2018年12月20日木曜日

18歳

娘が18歳の誕生日を迎えた。生まれたと知らせを受けたのは、18年前の昨日。もう18年も経つのかと感慨ひとしおである。その一報がもたらされたのは、出勤前の早朝のことであった。妻が里帰り出産であったため、生まれたと聞いても実感など湧かず、まだ見ぬ我が娘を想像しながら出勤したものである。あれから18年。娘の年齢はそのまま私の父親としての18年の歴史でもある。18歳となると、もう選挙権もあり車の免許も取れるわけである。

世間では、娘も年頃になると父親を敬遠するようになるとはよく耳にすることである。だが、幸いなことに我が娘に限ればそんなことはなく、普通に接してくれている。父娘間の会話も普通である。その要因はと言えば、娘の性格でもあるだろうが、私の父としてのあり方であろうと思うようにしている。しかし、当然のことながら母娘間の距離の近さに比べたら敵うところではない。妻と娘は一緒に風呂に入ったり布団に入ったりしているが、そんな真似は父親には到底できない。仕方のないところである。

自分が18歳の時はどんなだっただろうと思い返してみる。今となっては楽しいことしか覚えていない。記憶は時と共にフィルターでろ過されて美しい思い出が多く残りがちであるから、そんな自分と今の娘とを比べるのは不公平だろう。高校三年生。受験という暗雲が漂っていたはずだが、青空一杯の日々だったように思う。ラグビーは引退していたが、様々な大人の経験をし、大人の扉を開けて足を踏み入れた時であった。

自分の経験から鑑みて、娘には来年は「車の免許を取る」「アルバイトをする」「本を読む」の3つを勧めている。車の免許については、私自身も大学に入ってすぐに取得した。大学2年生以降、彼女とドライブに行って楽しいキャンパスライフを送るために早いうちに取っておこうという戦略的計算であった。その目的は残念ながら取らぬ狸の皮算用に終わったが、免許自体は早く取っておいて正解だった。妻も免許を持っていて、それは日々の生活でも大いに役立っているし、これはやっぱり早いうちに取っておくべきだと思う。

アルバイトも社会経験ということでは欠かせないと思う。あげられるこずかいに限りがあるという悲しい現実は別にして、他人の中で働いてお金を稼ぐという行為は大事なことであり、就職して始めてそれを経験するのではなく、まずアルバイトで経験すべきだと思う。自分は高校に入る前にアルバイトデビューを果たし、以後親からこずかいをもらうことなく、すべてアルバイトで賄った。我ながらなかなかの若者振りだと思うが、そこまでとはいかなくても、経験は積ませたいと思う。

読書については、娘も日頃読んでいるが、何を読んでいるかと言えば若者向けのライトノベルである。私が言うのは「文学作品」であるが、これについては娘は抵抗感を示している。「夏目漱石なんて面白くない」と言うのであるが、言われてみれば確かに娘の求めるような「面白さ」はないかもしれない。そんな返事を残念に思ったが、ではそれを覆せるだけの説得ができるかと言うと、自分ではできないことにハタと気がついた。なぜ、文学作品を読むべきなのだろう。

私自身はと言えば、そんな疑問を持つことなく次々に手を出していた。夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、ヘミングウェイ、ヘンリー・ミラー、ドストエフスキー、ディケンズ、ブロンテ等々、三島由紀夫は社会人になってからであったが、学生時代はそんなところを疑問に思わず読んでいた。逆にもっとたくさん読んでおくべきだったというのが、あとの後悔である。だが、なぜ読むべきかと改めて問われれば、「教養として」以外に何があるだろう。ストーリーとしての面白さはそれなりにあったと思うが、「味わい」のようなものかと思ってみたりする。「とにかく読んでみろ(そうすればわかる)」という説得力のない説得しかできないかもしれない。

自分が今18歳に戻れたらさぞや楽しいだろうと思う。大学での学びももっと違うものになるだろうし、海外留学にもチャレンジしてみたい。読みたい本のリストはあっという間に3ケタを超えるだろうし、アルバイトもラグビーもあれもこれもと指折っていったらたぶん1日に24時間あっても足りないだろう。だが、それは今となったから思うことで、現役の18歳にはわからないかもしれない。自分自身も半分くらいしかわかっていなかったと思うし、無理もないことなのかもしれない。

我が娘はこれからどんな青春を送るのだろうか。今はいろいろと困難な時期にある娘だが、親としてできることをし、疎まれても自分の経験を伝え、通じなくても思っていることを話してみたいと思う。その結果、良好な父娘関係が崩れたらと思うと躊躇しないでもないが、説教臭くならないように明るく楽しく語ってみたいと思う。いずれ娘が自分の子供たちにアドバイスする時に、今の自分の経験がひょっとしたら役に立つかもしれないからである。

  大人の扉の入り口に立ったばかりの我が娘。父としてその行く道をこれからも見守っていきたいと思うのである・・・





【本日の読書】
 

 


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