2010年6月27日日曜日

マスコミを信じてはいけない

金曜日に今度の参議院選挙の案内が届いていたが、外へ出ればもう候補者のポスターがベタベタと貼ってある。いよいよまた選挙だが、今回も誰に一票を投じるかは悩ましいところだ。
(何だかんだ言っていつもそうなのであるが・・・)

それにしても、と毎度ながら思う、日本のマスコミはどうにかならないものかと。
思いつき・場当たり的な報道。日本人は真面目で新聞を読まないのは悪という考えが浸透しているから、そんなマスコミの意見をまともに受ける。国民に対するマスコミの影響度が大きいから、政治家もそれに合わせて右往左往する。

国民一人一人がよぉ~く考えてニュースを見ていれば、何となくおかしいだろうというような事には気付くと思うのだが、どうなんだろう。もっとも私も関心の薄いジャンルについては、マスコミの流す情報を「ふ~ん、そうなんだ」と受け流すから、あまり人の事をとやかくは言えないかもしれない。

決戦前は岡田監督の率いるサムライジャパンを批判的にみていたくせに、カメルーンに勝った途端、岡田監督は名将と讃え上げられた。小沢一郎を叩きまくった割には、小沢一郎の何がどう悪いのか、ニュースを見ていたはずなのにいまだに私にはわからない。検察だって2度も控訴を断念したのにまだ悪者扱いしているが、いったい何が悪いのだろうか。

昨年は民主党に対して「マニュフェストに拘りすぎ」と批判した。
しかし、そんなら今回のマニュフェストに何が書かれていようが関係ないように思うのだが、今年はそうでもないらしい。それとも選挙が終わったら、また拘るなと言うのだろうか。

よく考えてみれば記者だってサラリーマンだ。
会社の方針には従わなければならない。
朝日新聞の記者は、絶対に憲法改正賛成の記事は書けない。
世間の関心を集めそうな事を書いて無難に過ごそうとしているのなら、場当たり的・日和見的な記事も頷ける。小沢一郎はとにかく悪人にしておけば、国民はさもありなんと思うだろうし、無難に過ごせるのだろう。

私がこんな風にマスコミに対して斜に構えるようになったのは、銀行員として経済の最前線にいるゆえに、金融音痴なニュースに接して辟易した経験が何度もあるからだ。
「こいつら全然勉強していないな」というのを何度も感じたからだ。
世間一般ではマスコミの情報が絶対視されているが、ほんとうに歯痒い限りだ。
大半の記事は「嘘は書いてないが、正確ではない」と考えて間違いないと思っている。

とはいえ、我々は選挙に関する情報はマスコミに頼るしかないのも事実。
どうしたって正確ではない情報を大量に浴びなければならない。
自分の常識と感性を頼りに取捨選択していくほかはない。
若い記者が上司に言われた筋書きにそって取材し、記事にしたものを我々は見ている。
新聞やテレビの向こう側にはそんな世界がある事を想像し、対応していきたい。

最後にあるブログで見つけたものをご紹介しておく事にする。


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新潟中越地震を取材した記者のこんな裏話の記事を見つけた。
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地震発生の2週間後に被災地に取材に入った。
コンビニには商品がぎっしりと並び、地元の人々はのんびりと生活していた。
地元の人に被害を聞くと被害を受けた地区もあると、まるで他人事。
被災地のコンビニもすでに営業をはじめていた。

救援物資を積んだトラックが着くと「また来たのか」とウンザリしていた。
引き取り手のない救援物資は山のように積まれていた。
地元の人たちは、村に入り込んできた大勢のボランティアやマスコミ関係者など外部の知らない人が出入りすることに不安を感じていると言う。露骨に嫌な顔をする住民もいた。

地震で亡くなった子供の同級生にしつこく取材を続け、その子供が泣き始めると「ようやく泣き顔の絵が撮れた」と言っている取材関係者もいた。
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報道のためには「被害は甚大」でなければならないし、「被災者は悲惨」でなければならない。それはマスコミ関係者が被災地へ入る前からのシナリオでありマスコミトップの指示でもある。
被害が予想より少なくても「甚大な被害」を映さなければならないし、住民がのんびり暮らしていても「悲惨さ」を演出させなければならない(以下略)
     
こんなものなのだろう・・・


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