2009年5月4日月曜日

忌野清志郎

 忌野清志郎が死んだ・・・
少し前から喉頭癌だとは聞いていたが、元気に闘病生活をしているものだと思っていた。
突然のニュースを聞いて、どこか予想はしていたものの、一つの時代の終わりを寂しく感じる。

 高校の時、初めてRCサクセションと忌野清志郎の名前を知った。
ハチャメチャでいながら、何か感じるところがあって一発で好きになった。
人は自分にないものを他人に求めると言う。だとすれば、自分とは180度異なる異次元に住む忌野清志郎は、まさに自分にはないものの塊であった。

 それまでの自分は、普通の無難な舗装された道をまっすぐに歩いていた。
ところが忌野清志郎は、無人の荒野を自由に飛び跳ねていたのだ。
自分が絶対やらない(やれない)事を自由にやっていた。
死につながるからといって、アパートには4号室がない日本で、「いまわの際」を芸名にしているのだ。そこからしてタダモノではない。

♪俺はつきあいにくいぜ 誰の言うこともきかねぇ 口やかましく言われても おれの態度を変えることはできねぇ だって俺は自由、自由、自由♪・・・・(自由)

 少ないこずかいをはたいてレコードを買うのに迷いはなかった。
邦楽のLPレコードを買ったのはそれが最初だったと記憶している。
社会人になって13万円で買ったマーチの助手席には、必ずRCのカセットテープが無造作に置いてあった。ドライブのお供はRCだった。だから、雨上がりの深夜の甲州街道でマーチが止まってしまった時は、どうしようという戸惑いよりもRCの世界を体験できた喜びが強かった。

「♪どうしたんだい、ヘイヘイベイビー、バッテリーはビンビンだぜ!♪」と鼻歌を歌いながら車を押した。一緒に押してくれた同期の友人は明らかに迷惑そうであったが・・・

 忌野清志郎のロックは、ロックではあるものの、「よろしく矢沢」の王道ロックとは一味違うように感じていた。社会の枠から飛び出る事がカッコいいのではない、自由に羽ばたくのがカッコいいのだというメッセージのようなものを感じたのだ。

 メロディーも好きだったが、共感できる歌詞も好きだった。
♪あーあ とうとう裸にされちゃったなんて  言いながら  あの娘が起き上がる朝  窓の外は雪♪(窓の外は雪)
こんな光景に強い憧れを感じた。

♪昨日は車の中で寝た あの娘と手をつないで 市営グランドの駐車場 二人で毛布にくるまって♪(スローバラード)
彼女ができたら、こんな風に付き合いたいと思った。
 
 そんな世界は何一つ実現できないまま、今日に至っている。人生の最後の瞬間に、これまでの人生を振り返って懐かしむとしたら、忌野清志郎とともにドライブしていたあの頃のことは、間違いなくそこに登場するに違いないと思うのだ。今夜、久しぶりに聞いてみようと思うのである。あの頃を思い出しながら・・・

     

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