2009年12月27日日曜日

ライバル1

 就職試験の面接で、「ライバルはいますか」と学生たちに尋ねると、「ライバルは自分です」と8割方が答えるそうである。そもそも今の時代ライバルのいる人なんていったら、何かスポーツでポジション争いをしているとか、そんな人だけなのではないかな、とふと思った。かく言う私自身も、これまでライバルなどと呼べるような存在はいなかった。

 「いなかった」と言いつつも、一人の男の顔が脳裏を過ぎる。その男は小中学校の同級生だ。といっても決してライバルという存在ではない。「ライバル」を定義するなら、「同レベルで甲乙つけ難く争っている者」と言えるだろう。そういう意味でも彼はライバルではない。

 確かに何かにつけて張り合っていた事は事実だ。小学生だから、それは本当に些細な事だった。例えばなぜか彼は中日ドラゴンズのファンだった。ジャイアンツファンの私とは、したがってよく互いの勝敗に一喜一憂していたものだ。ちょうどジャイアンツがV10を逃した年に優勝したのがドラゴンズだったから、彼は有頂天だった。私はその年の最終戦、長嶋茂雄が自らが引退するまさにその試合で、相手のドラゴンズからホームランを打って一矢報いた、といった具合だ。

 野球と言えば、彼も私もチームこそ違えど近所の野球チームに所属していた。彼の運動神経はお粗末そのもので、野球をする姿は滑稽。下手なお笑い芸人より笑わせてくれた。スポーツ全般で彼は私の足元にも及ばなかった。しかし、そんな彼でも唯一得意だったのが長距離走だった。

 中学生の時に品川区のマラソン大会に出場し、5キロ走った事がある。エントリーしたあと、彼と私を含む4人ぐらいで練習し、本番を向かえた。4人の中でトップは彼で、私は2番。もっともその時から、ただ黙々と走るだけの長距離は退屈この上なく、好きになれなかった私は、負けても悔しくもなんともなかった。長距離は私が闘うフィールドではないのだ。今も長距離では、他では負けず嫌いを自負する私でも、負けて悔しいという気持ちは起こりえない。

 将棋も彼には負けた事がない。彼は「将棋世界」という雑誌を定期購読し、勉強して初段をとった。私にそれを自慢しに来たが、ではと勝負をしてはそれまで通り返り討ちにした。無冠の私は彼にたった一度引き分けただけで、無敗を守り通したのだ。とてもではないが、彼は私のライバルたり得なかったのだ。

 高校は互いに違う都立高校に進学したため、年賀状だけのやり取りになった。大学受験を間近に控えたお正月、彼からの年賀状に息を飲んだ。彼はそこで私が目指しているのと同じ大学を受験すると宣言していたのだ。しかも同じ法学部だ。プレッシャーがかかってしまった。彼が長距離走に加えてもう一つ私より勝っていたものが、「勉強」だったのだ・・・

     


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