2018年7月11日水曜日

鬱は病気なのか

中小企業に転職してからあまり身の回りに感じなくなってしまったが、銀行員時代はやたらと「出勤していない人」がいたものである。転勤で移動して座席表を見せてもらうと、なぜか「名前はあるのにいつも空席」が必ずと言っていいほどあるのである。聞けば必ず「今はお休みしている」という返事が返ってくる。さらに実は身内にも複数「休んでいる人」がいた(今は復帰している)。今は職場も寛大で、そういう人には無理に出社させたり辞めさせたりはしない。いい時代だと思う。

そんな鬱は心の病気であり、精神的にはタフだと自覚している私からすると、どうにも理解しにくいものがある。以前、銀行員時代に職場の先輩から経験談を聞いたことがある。朝、いつも通り家を出るのだが、どうしても途中で足が止まってしまったのだとか。診断を受けて休職し、その後職場復帰してそれなりに出世されていたが、その時もどうしても理解できなかった。批判を恐れずに言えば、「甘えているだけじゃないか」と思えてならないのである。

鬱になる原因はいろいろあるのだと思う。仕事上のプレッシャーだとか、長時間労働だとかいろいろあるのだろう。実は、私の父親も15の春に上京して住み込みで働き始めたが、やがて「症状」が出て帰郷したことがあるのだという。当時は長時間労働が当たり前で、朝は6時から夜中の12時まで働いたという。その間、食事の時間は休みだが、それも3食合計で1時間という状態だったという。時代とは言え、ひどいものである。そんな状態だったらおかしくなるのも理解できる。

ただ、仕事のプレッシャーはどうかと言えば、これはわからない。そんな経験したことないだけだろうと言われればそれまで。ただ、私も仕事で大きなミスをし、大損害を出して毎日針の筵状態で出勤し、「行くのが嫌だ」という思いをした経験ぐらいはある。また、悩んで眠れないまま朝を迎えた経験もある。ただ、「その程度」と言われればそれまで。本当にプレッシャーに苦しんだことがないと言われれば、それまで。そもそも私には耐性があるのかもしれず、一定以上のプレッシャーがかかると心のブレーカーが落ちて、ダメージにつながらないようになっているのかもしれない。

ただ、どんなプレッシャーであろうと、仕事がない恐怖よりはマシだと思う。例えば今会社が倒産したらと考えると、恐怖感が湧く。たとえ再就職できたとしても、50代前半では収入も激減するだろうし、そうなると住宅ローンや教育費を払っていくことができなくなるかもしれない。そんな恐怖から比べると、会社に行けなくなるほどのプレッシャーなどあるのだろうかと思えてならない。しかし、人によって挙げられるバーベルの重さに違いがあるように、耐えられるプレッシャーも異なるということはあるのかもしれない。

理解できないとは言うものの、実際そういう人たちは苦しんでいるのだろうし、それはそれで気の毒だと思うし、心の中で「甘えているだけではないか」とは思うものの、それをぶつけるつもりはない。ただ、漠然と「自分は鬱になどならない」と思うだけである。特に仕事上のプレッシャーなどであれば、大変だとは思うだろうし、眠れなかったり、痩せたりはするかもしれないが、「会社に行けない」までにはならないという思いはある。

それはまったく根拠のない自信なのかもしれない。ただ、プレッシャーにどう耐えるかは結局、「考え方」だと思うのである。仕事がないよりプレッシャー付きの方がマシだろうし、上司からのプレッシャーなら、「プレッシャーしかかけられない無能な上司対有能な自分」という図式でも思い浮かべてみるし、そんなことでしなやかにかわせるから、これまで鬱にならなかったのかもしれない。あえて言うなら、プレッシャーを正面から受け止めて叩き壊さんとするガッツかもしれない。

 いずれ我が子にもそんな「考え方」を伝授したいと思う。何事も世の中は考え方。鬱にならないのもそんな「考え方」だと思うのである・・・






【本日の読書】
 



 

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