2009年10月7日水曜日

ガッツポーズ

 そういえば先週終わった大相撲。朝青龍の優勝で幕を閉じた。本割で白鵬に負けた朝青龍が、続く優勝決定戦で今度は白鵬を投げ飛ばして優勝した。そのあと思わずとったガッツポーズが物議を醸し出している。
どうやら無作法だというのである。

 猛烈に噛み付いているのは横綱審議委員の内館牧子氏。かねてから朝青龍には批判的なのであるが、またまたけしからんとわめいている。勝者が敗者を思いやる相撲では、タブー中のタブーの行為にあたるそうなのである。内館委員だけでなく、抗議の電話も殺到したらしい。

 しかしなぁと自分としては複雑な心境。相撲は日本の国技でもあるし伝統は大事である。だが何でいけないのかよくわからない。相撲は神技であり、ガッツポーズは相応しくないというのである。

 だが、相撲はその昔神社で奉納のために行われていた頃ならばいざ知らず、今は国技館で入場料を取ってやっている。いくら神技と言ってみたところで、お金を払う人はスポーツとして見に来ている。スポーツには感動と興奮がつきもの。ファンと一体になって勝った悦びをガッツポーズで表して何が悪い、と思うのだ。お客さんもだからこそ座布団を投げ入れるのだ。「神技だから行儀良く」なんて言っていたらソッポを向かれるのではないだろうか。

 私も学生時代からラグビーをやっていたが、ガッツポーズなどは意識しなくても出るものである。そういう悦びこそがスポーツの醍醐味であり、それは何もやっている本人だけの特典ではない。ベンチで応援する仲間たちも自然とそうなるものである。相撲だって一緒だろう。

 忘れられないシーンがある。全盛期の千代の富士が勢いに乗る小錦と対戦した一番だ。当時規格外の巨体で快進撃をする小錦を横綱が止められるのか、はたまた体の大きさがモノを言って小錦が勝ってしまうのか。固唾を呑んで見つめる大一番。手をついて呼吸を合わせた二人が起き上がったあと睨みあったのだ。相撲ではありえないシーンだが、館内も観ているこちらも最高潮に盛り上がったシーンだ。だが、最近はそうしたシーンが少ない。相撲人気の低迷もそんなところに理由があるのではないだろうか。

 勝者が敗者をいたわるのは、聖徳太子の時代から「和を持って貴し」とする我が国の伝統だ。悪い事ではない。敗者に優しいのも我が国の国民性だ。ガッツポーズを取る勝者と一緒になって喜ぶと同時に、負けて帰る敗者に温かい拍手を送るのも我々日本人の有り様だ。我々は自然とそういうものを培ってきた民族なのだ。ガッツポーズを禁止する理由などどこにもない。

 何だか履き違えているような気がしてならない。きっとそういう人はスポーツで勝って泣き、負けて泣いた経験がないのだろうと思ってしまう(応援でもまったく同じだ)。スポーツの持つ感動と興奮。それを素直に表現できるのが一番だと思うのである・・・


【本日の読書】
「ブラック・スワン下」ナシーム・ニコラス・タレブ
「生き方」稲盛 和夫

     

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