2011年9月16日金曜日

日大練馬光が丘病院の決断

私の住む練馬区の一角で、ちょっとした問題が起こっている。
それは日大練馬光が丘病院の撤退問題だ。
同病院はその名の通り、光が丘に位置している。大江戸線の終点で、あたりかまわず立ち並ぶ団地は壮観だ。我が家もたまに出掛けていく。
その地で約20年にわたり地域医療の中心となって来た同病院が、赤字を理由に撤退表明したのである。20年の累積赤字が140億円にもなるという。
まあ経営者だったら、「やってられない」となるだろう。

赤字経営と言うと、何やら非効率だったり、閑古鳥状態だったりと思いがちだが、
・病床稼働率80
・入院患者数年間97,000
・救急患者受入数19,000
という数字を筆頭に、病床稼働率、平均在院日数、人件費率などは全国でトップクラスなのだという。外来もいつも混んでいて、「行列のできる」病院だったらしい。

なぜそんな「行列のできる」病院が、20年間も赤字を垂れ流し続けるのだろう。
素人的には信じ難いものがあるが、どうやらそれは診療報酬制度にあるらしい。
治療の成果を点数にして、一部は患者が負担し残りは国が払うという我が国の医療制度である。要は治療してもそれに見合った報酬が得られないという事らしい。

練馬区側は、何せ地域医療の事だから「後釜を捜せ」と日大側に働きかけているようである。
日大だって、世間体というものがあろうから、無碍にはできないだろうし、病院がなくなるのは住民も困るし、ですったもんだしているのである。
だけど単に後釜を据えたって問題は解決するとは思えない。
日大以上に効率的運用で利益を出せるところでないと無理だろうが、本当にそんなところあるのだろうか。

そもそもは国の保険制度の問題だろうと思うが、目をそちらに転じてみればまた別の問題がある。増税の旗印を高々と掲げて登場した野田首相だが、財務省もそれにつつかれている政治家も、無駄を省くのはそっちのけで増税の一点張り。
というのも、国家財政の赤字は酷いものだと言うのは国民の誰もが知っているが、その原因はと言えば、無駄ばかりではない。
高齢化という理由だけで、黙っていても年間1兆円増え続けている社会保障費の存在がある。
そんな数字を目の前にしたら、とにかく医療費を押さえこもうと必死になるだろう。
あちこちの歪みときしみとが民間病院に集約され、破裂した問題だという事だ。

我が家は同病院は一度しか利用した事がない。
娘が夜間ひきつけを起こして連れて行った事がある。
夜勤は若い先生がやらされるという噂に聞く通りのお姉ちゃん先生が診てくれたが、意外とたくさんの人が来ているものだと驚いた記憶がある。
でもあまり利用しないからと言って、閉鎖しても良いとは思わない。
どこかにしわ寄せは来るだろうからだ。

医療行為で儲けるなどと言うと批判を浴びる風潮があるが、やっぱり少しはお金がかかった方がいいのだろうかと考えてもみる。
タダだからと言って、安易に利用しているところが患者側にもあるのではないかと思う。
大した事もないのに救急車を呼ぶ行為が批判されたりして久しいが、「♯7119」の利用とか進んでいるのだろうか。やっぱり本当にいざという時に大病院は必要だし、赤字で撤退などという事態は起こってほしくない。

国民健康保険制度だって、例えば「重くなればなるほど患者負担は軽くなり、軽いほど高くなる」ような制度だって良いと思う。
風邪なんかで医者に行くのなら、子供は別として全額自己負担だって良いんじゃないかと思う。みんなが少しずつ負担しないと本当に高度医療が必要になった時に困るだろう。
そういう社会にするために、今自分は何をすべきだろうか。
やっぱり、「風邪は気合で治す」事がその第一歩だと信じて実践するのである・・・


【本日の読書】
人生という名の手紙

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