者半分プラス大学でラグビーを始めた初心者半分のチームとの、それは悲しいほどにもリアルな差だった。それ以降、早稲田大学とは公式戦で対戦する機会はない。

 ただその試合がまったく無意味だったわけではない。それ以後の試合相手からは強いという印象を受けなかった。当然と言えば当然だ。一人一人みんな「早稲田に比べれば」当たりも弱いし、スピードも遅い。息つく間もなく攻められる事もない。そういう強い相手と闘った経験は次に生きてくる。

 例えば1部リーグで全敗したチームが、2部リーグで全勝したチームと闘っても、勝つ可能性が高いのは、例え全敗であっても強豪上位校と対戦した経験がバックにあるからに他ならない。そういう事を肌で感じた経験であった。次のトンガはオールブラックスと比べれば「弱く感じる」だろうし、こじつけかもしれないが、日本代表のこのあとの試合に期待したいと思うのである・・・
(でもそれはトンガにも言えてる事だったりするのである・・・)
               

                   

2011年9月16日金曜日

日大練馬光が丘病院の決断

私の住む練馬区の一角で、ちょっとした問題が起こっている。
それは日大練馬光が丘病院の撤退問題だ。
同病院はその名の通り、光が丘に位置している。大江戸線の終点で、あたりかまわず立ち並ぶ団地は壮観だ。我が家もたまに出掛けていく。
その地で約20年にわたり地域医療の中心となって来た同病院が、赤字を理由に撤退表明したのである。20年の累積赤字が140億円にもなるという。
まあ経営者だったら、「やってられない」となるだろう。

赤字経営と言うと、何やら非効率だったり、閑古鳥状態だったりと思いがちだが、
・病床稼働率80
・入院患者数年間97,000
・救急患者受入数19,000
という数字を筆頭に、病床稼働率、平均在院日数、人件費率などは全国でトップクラスなのだという。外来もいつも混んでいて、「行列のできる」病院だったらしい。

なぜそんな「行列のできる」病院が、20年間も赤字を垂れ流し続けるのだろう。
素人的には信じ難いものがあるが、どうやらそれは診療報酬制度にあるらしい。
治療の成果を点数にして、一部は患者が負担し残りは国が払うという我が国の医療制度である。要は治療してもそれに見合った報酬が得られないという事らしい。

練馬区側は、何せ地域医療の事だから「後釜を捜せ」と日大側に働きかけているようである。
日大だって、世間体というものがあろうから、無碍にはできないだろうし、病院がなくなるのは住民も困るし、ですったもんだしているのである。
だけど単に後釜を据えたって問題は解決するとは思えない。
日大以上に効率的運用で利益を出せるところでないと無理だろうが、本当にそんなところあるのだろうか。

そもそもは国の保険制度の問題だろうと思うが、目をそちらに転じてみればまた別の問題がある。増税の旗印を高々と掲げて登場した野田首相だが、財務省もそれにつつかれている政治家も、無駄を省くのはそっちのけで増税の一点張り。
というのも、国家財政の赤字は酷いものだと言うのは国民の誰もが知っているが、その原因はと言えば、無駄ばかりではない。
高齢化という理由だけで、黙っていても年間1兆円増え続けている社会保障費の存在がある。
そんな数字を目の前にしたら、とにかく医療費を押さえこもうと必死になるだろう。
あちこちの歪みときしみとが民間病院に集約され、破裂した問題だという事だ。

我が家は同病院は一度しか利用した事がない。
娘が夜間ひきつけを起こして連れて行った事がある。
夜勤は若い先生がやらされるという噂に聞く通りのお姉ちゃん先生が診てくれたが、意外とたくさんの人が来ているものだと驚いた記憶がある。
でもあまり利用しないからと言って、閉鎖しても良いとは思わない。
どこかにしわ寄せは来るだろうからだ。

医療行為で儲けるなどと言うと批判を浴びる風潮があるが、やっぱり少しはお金がかかった方がいいのだろうかと考えてもみる。
タダだからと言って、安易に利用しているところが患者側にもあるのではないかと思う。
大した事もないのに救急車を呼ぶ行為が批判されたりして久しいが、「♯7119」の利用とか進んでいるのだろうか。やっぱり本当にいざという時に大病院は必要だし、赤字で撤退などという事態は起こってほしくない。

国民健康保険制度だって、例えば「重くなればなるほど患者負担は軽くなり、軽いほど高くなる」ような制度だって良いと思う。
風邪なんかで医者に行くのなら、子供は別として全額自己負担だって良いんじゃないかと思う。みんなが少しずつ負担しないと本当に高度医療が必要になった時に困るだろう。
そういう社会にするために、今自分は何をすべきだろうか。
やっぱり、「風邪は気合で治す」事がその第一歩だと信じて実践するのである・・・


【本日の読書】
人生という名の手紙

2011年9月14日水曜日

ストレス

よく「ストレスは溜まりませんか」と尋ねられる。
銀行員という仕事柄か、ストレスが多そうというイメージがあるのかもしれない。
確かに過去には胃が痛くなるような経験も何度かした。
昔の上司はみんな胃を壊していた。
しかしながら今は仕事でストレスを感じる事はほとんどない。
まあ職場の同僚に恵まれているという事が大きな要因だ。

そもそもストレスとは何かと考えてみる。
わかっているようで、実はあんまりその正体がよくわからない。
思うにたぶんそれは「思い通りにいかないイライラ」と定義できるような気がする。
そしてそれは、大半が人間関係に起因するのではないだろうか。
上司は無理難題を言うし、部下は思う通りに動かないし・・・

長時間労働が大変だというのもあるかもしれない。
しかしいくら大変でも、成果が上がれば苦労も報われる。
思う通りにできるのなら、仕事量が多くても苦にはならない気がする。
しかるに、そこに意見の違う者が入り込み、思うに任せぬようになると、途端に疲れが増してくる。今までの経験からするとそんな感じがする。

思い通りにいかないイライラが募り、ストレスメーターが上がって来て、いざ発火点が近づいたのを感じると、私の心の中ではブレーカーが落ちるようである。
まあそんなに思いつめる必要もないじゃないか、と言う声が聞こえてくる。
別にできなくても死ぬわけじゃないし、と。
そうして力がすっと抜けていく。
この「脱力」がストレス防止に役立っているような気がする。

これは仕事ばかりではなく、日常生活においてもそうだ。
先日もプライベートのある打ち合わせに出席した。
普段考えていた改善案を提案したのだが、何だかんだで結局は進まず、あまつさえ筋の通らぬ反対論まで出た。「やってられないな」と血が上る半面、「まあ別にお金もらっているわけじゃないし、嫌ならいつでも辞めればいいんだし、むきになる事もないな」と思い直し脱力していく。そうするとすぐに穏やかな自分に戻れる。

そういうケースはけっこうある。
思い通りにいかなくてイライラしそうになれば、「無理にやらなくてもいいじゃないか」と脱力する。やりたい事を楽しくやれるように心掛けていると、自ずからストレスも少なくなる。
それでもそれなりに逃れられない問題は起こるもので、それがやっぱり頭を悩ませる。
それがストレスと言えばそうなのだろうか・・・

まあ人生に問題はつきものだろう。
ショーペンハウアーも、「生きる事は悩む事だ」と言っている。
逃れられないものは正面から向き合うしかない。
それはそれで仕方がないが、だからこそ、それ以外のよけいなストレスはうまく回避したい。
「思い通りにいかなくても、どうでもいいじゃないか」と考えて、うまく脱力して対処していこうと思うのである・・・


【本日の読書】
人生という名の手紙  ダニエル・ゴッドリーブ

2011年9月12日月曜日

ラグビーの秋

いよいよ始ったラグビーのワールドカップ。
初日のオールブラックスの試合を堪能した後、土曜日は我らが日本代表の初戦。
IRBランキング13位の日本に対し、相手のフランスは4位。
ラグビーの世界はトップ10の壁が厚く、まず番狂わせは起こりにくい。
日本もどこまで善戦できるか、が残念ながらの見所。

それでも一時は4点差まで詰め寄る。
アナウンサーも仕事柄興奮気味であったが、アナウンサーの言うような「フランス選手に焦りの色」など私には見えず、それどころか「このまま4点差で終われば上出来だな」との方向に期待を向けていた。案の定、後半ラスト20分で一気に突き放されてしまい、21-47で敗戦。この「後半ラスト20分」というのが、ラグビーでは一番実力の差がでるところなのである。

翌日は「アイルランド対アメリカ」、「南アフリカ対ウェールズ」、「オーストラリア対イタリア」戦がテレビ欄に並ぶ。ケーブルTVではご丁寧に全試合放映してくれるのだが、とてもすべて観られない。アイルランド対アメリカ戦は子供と遊びながら半分ほど観戦。息子には少しでもラグビーに興味を持つよう、「さり気なく洗脳作戦」だ。アメリカのフランカーの選手の動きが良い。同じポジションだとついつい目がいくのだが、どんな選手か知識ゼロなのだが、良い動きをしていた。

「南アフリカ対ウェールズ」は世界3位と6位の激突。これは見応え充分。南アフリカのウィングとウェールズのセンターが目についた。特にウェールズのセンターは190センチの巨漢。日本だとそれだけの体格があったらまずフォワードだ。バックスは、「小柄でスピードのある運動神経の良い選手向き」という感覚があるが、みんなデカければ関係ない。たぶん出場している選手たちを目の前で見たら、体格でポジションなどわからないだろう。今日本の監督をしているカーワンも、かつてはオールブラックスの大型ウィングとして鳴らした大男だ。Davidも苦労したと思う。

オーストラリア戦は断念。
我が家でチャンネル権を持たない私にはそれ以上TVを占領する事は困難だった。
まあこのくらいでも満足だ。
そして夜にはネットで母校の試合結果をチェック。

国内では「ラグビーの秋」が始っている。
大学ラグビーも各地で熱戦が始っている。
我が母校の初戦の相手は、あの「松尾雄治」監督(元新日鉄釜石の名プレーヤー)率いる成城大学。昨年対抗戦Bグループ3位(母校は6位)の相手だったが、なんとこれを撃破。
幸先の良いスタートにすっかり満足(こちらも観に行きたかった・・・)。
今後が楽しみである。

さて一週間が始ったが、毎週末は忙しくなりそうだ。
少しでも時間を作ってチャンネル権を確保して、できれば母校の応援にも1試合くらいは、と欲張りな算段を練っているのである・・・


【本日の読書】

2011年9月10日土曜日

ワールドカップ開幕


いよいよラグビーのワールドカップが、本場ニュージーランドで始った。
そして、さっそく昨日オープニング・マッチとして開催国ニュージーランドとトンガの試合が行われた。日本では深夜の放送で、翌日朝早くに用事を控えた私は、睡眠時間を逆算して途中まで観ようと考えていた。

ところが、観始めるとやめられるものではない。
どちらも日本代表と同じブロックだし、どのくらいのものだろうという興味もあった。
ランキング世界1位のニュージーランド・オールブラックスと同12位のトンガとでは、試合結果は見えている。しかし、オールブラックスも勝つには勝ったが、トンガの粘りとパワーが目についた。日本はこのトンガとカナダに勝つのが目標だが、かなり難しそうな気がする。

2メートルを超す選手も混じり、筋骨隆々の選手たちが激突する。
その迫力に唸り、スピード感溢れる展開に酔い、華麗なテクニックに溜息が出る。
ワールドカップの魅力は、「日本代表がどんな試合をするか」という興味よりも、こうした世界の強豪同士のハイレベルな試合を観る事に尽きる気がする。

華麗なテクニックはどのスポーツでも観られるが、力でねじ伏せるプレーはラグビーとアメフト系ぐらいだ。ボールゲームの魅力と格闘技の要素をミックスしているわけで、これが面白さのゆえんだ。気がつけば試合終了。
途中でやめてなんて寝られるものではない。

やっぱり南半球3強(オールブラックス、オーストラリア・ワラビーズ、南アフリカ・スプリングボックス)の絡む試合は必見だろう。あとはイングランドを始めとする5カ国(フランス、ウェールズ、アイルランド、スコットランド)だろうか。
ワクワク感一杯の季節の始まりである。

残念ながらこのワクワク感を共有できる仲間が周りにはいない。
サッカーのような熱狂もないし、寂しい気分だ。
一時期ラグビーの魅力を伝える伝道師になって周りに広めようかとも思ったが、そんな無駄な事はやめる事にした。人の好みはそれぞれだ。
ラグビーの魅力を熱く語っても、そんなに通じるものでもない。

我が職場に熱烈なサッカーファンの同僚がいる。
今はなでしこジャパンがオリンピックにどうのこうのとか、先週はウズベキスタン戦がどうのこうのと話していたが、まったく興味がわかない。
なでしこジャパンの試合のために、深夜に起きて試合を観た人も随分いたようだが、私にしてみれば気が知れない。いくらサッカーの魅力を熱く語られても煩わしいだけだ。

そんな私もラグビーなら深夜だろうがなんだろうが、テレビにかじりつく。
次の日仕事だとかなんだかと言ってはいられない。
そんな気持ちを語ったところで、興味のない人には煩わしいだけだろう。
そういうわけで、この一カ月間はご機嫌に過ごす事になりそうだ。

ケーブルテレビでは全試合を放映するらしく、今この瞬間もスコットランド対ルーマニアが放映されている。観れば観たくなる。どうやらワクワクとあわせて、たくさん行われる試合を観切れないというフラストレーションも溜まりそうである。
ブログの更新が滞っていたら、たぶん「それどころではない」のだろうと思って間違いないと思うのである・・・


【作日の読書】
「四つ話のクローバー」水野敬也
「放課後」東野圭吾
                  

2011年9月6日火曜日

性教育

私もよく知っている中学3年生の男の子が、付き合っていた同級生の彼女を妊娠させてしまった。まあ今のご時世だし、別に不思議な事ではないのかもしれない。
その子は別に不良というわけではない。
むしろ学業ではクラスでトップグループに入り、スポーツでは中学2年時より上級生に交じって大会に出場するなど文武両道を極め、担任の先生からは「文句のつけようがない」と絶賛されていたほどだと言うから、ごく普通の少年だ。

何年か前の事、長女が高校生になったら直接性教育をしようと考えていると友人に語ったところ、「それでは遅い」とあっさり言われてしまった。
「そうかなぁ」とその時は思った。
その昔、「3年B組金八先生」で中学生の妊娠の話をやっていた。
観ていなかったので詳しくは知らないが、「所詮ドラマの話」と遠いところの話と考えていた。それが身近なすぐそばの現実問題となって表れてきた。

本当は直接その子と話ができればいいと思う。
避妊の知識はなかったのか、あっても大丈夫と思ったのか、ただ単に避妊具が買えなかったのか、どういう状況だったのかよく聞いてみたい。
今はちょっとパソコンで検索すれば、大人の映像は簡単に観る事ができる。
そういう「攻めの知識」はいくらでも手に入る。
しかし、避妊という「守りの知識」は案外おろそかかもしれない。
あるいはビデオの男優のようにやれば大丈夫と思っていて失敗したのだろうか・・・

我が子に対する性教育は、面と向かってきっちりやろうと考えている。
もはや以前のような婚前交渉に対する罪悪感などないだろう。
「するな」という事を説いても意味はなく、「どうやってするべきか」という方法論をきちんと教えないといけないと思う。
我が家は男の子と女の子と両方いるから、それぞれに応じてやらないといけない。
我が身を振り返ってみて、どうやってそういう知識を身につけたのか思い出そうとしたが、もう忘れてしまった。 だけどいずれ自然にわかると問題を避けるのはよくないだろう。
やっぱりきちんと知識のある者から教える必要はあると思う。

生まれて初めてコンドームを買いに行った時はかなり緊張した。
夜中にこっそりと家を抜けだし、あらかじめ目をつけていた、家よりちょっと離れた薬局の横の自動販売機まで買いに行ったのだ。
あたりを見回し、満を持してコインを投入したら、大きなブザーとともにケースが出てきて、販売機に悪態をつきながら慌てて取り出して一目散に家に帰った。
高校生ですらそうだったのだから、中学生の彼にはひょっとしたら買う勇気がなかったのかもしれない。

私自身は初体験の時もその後も、(あまりもてなかったせいか数は多くない)きちんと避妊だけはしてきた。
我が子たちにもその部分だけはきちんとしてもらいたいと思う。

相手の女の子の親との話し合いがどうなったかは、聞くのも憚られるところだが、どちらの立場にしても良いものではないだろう。
でもそれはやっぱり親の責任なのだろう。
日本ではそういう話はタブー扱いされているところがある。
私も親とそういう話をした事はない。
だがこれからはそうもいくまい。
避けては通れぬ道だと考えている。

ただなぁ、中学3年と言えばもうあと3年半先だ。
今はまだ一緒にお風呂に入る我が娘。
その時どんな風に話すのだろう。
嫌が応でもその時はやってくる。
もっとゆっくり大きくなってほしい、とつくづく思うのである・・・


【本日の読書】

ユダヤ人大富豪の教え ―ふたたびアメリカへ篇
卒業 (講談社文庫)

2011年9月2日金曜日

戦争と平和の表と裏

2011/09/02, 01:26, 日経速報ニュース,

新興国で戦闘機の大量導入相次ぐ 軍事バランス変化の懸念も
 経済成長が続く新興国で新型戦闘機を100機以上と大量に導入する計画が相次ぎ、財政難から自国向け販売が伸びない米欧メーカーが契約獲得へしのぎを削っている。開発・製造を継続しないと戦闘機に関わる技術力を維持できないため、先進国は自国の防衛産業の基盤を維持する目的で新興国向けの輸出を奨励。大型商談の成約が続けば、世界の軍事バランスにも変化を及ぼしそうだ。
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今朝はこんなニュースを目にした。
歴史の授業で、20世紀初頭の大恐慌をアメリカはニューディール政策で乗り切ったと教わった。
公共事業で需要を喚起し、経済を盛り上げたのだ。
しかし、アメリカの景気を回復させた真の公共事業は、実は「第2次世界大戦」だ。
ドイツもヒトラーが台頭し、軍備増強に走って一気に景気を回復させて国民の人気を得た。
軍事産業も立派な一大産業なのだ。

ニュースでは、今年のパリ航空ショーで、防衛産業大手が最新鋭機を対リビア軍事作戦での「コンバット・プルーブン(実戦で使えた)」を謳い文句に売り込んでいるらしい。
かつてはいいお客さまだった先進諸国が財政難で購入を控える一方で、新興国が100機単位で発注しているらしく、「実践使用済み」で箔がつくのだろう。

対リビア軍事作戦では、フランスが主導的な立場を取っていたが、フランスもダッソー社のミラージュという戦闘機を作っているし、今回の作戦では多国籍軍に空軍を派遣した事のないスウェーデンも突如として作戦に参加したが、自国のサーブ社の戦闘機を売り込むハラもあったようである。

そう考えると、独裁制に反対して立ち上がった反カダフィ派を、「民主化を後押しする先進国側が支援のための空爆を行った」という表面的な事実だけで考えるわけにはいきそうもない。
その裏で、「大チャンス」とばかりにそろばん片手に、政治家に戦闘機を送るように働きかけるメーカーの姿があったのかもしれない。

本来、兵器というものは自国を守るもので、当然相手よりも優れていればそれを維持して渡さないようにすべきもの。それが「商売道具」となっているのは、何より「売れる」からだし、友達に売れば大丈夫という安心感からなのだろう。

それでもアメリカが技術供与には慎重な一方で、欧州のユーロファイターという戦闘機は、『ブラックボックス・フリー(非開示の武器技術一切なし)』を売り物にしているという。
敵も多いアメリカは自国製兵器が敵に渡るのを恐れている。
しかしながら、ヨーロッパは割と敵も少ないという背景からなのかもしれない。

いまや軍事産業は一大産業であり、産業である以上は収益を追求する。
セールスには「実戦での効能」が一番の宣伝なわけで、そのための機会を関係者は虎視眈々と狙っている。かつて武器の闇商人を描いた「ロード・オブ・ウォー」という映画を観た。
今朝のニュースは闇商人の話ではないが、正規の商人だからいいというものでもない。
武器輸出国のトップは国連常任理事国5大国だと言うし、これが世の中の裏側というやつなのだろうと思うのである・・・


【本日の読書】


ユダヤ人大富豪の教え ―ふたたびアメリカへ篇
卒業 (講談社文庫)