2011年8月25日木曜日

子供に野球

大阪の実家に里帰りしていた妻と子供たちとが帰宅した。
約3週間の帰省だったが、妻も子供たちも楽しんできたようである。
大阪に行っている間、長男は野球好きの叔父(私の義弟)に連れられて、何と甲子園球場に行って来たという。買ってもらったメガホンを誇らし気に見せてくれた。

野球好きの義弟には子供がいない。
それでよく我が家の子供たちを可愛がってくれている。
長男が生まれた時から、「野球をやらせましょう」と言ってくるくらいだった。
グローブなら○○、バットなら○○と決めてあるらしい。
ラグビー好きの親父の子供になんと大胆な、とも思うが、私も野球は好きだから異存はない。
まあどこかでラグビーに転向したらいいなと思う程度である。

私も子供の頃は、野球をやっていた。
親父は、いつも夕飯後にナイターで巨人戦を観ていた。当然ながら、横には私もいて一緒に観ていたわけで、気がついた頃には私も立派な野球大好きジャイアンツファンになっていた。
当時は今のように携帯ゲームなんてないから、子供たちは近所で遊ぶ、学校で遊ぶ。
必然的にその中に野球も入ってくる。

そしてそんな私を見ていてか、母親は私を近所の少年野球チームへ連れて行った。
確か小学校3年の時だったと思う。
ユニフォームを新調し、背番号「6」をつけて、私は【小山5丁目ハリケーン】の一員となった。チーム名からもわかるように、当時は5丁目だけでチームが作れたし、他のチームも似たようなものだった。

初めの頃は自分がうまいかどうかなんてわからない。
というか買ってもらったバットは重くて素振りすらも満足にできない状態。
ゴロだって強いのは取れない。
ただ、もともと根が真面目なだったこともあり、毎週末の練習には欠かさず参加。
少しずつうまくなっていった。
しかしそれもそこそこのレベルまで。打順は2番、ポジションはファーストというのが、最後に落ち着いたところだった。

我が町の町内にも野球チームがある。
小学校に上がってしばらくしたら、長男を入れようかとも考えている。
チームスポーツは一人ではできないし、みんなと力を合わせて相手チームと競う面白さがある。練習してそれが成果に結び付くのも大きな喜びだし、勝利の味は格別。
まずは興味を持つという点では、甲子園は良い体験だったかもしれない。
ナイターを観る事のない親父としては、いい叔父がいて良かったと思うのである・・・


【本日の読書】
「掃除道」鍵山秀三郎
「壬生義士伝(下)」浅田次郎

     

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