2018年7月16日月曜日

サピエンス

15日にNHKスペシャルで3回シリーズでやっていた「人類誕生」という番組を見た。ちょうど「サピエン全史」という本を読んでいたこともあり、息子と2人で興味を持って見たのである。3回目は「ホモ・サピエンスついに日本へ!」と称し、いかにして我々の祖先が日本列島にやってきたのかを検証していた。

番組によれば、アフリカに起源を発する我々の祖先は、地球上を移動し、まさに極東の地日本に当時大陸続きだった北海道ルートと南海の沖縄ルートでやってきたらしい。北海道ルートは極寒の中を踏破せねばならず、南海ルートは黒潮の流れが厳しい海を渡らなければならず、どちらも困難な道のりであったと推測される。見ているうちに、いつの間にかなぜそんな困難を押してまで見知らぬ土地を目指したのだろうかと考えていた。

番組では「好奇心」というような推測を挙げていたが、個人的には「止むに止まれず」だったような気もする。人間は何より安定を望むもの。わざわざ新天地を目指すのは、今いる土地に希望が持てなかったからではないのかと思うからである。ちょうど信仰の自由を求めてピルグリム・ファーザーズがヨーロッパを離れ、アメリカに移住したように。何かはわからないものの、たとえば人口が増えて食料の確保が難しくなったというような事情でも生じたために、移動したのではないかという気がするのである。

そうでなければ、なぜ安住の地を離れるというリスクを犯すのであろうか。我が子を公務員にしたいと願う現代の親の感覚だったら、きっとこの地に止まれと諭していただろう。番組では、当時の最東端であった台湾から見ると、日の出ずる彼方にある与那国島に対する憧れのようなものがあったのではと推測していた。確かに、「あの山の向こうに何があるのか」という好奇心は誰の心にもある。そんな好奇心を抑えられなかった人もいたのかもしれない。

事実がどっちだったのかは興味深いところではあるが、理由はどうあれ移動したのは事実であり、個人的にはそれで十分だと思う。いずれにせよ、我々の祖先はリスクを犯した上でチャレンジをし、そして新天地へと移り住んだわけである。もしも公務員志望のメンタリティだったら、日本列島はずっと長く未開の地であったかもしれない。もっとも、「公務員志向」は親の代だけかもしれない。子供はずっと好奇心旺盛で、いつも「あの山の向こう」を夢見ていたのかもしれない。そして海を渡ったのは、まさにそんな子供たちだったような気がするのである。

翻って現代に生きる我々には、もう新天地を探し求める必要は無くなってしまった。あの山の向こうには何があるのかは、直接行って見なくともテレビもYouTubeもグーグルマップだってある。少なくとも、「地理上の新天地」はもうない。あるのは「心の新天地」だけであろう。自分自身に置き換えてみれば、やはり仕事のことと被ってくる。今いるところを安住の地として良しとするか、もう一段上の新天地を目指すか。

今いるところが安住の地かと言えば、正確にいうと突っ込みどころかもしれない。下りのエレベーターに乗っている状態であると言えなくもない。だが、それは別として、やはり「昨日とは違う今日、そして今日とはまた違う明日」をモットーとする自分であれば、やはり「あの山の向こう」を常に意識していたいと思うところである。常に「あの山の向こう」の新天地を目指す意識を持っていたいと思う。そんなチャレンジャー・スピリットの欠片が、遠い祖先から受け継がれた自分のDNAにも刻まれていると信じて。

 これから五十代も中盤から後半へと向かうが、いつまでもそのDNAを意識したいと思うのである・・・ 




【今週の読書】

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