2009年10月25日日曜日

ヒゲ

 毎朝起きると洗面所に向う。そして42度のお湯でゆっくり顔を洗う。42度という温度は目が覚めるという効果とともに、髭を蒸らすという効果もある。そのあとジェルタイプのシェービングクリームをつけてゆっくりと髭を剃る。毎日の、言ってみればそれが一日の始まりを告げる「儀式」である。

 社会人になってから、ほぼそれが定着している。最初からシェーバーを使う気はさらさらなかった。シェーバーを使った方がはるかに簡単なのであるが、泡を立てて髭を剃るという行為そのものにこだわりを感じたのだ。もっとも最初の頃は水だったし、シェービングクリームもジェルタイプではなかった。お湯の温度も試行錯誤で微妙に変化し、そして現在の形に定着したものである。こういう儀式があると、一日の始まりとして無意識のうちに仕事モードになっていく。休みの日には髭を剃らないので、自然と気持ちにメリハリがついているという効果はある。

 もっともこの髭剃り、朝の儀式としてはいいのであるが、本当ならばやりたくない。本心を言えば髭は剃りたくないというのが正直なところ。実はずっと昔から髭をはやす事に憧れていた。だが、大学時代ははやすに十分な量がなく、泣く泣く断念していた。ようやくこれならと思った頃には、会社の規定に阻まれた。

 就職して以来何度か転職の話があった。その時真っ先に考えたのは、「髭をはやしてもいいだろうか」という事だ。残念ながらそうした話は実現しないまま今日に至っている。それでもまだ今後そういう話があった時には、やっぱりそれを真っ先に考えてしまうだろう。まさかそれだけで転職するわけにもいかないが、一つだけはっきりしているのは、たぶんそういう機会が実現したら間違いなく髭をはやすだろうという事だ。それくらいの思い入れがある。

 今は休みの日と連続休暇の時に髭を剃らない事で、せめてもの慰めとしている。連続休暇の時など一週間以上剃らないので結構髭も伸びてくる。自分としてはそんな髭が愛おしく、うっとりと撫でてみたりするのであるが、周りの反応は頗る悪い。妻を筆頭に母親もそうだし、義理の母親や義理の妹も、さすがにはっきりとは言わないものの、否定的な雰囲気はプンプン漂わせてくる。

 批判者はすべて女性だし、「女にはわからないのさ」とうそぶいてみるものの、「他人の評価こそが正しい」という野村監督の言葉に従えば、やっぱり自分で鏡を見て見とれるほどに、他人の目には映らないのかもしれない。まぁ無精髭レベルだけによけいみっともなく見えるのかもしれない。

 小学生の頃、床屋へ行くたびに母親から「顔剃りはしないように言いなさい」と言われたものである。なぜかと尋ねたら、「髭が濃くなるから」という答えが返ってきた。その時は素直に聞いてその通りにしてもらっていたが、あれは失敗だった。それがなければ学生時代に十分に濃くなり、髭がはやせたかもしれないと今でも思う。当時、ラグビー部の同期がこれみよがしに似合わない髭をはやしていたのが悔しくてならなかった。今でも母親を恨めしく思う。

 世界を見回せれば、アラブ世界では髭は男性の象徴とされていて、当然の如くみんなはやしているようである。残念ながら我が国では、明治から戦前の一時代を除いて髭が男を象徴するものとして重要視された歴史はない。しかし、これぞ男の象徴であり、女性には逆立ちしても真似のできないアイデンティティとしていいのではないかと思うのである。と言っても脛毛の「お手入れ」までする現代の若者には理解できない感覚かもしれない。

 見苦しいのであるなら仕方がないが、そもそも規定で禁止してしまう会社もどうかと個人的には思う。「世間が髭をはやした銀行員」を受け入れないという理由からだからやむを得ないのであろうが、髭をはやしているからイメージが悪いという認識にも大いに腹立たしいものがある。

 この先の人生で果たして髭をはやす機会があるであろうか。いつかそういう機会が訪れて、朝の儀式が少し変化するようになる事を、心密かに願う毎朝なのである・・・


【本日の読書】
なし


     

0 件のコメント:

コメントを投稿