2016年1月28日木曜日

育った環境は影響が大きいと思う

日本は単一民族で、「社会主義国家以上に社会主義的な平等社会」とはよく言われることである。
それはそれで良いことだと思っているし、だからその中で培われた文化を破壊する移民政策には断固反対するのだが、ではまったく同じかというと、当然ながらその中にはその中なりの違いはある。

その一つに、「育ち」がある。
どういう表現が適切なのか実はよくわからないのだが、なんとなく「育ち」という言葉で説明できそうなので、そう表現することにする。
とにかく、「育ち」とでも表現できそうな生活習慣の違いからくる違和感は確かにあるのである。

私は現在、出身高校の関連の財団でボランティアのお手伝いをしているが、その他にも同窓会などの交流もあり、同期のメンバーともフェイスブックでつながっていたり、たまに飲みに行ったりしている。しかし、小学校・中学校の付き合いはない。
そもそも小中学校時代は、学年にいわゆる当時「ツッパリ」と言われた不良グループがいて、実に雰囲気が良くなかった。もちろん、なるべく関わり合わないようにしていたが、近くにくればなるべく目を合わさないようにしていたし、そうした卑屈な行動は自分自身が嫌になるものであった。そうしたグループ及び周辺にいる者たちには、独特の空気があって、それが大体共通していた。

高校に入った途端、そういう空気の人間は見事にいなくなった。
自慢するわけではないが、「学力」というフィルターを通過したことにより、「濾過」されたのだと思う。それが居心地の良い空気をつくり、だから高校関連の集まりにも積極的に行こうという気になれるのである。

ちなみに高校でラグビーをはじめたことにより、すっかり度胸がついた私は、もし小中学校(特に中学時代)に戻っても、校内を俯いて歩くことなどないだろうという自信がある。
後の祭りなのが残念なのであるが、もし今の自分があの頃に戻って人生をやり直せたら、思い出も随分明るいものに変わると思うのである。

そんなことを考えたのも、先日仕事であるご家庭にお邪魔した時に感じたのが原因である。
そのご家庭で、久々に「あの空気」を感じたのである。
ご主人は今では立派に一家を支える大黒柱だが、たぶん中学校時代はそうとう「やんちゃ」だったのではないかと推察される雰囲気なのである。
発言の端々にそれが表れていた。

仕事の話で行ったのであるが、通されたのはお茶の間で、テレビがガンガンかかっているが、ご主人は気に留めることもなく話を進める。
途中で娘さんが入ってきたのであるが、「こんにちは」というこちらの挨拶に答えるでもなく、テーブルに置いてあった煙草を取り、火をつけるとそのまま咥えて出て行った。
見たところ10代にも見えそうな若いお嬢さんで、ご主人の話によると、今妊娠しているという話だった。穿いていたのは紫のジャージだ。

いずれ子供が生まれ、新たな家庭ができるのだろうが、その家庭がどういう空気に満ち溢れるかは、想像に難くない。
たぶん、その家庭の「空気」はずっと受け継がれていくのだろう。
仕事だからにこやかに話をしたが、プライベートでは絶対にお付き合いしたくないと思う。

そういう考えが良いか悪いかなどという議論は意味がない。
悪いに決まっている。
しかし、心に感じる感情には逆らえない。
合わないものは合わないのである。
露骨に嫌って差別するのは、それこそ大人気なくやってはいけないこと。
「黙ってそっと距離を置く」。
そういうスタンスでいたいと思う。

よくないことだと言われても、相容れられない空気に対する違和感は拭いがたいと思うのである・・・



【本日の読書】

   

0 件のコメント:

コメントを投稿