2015年11月1日日曜日

立ち止まれるべき時は

【ランズエンド闇の孤島】という映画を観た。特に面白いというほどの映画ではなく、エンターテイメントとしては、普通の映画なのであるが、観ていていろいろと考えさせられる映画であった。

主人公は刑事のジョー。
ある日、少女が惨殺されるという事件が起こる。捜査線上に浮かんだのは、性犯罪歴のある男ビューリー。早速、拘束して取り調べるも、自供が得られない。有罪を立証しうる証拠もなく、やがて拘留期限が切れ、ビューリーは釈放される。

ところが、ジョーはこれが許せない。
ビューリーの動向を監視し、そしてある晩、パーティーの帰りにビューティーを拉致する。
そして人気のない海岸で、生き埋めにする脅しをかけ、自白を強要する。
身の危険を感じたのであろう、ビューリーは自白し、ジョーは思い余って彼を殴り殺してしまうというストーリーである。

刑事とはいえ、そこまでやるとさすがに犯罪である。
そしてあろうことか、やがて真犯人が明らかになり、ビューリーが無実だったことが発覚する・・・
ジョーは、その場にいた同僚刑事でもある弟のクリシーとともに必死に隠蔽工作をするのであるが、やがて二人は追い詰められていくというストーリーである。

「怪しい」という思いと、殺された少女への同情と、ジョーが暴走していく気持ちはわからなくもない。ただ、どこかで一旦立ち止まって原点から見直してみたら、あるいはこのような悲劇は避けられたのかもしれないと思う。
そういえば最近、事件から20年経って子供殺しの罪に問われていた夫婦の無罪が立証されたと報道されていた。なんでも、放火とされていたのが、実験によって自然発火だった可能性が高くなったというのが理由であった。警察もどういう捜査をしたのだろうかと疑問を感じてしまう。

だが、実は夫の方は、亡くなった娘に性的暴行を加えていたことが分かっており、夫婦には当時多額の借金があり、にもかかわらず、子供に多額の保険をかけ、しかもマンションの購入契約を結び、お金を必要としていたという事情があったらしい。
これだけ聞くと、「真っ黒じゃないか」と思うのが普通だろう。
正直、事件が自然発火であったとしても、それがなくてもどこかでやっていたんではないかと思えてしまう。

とはいえ、実際に無実であったのなら、20年も刑務所暮らしをさせられたのは、大きな過ちに違いない。神様ではない人間が、全てを見通すことなどできないが、自分の思いだけで突っ走るのはやはり危険なのであろう。常にどこかで一旦立ち止まって、周りの声に耳を傾け、自分の思いを疑ってみる必要があると言えるのかもしれない。

私も仕事を始めとして、基本的には自分の意見をはっきりと相手に伝える方である(ただし、家庭内で妻相手にはこの限りではない)。
それはそれでいいと思うのだが、アクセルとブレーキをしっかりと意識しておかないと、さすがに犯罪は犯さないだろうが、どこかで間違えるかもしれないと思う。
映画の主人公のジョーの暴走を、「バカだなぁ」と思って終わりにするのではなく、彼の悲劇を以って自分への教訓としたいと思う。

エンターテイメントとしては、大して面白いとは思えない「普通の映画」だったのであるが、なんだか思いの外、あれこれと考えさせられた映画である。
まぁ、これも映画の良いところ、だと思うのである・・・
   
    

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