2019年10月28日月曜日

夢とはなんだろうか


 若者には夢が必要だということに異論はない。若者に限らず、夢のある人とない人とでは、圧倒的に夢のある人の方が魅力的である。ただ、そうは言っても、今一つ力強くそう人に語ることができないと感じているのは、自分自身、昔から夢というようなものを持っていなかったからである。「将来プロ野球選手になりたい」と無邪気に語っていた幼少期は別として、それ以降、恥ずかしながら「夢」というものを持ったことがないのである。なんて夢のない人間なのかと思うも仕方がない。みんなどんな夢を持って生きているのだろうかといつも思う。

将来について漠然とではあるが、ある程度真剣に考え始めたのは高校生の時である。大学受験というのが間近に迫る中、志望大学を決めるのにはどうしてもある程度将来の進路というものを決めなくてはいけない。初めて「大人になりたくない」と思ったのもこの頃かもしれない。あれこれ迷うなか、何となく理系よりは文系と考えていたところ、アル・パチーノ主演の映画『ジャスティス』を観て、弁護士になろうと思ったのが最終的に進路を決めた経緯である。結局、大学に入ってから自分には法律は合わないと感じて進路を変更したが、果たしてあれが「夢」だったかというと、「そこまではいかない」というレベルだったと自分では思う。

弁護士というのは、あくまでも「職業」としてのもので、それほど強烈な思いを持っていたわけではなく、何となく浮かんだ選択肢の一つという感じである。結局、銀行員になったが、それもいろいろな選択肢の中から決めたにすぎず、「夢」というのとも違う。「金融を通じて中小企業の成長を助ける」というような崇高な志があったかと言えばそんなことはなく、ただ何となく経済のことがわかるようになれば、その先いかようにでも対応できそうだという漠然とした思いがあっただけである。それ以降、今日に至るまで、やはり「夢」と言って人様に語れるようなものはない。

そんなことをつらつら考えたのは、やはり高校を卒業して将来に悩んでいる娘に何と言ってアドバイスしてあげたらいいだろうと考えたからである。娘は不器用なタイプで、「とりあえず大学に行く」という気軽さは持てないようで、「やりたいことが見つからない」という思いを抱いているようである。ある意味、真面目なのかもしれない。そんな娘に対してどんなアドバイスができるのだろうかと考えてみたが、自分自身、夢などというものを持つことなく今日まで来てしまっているし、結局、できるとしたら「なるようにしかならない」というくらいかもしれない。

しかし、考えてみれば夢がなくてはいけないのだろうかと問われれば、それは「あるに越したことはない」という程度なのかもしれないと思う。現に自分は今日に至るまできちんと生きてきているわけだし、仕事もそれなりに充実していて、私生活でも週末にはラグビーをやったり、映画を好きなだけ観て、本も読んで、時折クラッシックのコンサートにいったり劇団四季のミュージカルを観に行ったりとそれなりに人生を充実させている。欲を言えばキリがないが、不満がないと言えばうそになるもののそれなりに楽しい人生を歩んでいる。それでいいようにも思う。

この先の人生の後半戦はどうだろうと思うが、体の動くうちはやっぱり今のような生活を送ってそれで充分だと思う。もうちょっと金銭的に余裕があれば尚良いが、この先もやっぱりラグビーをやりたいし、映画も観たいし本も読みたい。コンサートや観劇にも行きたいし、国内外の旅行にも行きたい。これまでとはちょっとワンランク上のそんな生活を送りたいと思う。それが今の夢と言えば夢。夢というにはあまりにも小さいと思うが、夢とは言わずに「望む生活」というならそれで充分。考え方によっては、「好きなことをする生活」とも言えるわけで、それが当面の目的であろうか。

娘もそんなに肩ひじ張らず、どこの大学に行こうとその先どんな風に生きようと、なるよになるだろう。立ち止まってフリーズしてしまうのではなく、動いてみることだろうと思う。夢なんて高く掲げなくとも、少なくとも親はそうやって生きてきているわけだし、大丈夫なのである。そのうちやりたいことも見つかるかもしれないし、「とりあえず」やりかけている大学受験に対して、迷うことなく向かうことでいいと思う。一つ扉を開ければ、また違う風景が見えるかもしれない。今度そんな話をしてみたいと思うのである・・・






【本日の読書】
 





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