2018年8月1日水曜日

LGBT

LGBTという言葉が最近定着してきている。LGBTとは、LesbianGayBisexualTransgenderの各単語の頭文字を組み合わせたもので、要は通常の男と女関係からずれる人たちを指す言葉である。ただ、これ以外にも「おかま」だとか「ホモ」だとかいろいろあって、その正確に意味するところをきちんと理解しているかというとどうも心許ない。私自身は極めてノーマルであるゆえに、またこうした人たちが周りにいるわけでもなく、したがってその気持ちを聞いたこともないからよく理解できないというのが実情である。

男として生まれた以上、男としての自覚を持ち、女性を愛するというのが通常の形。ところが「体は男だけど心は女」(トランスジェンダー)とか、「体も心も男だけど恋愛対象は男」(ゲイ)とか、普通の文脈からずれてしまっているのである。さらにトランスジェンダーの場合、恋愛対象によってはややこしくなる。己の理解のため、わかりやすく分類したら以下のようになった。

実際の性別
心の性別
恋愛対象
分類
ノーマル
ゲイ
トランスジェンダー
トランスジェンダー
&レズビアン(?)

蓼食う虫も好き好きという諺がある通り、人の趣味など所詮他人には理解できないもの。とは言え、ゲイが男なのに男が好きと言われても理解に苦しむところはある。ただ、身も心も男という点では、理解しやすいところがある。こういう友達がいたら同じ女性を巡って争うという心配はないだろうなどとお気軽に思ってしまう。そういう友達がいたとしても、普通に飲みに行ったりして付き合えると思う。

逆に難しいのはトランスジェンダーだろうか。よく街中で明らかに女装とわかる人が歩いているのを見かけることがある。単なる女装趣味とトランスジェンダーとは違うのかもしれないが(違うとしたらややこしい)、こうなると一緒に飲みに行くというのにはちょっと抵抗感がある。中には本物の女性より美人という人もいるだろうが、そこまで行けばまだしも、中途半端だと個人的には厳しい。

最近、「LGBTは生産性がない」と発言して杉田水脈議員が叩かれているが、その真意は別として世の中で一定の評価・話題性を得られるようになってきたのはいいことだと思う。一昔前なら「気持ち悪い」と言われていたであろうが、世の中に公になってくれば「そういう人もいる」という風になってくるからである。病気に例えるのは違うかもしれないが、最近はいろいろな症状に病名がつけられて認められるようになってきているし(例えば鬱病)、そう思うことによって理解しやすくなるという部分はあるかもしれない。嫌悪感を抱く前に、考え方を変えてみるという手はあると思う。

では、そういうLGBTの人と自分は友達になれるだろうかと考えてみると、想像してみるにそれにはあまり抵抗は感じない。ただし、ゲイの友達ならいいがトランスジェンダーの友達だとちょっと困るかもれない。と言うのは、やっぱり人目が気になるという部分が大きい。「可愛い女の子と歩いている」と思われるならいいが(別に可愛くなくても女の子だと思われるなら許容範囲内だし、男の格好ならなお問題はない)、「女装している」とわかって好奇の目で見られるようだと、気弱な自分としては引いてしまうからである。

人間というものは、ちょっとした違いを見つけて人を差別しようとするものだと思う。人種・思想・宗教などなど数え上げたらきりがない。狭い日本の中でさえ、部落差別なんてものがあったくらいである。根本的に人間は排他的にできているのかもしれないと思うくらいである。しかし、いまの世の中あらゆる差別・偏見は撤廃の方向に向かっている。そういう中で、LGBTも普通に付き合えるようになっていくべきものなのであろうし、自分にもそういう友人がいてもいいと思う。

考え始めると、「トランスジェンダーの男が好きになった男性が、実はトランスジェンダーの女だったなんてことになったら、表面的には普通のカップルに見えるな」、などとくだらないことにまで及ぶ。まぁノーマルな男でもナヨナヨした人はいるし、女性でもとてもたくましい人もいる。この際、「みんな違ってみんないい」なのかもしれない。

 そういえばその昔、自分は「男が惚れるような男でありたい」と思っていたことがある。今でもそういう気持ちはあるが、言い方には気をつけないといけないかもしれないと思うのである・・・





【本日の読書】

 
 
    

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