2021年3月25日木曜日

勉強することができる幸せ

 息子が中学を卒業した。この4月からいよいよ高校生。いつのまにか私よりも背が高くなり、子供の成長というものを実感する。人生初めて臨んだ受験は、公立と私立それぞれ1校を受験し、両方合格して第一志望の都立高校に通うことになった。学費の面でも、親としては大変ありがたい。かくいう私も、公立高校、国立大学と学費的には親孝行であったと自負しているが、息子にもそうあって欲しいと願うところである。

 今は、いい時代だと思う。私の父は、中学を卒業してすぐに上京し、住み込みで働き始めたという。当初は地元で大工修行という話もあったらしいが、同級生が親戚の関係で上京することになり、ならばと一緒に出てきたという。労働基準法などあったのかなかったのか、朝6時に起きてから慌ただしく朝食と支度を済ませ、8時に出勤してくる職人さんのための準備をし、夜も遅くまで働き寝るのは12時過ぎだったという。

 その後、中小企業を渡り歩くが(当時はそんな風潮だったらしい)、ある時、大手の会社に面接に行ったらしい。そこでは、中卒ではせいぜい工場長止まりと言われたと言う。父は技術者としては腕が良かったらしく、行く先々で重宝されていたから、この時はじめて「学歴の壁」を感じたらしい。あまりはっきり聞いたことはないが、高校へ行けなかった無念が改めて実感された瞬間だったのではないかと思う。

 そんな父の世代の猛烈な働きで、日本は敗戦時の最貧国状態からわずか20年でオリンピックを誘致できるまでに経済成長し、私はなんの障害もなく高校・大学と進学できた。父の実家は貧しい農家で、父は小学校時代、裕福な家の子が短くなって捨てた鉛筆をこっそり拾って使ったこともあったという。一方、同年代の義父は大学を出ているから、ある程度家庭環境の差もあるが、私も父の時代であれば、よくても高校までしか進学できなかったのだろう(父と同じ年の母は兄の支援で高校へ行けたという)。

 私は大学受験は現役の時は1校だけしか受けずに落ちて浪人した。予備校に行かせてもらうのも悪いと宅浪して2年目に合格した。予備校に通っていもあまり熱心に勉強していない友人も多かったし、大学ではまわりはみんな授業に出ずにいかに単位だけ取るかに腐心していた。友人たちの授業の平均出席数は週5コマ未満であったが、私は12コマ出ていた。知的好奇心ももちろんあったが、大学へ進学できるありがたさを考えれば「単位だけ取って遊ぶ」という選択肢は私にはなかったのである。

 よく子供が「どうして勉強しないといけないのか」と聞くことがある。小学生あたりでは理解が難しいかもしれないが、勉強は「しないといけない」ものではなく、「する事ができる」ものである。父の田舎にある寺の和尚さんは、ノートを3回使ったという。一度端まで使った後、逆さにしてもう一度使い、さらに赤鉛筆でもう一度使い、最後は真っ黒になったらしい。そんなことが可能だったのかわからないが、そういう思いをしてまで勉強していた人たちからすれば、勉強できるのにしないという贅沢などありえないだろう。

 人は当たり前になればありがたみを忘れる。紛争地帯にあっては命の心配をしなくていい環境はそれだけで何物にも代えがたいだろうし、砂漠にあっては一杯の水が貴重だろう。だが、紛争地帯にあってはじめて平和のありがたさを実感するのではなく、砂漠で水の貴重さを実感するのでもなく、普通に勉強できる環境にあって勉強できるありがたさを感受できるようでありたいと思う。そしてできれば息子にもそれを感じ取って欲しいと思う。

 先日、息子と2人で私の実家へ行ってきたが、行きの車中で父の経験談を聞かせた。70年前、息子と同じ年の父は、友達と2人で見も知らぬ東京へと出てきた。故郷から東京まで汽車で6時間。今よりはるかに遠かっただろうし、心細かっただろうと思う。私も息子も何の不安もなく当たり前のように進学したが、味わわなくて済んだ身近な父の苦労をせめて想像だけでもしたいと思う。息子がどんな風に思ったのかはわからないが、少しでも何かを感じ取ってくれたらと思う。

 息子にはあえて勉強しろとは言うつもりはない。ただ、勉強は「する事ができる」ものだとは思ってもらいたい。高校の3年間は実に楽しいものであった。勉強も頑張ったし、ラグビーも頑張った。息子にも同じように勉強に野球に友達との思い出作りに最良の3年間を過ごして欲しいと思う。これから楽しい高校生活を迎える息子を羨ましく思いつつ、エールを送りたいと思うのである・・・



【本日の読書】
 



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