2024年10月23日水曜日

投資かギャンブルか

 先日、採用活動でとある学生さんと話をした。大学では「なぜ日本人が投資下手なのか」について論文を書いているのだと言う。テーマとしてはベタなのではないかと思ったが、「そもそも金融教育が十分にされていない」とか、「額に汗して稼ぐことを良しとする文化」だとか、そんな意見があることを聞いた。あちこちで聞いたような話である。それはその通りなのだろう。お金にお金を稼がせるのを良しとしない。むしろ楽してお金を稼ごうとするのは罪悪のような感覚が日本人にはあるように思う。

 一方で、定期預金しかしていない人を小馬鹿にするような風潮もある。政府ももう十分な年金を支給できないと判断したのであろう、今やNISAだ何だと税制優遇して投資を煽っている。しかし、多くの人が投資などあまり考えた事もなく、せいぜいが銀行や証券会社に勧められるがまま投資信託を買ったりしているのが関の山のような気がする。私はと言えば、とりあえず今は株式投資をしている。過去に株の信用取引では大損をしたが、現物株投資では投資額はほぼ20倍くらいになっており、まずまずの成績である。

 銀行や証券会社の勧める投資信託は、「購入者にとって」いい商品ではなく、「売り手にとって」いい商品(すなわち儲かる商品)である事が多い。よくわからないまま銀行員や証券マンに勧められて元本保証なしの自己責任投資を行う事が、果たして投資なのだろうか。私の場合、配当(わずかだがちょっとしたお小遣いになる)と株主優待(ちょっとしたお得気分になれる)という点で定期預金よりはいいだろうと考えて現物株投資を行っているが、それで大成功している(今のところは)。

 ただ、短期売買を狙った株式投資では大失敗して大きな借金を負って大変な目にあった。短期で上がるかどうかに賭ける投資は、投資というよりほとんどギャンブルである。一方で有効な投資は、一方では危険なギャンブルでもある。銀行員時代、競馬好きな同僚がいた。毎週競馬場に行っていたが、馬券を買うのは1万円までと決めていた。それだと損をしても最大月4万円。独身者のお小遣いではちょっと贅沢な遊びのレベルである。そこには「ギャンブル」という危険なニオイはなかった。

 考えてみれば、言われるがままに訳のわからない投資信託を買うのと、「これが来る」と信じてお金を突っ込む競馬やパチンコとどこが違うのだろうか。私の株式投資は、成功した「投資」なのか、借金の山を作ってしまった「ギャンブル」なのか。やっている事は同じである。そう考えていくと、日本人に必要な金融教育とは、「何に投資するか」ではなく、「お金をどう投資するか」であるのだろうと思う。余裕資金の一部(しばらく使わなくてもいいお金)を「失っても困らない範囲で」行うという事ができれば何をやっても怖くはない。

 (将来のために)「貯めるお金」と、多少のリスクを取ってでも「増やすお金」とを区別し、限度を守って投資するなら、パチンコや競馬でも立派な投資と言えるように思う。日本でもカジノ建設をという話があるが、反対派の主張することは「ギャンブル依存症を増やす」という事のようである。昔からの博打もそうであるが、大きなお金を賭けさせて払えなければ借金を負わせて追い込むといった事が暴力団などによって行われていたが、「身の丈」にあった範囲内であれば問題は起こりようもない。

 考えてみれば、友達にお金を貸すのも他人の借金の保証人になるのも、みんな「身の丈」の範囲内であればまったく問題はない。身の丈を超えるから悲劇になるのである。日本人の投資下手を解消するなら、そういう「身の丈」教育がまずは必要であるように思う。あるものにお金を投入する際、それが「投資」なのか「ギャンブル」なのか。それは「対象」ではなく、「お金の使い方」の問題であると思うのである・・・


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【本日の読書】
講談で身につく ビジネスに役立つ話術の極意 - 神田山緑 三体2 黒暗森林 上 (ハヤカワ文庫SF) - 劉 慈欣, 大森 望, 立原 透耶, 上原 かおり, 泊 功




2024年10月20日日曜日

袴田事件雑感

袴田巌さん無罪確定へ 事件から58年 検察が控訴しない方針
2024年10月8日 22時03分 
58年前、静岡県で一家4人が殺害された事件の再審=やり直しの裁判で、袴田巌さんに無罪を言い渡した判決について、検察トップの検事総長は8日、控訴しないことを明らかにしました。これにより一度、死刑が確定した袴田さんの無罪が確定することになりました。
NHK WEB
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 袴田事件が起こったのは今から58年前。私が2歳の時であるから当時の事件の記憶などない。それにしても、無実の罪で逮捕され、死刑判決を受け、長い期間拘束されていた心境はいかばかりかと思う。事件の真相を知る者は、袴田さんご本人と真犯人しかいないわけで、それを第三者が犯行を認定していくというのは難しい事である。本人が素直に自供すればいいが、そうでなければきちんと証拠固めをして公開の法廷で犯行を認定していかないといけないわけである。証拠がなければ有罪にはできないのである。

 ニュースによれば、捜査機関がその証拠の捏造を行ったという。その真偽はわからないが、認定の通りだとすると、とんでもない事である。なぜ、証拠の捏造などという事を行なったのだろうか。悪意的に罪に陥れようとしたものではないだろうから、たぶん当時の捜査担当者の強い思い入れから行き過ぎた行為に走ったのだろう。すなわち、「犯人はこいつで間違いない」という強い思いと、「だから証拠を捏造しても構わないだろう」という考えだったのだろう。犯罪を犯したのは間違いないのだから、その罪を償わせるためには証拠の捏造もやむをえないと考えたのだろうと思う。

 日本の法律では証拠の捏造がダメなのは当然として、確かな証拠であったとしても違法に収集されたものだと裁判では使えないことになっている。そうでなければ人権侵害が起こるという過去の歴史の経験から決められたルールであるが、「正義であれば何をしてもいい」という考え方への否定である。それが捜査機関の足枷になることもあるのだろうが、そうしたルールを守ってもらわないと、ある日突然無実の罪に問われるなどという事が起こりかねないことになる。「刑事の勘」で犯人にされてはかなわない。

 当時捜査にあたった警察では、内部でどんなやり取りがあったのだろう。被害者の身近な人物の中では、確かに袴田さんに怪しいところはあったのだろう。「こいつに違いない」と思い込んだ人たちがいて、「なんとか自供させろ」という動きになったのだろう。そういう中で、ひょっとしたら他に犯人がいるかもしれないと疑った刑事もいたかもしれない。しかし、組織が「袴田犯人説」で動く中で、それに反した行動は取れなかったのかもしれない。ましてや起訴した後に真犯人を捜査するなどという自己否定的な行動は許されなかっただろう。

 事件は日々起こっているし、起訴してしまえば警察の役割も終わりであり、あとは起訴した以上なんとしてでも有罪にしなければならない検察が、死刑判決に満足して終わりである。後でいくら無罪を訴えても、素人に犯罪捜査は不可能だろうし、その結果長い法廷闘争となる。そしてその間、恐ろしい事に(警察の捜査は終了しているので)残虐な事件を起こした真犯人は捕まる心配もなく安堵して生活していたわけである。考えてみるになんともやり切れない思いがする。

 警察も当然、善意の下で行動していると思うが、本当に真犯人を逮捕するという大前提の下、「刑事の勘」などに頼ることなく、さまざまな可能性を考慮してしっかり捜査してほしいと思う。今はいろいろと「可視化」されて冤罪を防ぐ仕組みができているが、人間の考え方はなかなか変えられるものではない。硬直的な考え方で思い込み捜査をやられては、仕組みの裏をかく事を今度は考えるようになるだろう。「裁判で有罪にする」ためだけに尽力してほしくはないと思う。一方で、捜査の手足を縛れば犯人が逃げ延びる可能性は高くなるわけで、なかなか難しい事だと思う。

 「法でさばけない悪を退治する仕事人」が映画や漫画などで持て囃されるのは、ある意味厳格なルールで縛られた捜査の裏返しであるかもしれない。それはそれで我々市民にとっても、映画の関係者にとってもいいことかもしれない。幸い、これまで犯罪関係とは無縁の生活を送ってこられたが、これからも犯罪とは無縁に暮らしたいと、袴田さんに深く同情すると共に思うのである・・・

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【本日の読書】
世界をよくする現代思想入門 (ちくま新書) - 高田明典  逆説の日本史: 大正混迷編 南北朝正閏論とシーメンス事件の謎 (28) - 井沢 元彦






2024年10月16日水曜日

論語雑感 泰伯第八 (その10)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
子曰、好勇疾貧亂也。人而不仁、疾之已甚亂也。
【読み下し】
曰(いわ)く、勇(ゆう)を好(この)みて貧(ひん)を疾(にく)むは乱(らん)す。人(ひと)にして不(ふ)仁(じん)なる、之(これ)を疾(にく)むこと已甚(はなはだ)しきは乱(らん)す。
【訳】
先師がいわれた。「社会秩序の破壊は、勇を好んで貧に苦しむ者によってひきおこされがちなものである。しかしまた、道にはずれた人を憎み過ぎることによってひきおこされることも、忘れてはならない」

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 歴史好きの私が今現在買い続けているのが『逆説の日本史』シリーズである。これは著者が独自の観点から日本の歴史学者の「常識」にとらわれずに歴史を語っているもので、非常に面白い。おそらく歴史学者からは批判のあるところもあるのだろうが、私自身のモノの考え方や日本社会に対する見方に影響を受けているところもあり、今のところやめられずに読み続けている。最新刊は28巻『大正混迷編』で、サブタイトルにある通り大正時代の話であるが、その時代の影響として五・一五事件の事も少し語られる。

 五・一五事件は現役の海軍将校が時の総理大臣を射殺するという大事件だが、新聞に煽られた民衆が熱狂的に犯人の海軍将校を支持し、減刑(助命)歎願をその数100万通も寄せたという。それはのちの二・二六事件にもつながると思うが、背景には農村の貧困問題もあったようである。力で世の中を変えようとするのは実に乱暴であるが、農村の貧困というのはこの時代酷かったらしいから心情的にはわからなくもない。しかし、孔子の時代の話が昭和初期の日本にも当てはまる真実だったのかと思わなくもない。

 時の総理大臣を暗殺するというのは、過去の過激な時代の話ではなく、今もなお現存する危険であり、日本のみならずアメリカでも行われている(未遂も含めてではあるが)。それが個人の単独犯行であれば、捕らえられて終わりであるが、集団となるとそれこそ社会秩序の破壊にまで及ぶのだろう。先日観たNHKの『映像の世紀』という番組で、9.11のあとイスラム系の住民を射殺した白人の事を取り上げていたが、9.11テロに腹を立てた事による犯行であった。日本でもアメリカでも大きく変わらない。

 当然ではあるが、動機(道を外れた人を許しがたいと思う気持ち)は間違っていなくても、だからなんでもやっていいというわけではない。目的(道を外れた人を正す)を達成するためには当然、手段に制限がある。目的のために手段を選ばずという事は許されることではない。いくら正義があろうとも、「行き過ぎた正義感」は「過ぎたるは及ばざるが如し」である。それ自体がすでに道を外れてしまっている。そんな当然の事を得てして自らの正義感に酔う者にはわからなかったりする。

 今は実際に過激な犯罪に走る者はそうそういないだろうと思う。しかし、現代社会ではもっと軽度なケースは数多いと思う。それは不倫が発覚したり、不適切発言をした芸能人などを袋叩きにするところにそれを感じる。確かに不倫や不適切発言は好ましい事ではないが、だからと言って罵詈雑言を浴びせてもいいという事ではない。そこには「匿名」という気楽さがあるのかもしれないが、「行き過ぎた正義感」であることは間違いないだろう。当の本人がそれに気づいていない事も確かであろう。

 この「行き過ぎた正義感」は非常に厄介である。元が正義感である以上、それを否定する事はできない。ただし、それをどう表現するかにおいて、やってはいけない領域に入ることは許されないという当たり前のルールが守られなければならない。五・一五事件も二・二六事件もともに国を憂いた軍の将校が、原因となっている悪漢を排除しようとしたもので、その心情、正義感は否定すべきものではないが、だから「殺してしまえ」となれば、それは「行き過ぎ」なのである。

 さらに「正義」も人によって違っていたりする。同じ目的であったとしても、そこに至る優先順位が違うことはざらにあり、何を優先するかによって正義が異なるかもしれない。そんな人によって異なる正義を絶対として振り回されてはかなわない。古くは学生運動などもそうだし、「熱狂的な正義感」が社会に混乱をもたらし、最後は単なるテロ行為になっていった。現代社会で起こっている戦争もそれぞれの正義の対立の結果である。正義とはそういうものであり、それを忘れると行き過ぎれば犯罪になり、社会秩序の崩壊につながるのであろう。

 いつも思うのだが、孔子の時代から変わっていない真理は多い。論語を読むたびにそう思うことしばしばであるが、これもまたそんな一つであると思うのである・・・


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【本日の読書】


世界をよくする現代思想入門 (ちくま新書) - 高田明典 逆説の日本史: 大正混迷編 南北朝正閏論とシーメンス事件の謎 (28) - 井沢 元彦

2024年10月13日日曜日

叔父の葬儀

 父方の叔父が亡くなった。昨年、長男の伯父が亡くなったばかりだが、今度は三男の叔父が父よりも早くこの世を去った。人間も生物であるので時間がくれば自動的にというわけにはいかない。叔父の方が父よりもずっと早くに認知症になり、そして先に行ったのである。父も自分よりも早いとは、と呟いていた。もともとそれほど交流が密だったわけではなく、認知症になったと聞いていた事もあり、最近はずっと会っていなかった。私の弟と確認したら、最近というより、叔父とは30年くらい会っていなかったかもしれない。

 通夜に行き、棺の中で眠る叔父の顔を見たが、昔の面影はまったくなく、「これ誰なのか」と思うくらい変わっていた。しかし、数年会っていなかった伯父でさえ本人とわからないくらい変わっていたので、30年くらい会っていなかった叔父が別人のごとく変わっていたのも不思議ではない。叔父は私の父よりも背が高く、昔からカメラが趣味で、いつもカメラを手にしていた印象がある。それは8ミリカメラにも及び、まだ私が子供の頃、部屋を暗くして映写会を開いてくれたのを覚えている。

 当時は8ミリカメラは珍しく、カタカタという音とともにスクリーンに白黒の動画が映し出される。今ではスマホで簡単に撮れる動画が、撮るのも見るのも手間をかけないといけなかったが、叔父が得意気に解説しながら撮影した動画を見せてくれたのを覚えている。通夜の会食の場でそんな思い出話をしていたが、たまたま会話の流れで叔母が叔父とは8歳違いだと初めて知った。よく会っていたのは小学生から中学生の頃で、数えてみるとその頃叔母は30歳前後だったとわかる。記憶の中の叔母はとてもそんなに若く見えず、本人には言えないが、密かに衝撃を受けたのである。

 その叔母が一枚の写真を見せてくれた。それは叔父と2人でマイク片手に歌っている姿。叔父はカラオケが大好きだったという事で、よく叔母と歌いに行っていたらしい。記憶の中にある叔父よりも髪の毛が後退し、それ相応に歳を取っていた。記憶の中の叔父と棺の中の叔父とを結ぶ姿であり、なるほどと思わせてくれた。改めて写真はその時々を捉えて残す貴重なものなのだと思わされた。父方の親戚付き合いは母方に比べると密度が薄い。頻繁にとは言わなくても、年に一度くらいは挨拶を交わす関係であってもよかったかもしれない。

 しかし、実は父は叔父についてあまりいい話はしない。どうも2歳年上の父を批判する言動をしばしばしていたらしい。それが父には面白くなく、「あいつは俺を馬鹿にしている」としばしこぼしていた。客観的に見れば、2歳しか歳の離れていない兄弟である。弟として兄に対抗心を持っていたのかもしれない。晩年は認知症になり、施設に入っていた事もあって、遺族は身内だけの家族葬を選択。本格的な葬儀ともなれば遺族の負担も大きく、それはそれでいいのではないかと思う。

 叔父の骨を拾って葬儀は終わった。こっそり従姉妹に聞いたところ墓はまだ決まっていないという。東京ではなかなか悩ましいところである。一人娘の従姉妹には子供はなく、墓を決めたところでそこもいずれ苔むす事になりそうである。諸行無常。叔父の墓がどうなるのかはわからないが、同じ祖父の血を引く者同士として、改めて従姉妹とはもう少し連絡を取り合っていきたいと思うのである・・・


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【本日の読書】
ただしさに殺されないために~声なき者への社会論 - 御田寺圭  逆説の日本史: 大正混迷編 南北朝正閏論とシーメンス事件の謎 (28) - 井沢 元彦






2024年10月9日水曜日

「仕事」と書いて「もんだい」と読む

 仕事をしていると日々問題がいろいろと発生する。今、目先で発生している問題としては、  
 新人が会社に来なくなってしまった
 一部プロジェクトが高稼働となり、社員が疲弊して悲鳴を上げている
 休職社員が複数発生し、きめ細かい対応が必要 
 売上は計画通りだが、利益が計画を大きく下回って赤字寸前 
 新卒・中途採用苦戦
というのがあり、また、恒常的に
 中堅社員(プロジェクトリーダー人材)の不足
 管理職不足人材育成困難
という問題を抱えている。こういう中で長期的なビジョンを掲げ、社員のエンゲージメントを高め、売上を上げて利益を出していくという問題がある。

 それ以外にも細かい問題は日々発生しており、その都度対応の手間を取られている。さながらそれはモグラたたきのようであるが、叩いても叩いてもモグラは次々と顔を出す。顔を出してくるならその都度叩けばいいわけであり、七転び八起きではないが、顔を出した分はすべて叩ききってしまえばいい。そういう精神でやっている。しかし、日々やる事は問題ばかりではなく、むしろ問題以外の仕事は仕事であるわけである。それをこなしながらというのが大変なところである。

 以前は、こうした状況に「なぜこんなに問題ばかりが起きるのか」と嘆きが入っていたのであるが、嘆いていても始まらないし、1担当者の時代から社内での役割が上がるにつれて問題は増えていく。今は取締役という立場上、社内の問題は「担当外」として見て見ぬふりをするわけにはいかなくなっている。現場で問題が起こっていて、それが耳に入った場合、担当者なり管理職なりが対応に当たるとして、それが適切にできるかどうかは気にしていないといけない。困っていそうであれば手を差し伸べなければならない。そうなるとそれはもう「自分の担当する問題」となる。

 問題はこうして増えていく。それを嘆いていても仕方ない。逃げられないものであれば正面から向き合うしかない。何事もそうであるが、意識の違いは大きい。問題を嘆いてもなくならないし、ストレスは溜まるし、いい事はない。普段の自分の仕事に加わる「厄介事」は精神的にも重くのしかかってくる。しかし、考え方をかえて、「問題を解決するのが自分の仕事」と捉えると、問題が生じるのは店頭にお客さんがくるのと同じで、それで商売が成り立つと考えれば愚痴も出てくる余地はない。

 人気のラーメン店は開店と同時に長蛇の列で、それが閉店まで続く。それを嘆く事は(少なくともオーナーの立場であれば)あり得ないわけで、むしろホクホク顔で笑いが止まらないだろう。「問題解決担当」と考えれば、社内でも頼られる存在になるし、自分の存在価値になる。社内で存在感を確保するという事は極めて重要であり、おかげで世間では定年退職年齢にあるにもかかわらず、給与もそのままで定年とは無縁で仕事ができる立場になっている。問題こそが自分を支えてくれているとさえ思えば愚痴も出てこない。

 最近は、「仕事と書いてもんだいと読む」は社内でも使われるようになってきている。いい事だと思う。何事も気の持ちようであると思うが、正面から向き合う事でメンタルのダメージも軽減される。管理職が対応すべき問題でも「何かあれば声をかけて」と言っておけば管理職の心の負担も軽減されるし、自分の存在価値も上がる。考えてみれば、仕事で生じる問題は人気ラーメン店の店頭に並ぶ長蛇の列であるかもしれない。そう考えれば、問題も悪いものではない。

 何事も気の持ちようだとすれば、問題もそんな風に考えて受け止めたいと思うのである・・・


【本日の読書】

言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか (中公新書) - 今井むつみ, 秋田喜美  逆説の日本史: 大正混迷編 南北朝正閏論とシーメンス事件の謎 (28) - 井沢 元彦





2024年10月7日月曜日

隠れた事情

 Netflixのドラマ『極悪女王』が面白い。何でもそうだが、知られざる舞台裏を知るというのはまったくもって興味深いものである。ドラマは一時代を席巻した女子プロレスのヒールであったダンプ松本を主人公にしたものであるが、デビュー前は気の優しい女の子で、後にライバルとして熾烈な争いを展開する長与千種とは同期入門で、互いに恵まれない家庭環境の中から女子プロ入りし、共に励まし合いながら新人時代を過ごす。後の対決からはまったく想像のできないものであった。

 もちろん、対決というのはあくまでもリングの上だけでの話はわかっているが、2人の新人時代のエピソードは心温まるものがある。かくして物事は外側だけ見ていてもわからないものだという事がわかる。おかしいと思う事であってもその裏側には外側からは窺い知れない事情があったりするものである。裏側の事情を知らないのは仕方ないとしても、外側の事情だけをもって一方的に人を批判するのは避けた方がいいと改めて思う。

 一方、これとは対照的に自分の見えている事実がすべてという人たちがいる。ある程度は致し方ないのであるが、世界は自分が見えているところだけで成り立っているわけではない。「視野が狭い」という言い方もあるが、物事の裏側を想像してみるという事ができる人とできない人がいる。人間は神様ではないので、見えていない部分を見ることはできない。ただ想像してみる事はできる。

 今日、父の弟である叔父が亡くなったと従姉妹から私に連絡があった。いつものように週末に実家に帰っていたところだったので、私は両親にそれを告げた。両親ともに突然の訃報に驚いていたが、母は自分のところでなくなぜ私のところに連絡が来るのだと文句を言い出した。「筋が違う」と言いたいのかもしれない。しかし、相手の事情を想像してみれば、叔母も高齢だし、動揺しているかもしれない。その中で一人娘の従姉妹が悲しみの中で手続きに奮闘していたのだろうと想像できる。

 昼に亡くなったにも関わらず、夜には通夜と告別式の日程が送られてきた。葬儀屋が手際よく手配したのであろうが、遺族もゆっくり悲しんではいられない。そんな中で、中心になって仕切ったのは従姉妹だろうし、我が母の言う「筋を通して」我が父か母に電話するなどというゆとりもなく、手っ取り早くLINEで連絡が取れる私に連絡してきたのだろうと想像できる。

 母にしてみれば自分たちが後回しにされた事が面白くないのかもしれないが、例えそうだとしても「寛容」の精神があれば流せる話であるし、私のように相手の事情を想像してみれば何も気にならないと思う。それはいろいろな場面で当てはまるように思う。仕事でも同様で、「なぜこんな事をしたのか」と怒り半分、あきれる事半分の時があるが、じっとこらえてよくよく事情を聞くとその人なりに考えていたのだとわかったりする。それは考えが足りないとしても、ただ腹を立てるのではなく、まだまだだと思って根気よく教え諭して指導するしかない。

 ドラマはこれから後半戦。世の中では「一気見」などする人も多いようだが、私はあえてじっくり1話1話楽しんで観ていくタイプである。他にも観ているものはあるし、1週間で1話くらいのペースだろうか。もともと女子プロには興味などなかったが、それでも極悪同盟の存在は知らず知らずのうちに視野に入ってきていたし、チラ見もしていたりした。それだけの人気だったという事であるが、出演陣の熱演も凄いし、時間をかけてゆっくり楽しみたいと思う。

 それにしても『サンクチュアリ』もかなり面白かったし、Netflixのドラマはこれからも要注目であると思うのである・・・

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【本日の読書】
言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか (中公新書) - 今井むつみ, 秋田喜美  逆説の日本史: 大正混迷編 南北朝正閏論とシーメンス事件の謎 (28) - 井沢 元彦





2024年10月2日水曜日

論語雑感 泰伯第八 (その9)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
子曰、民可使由之。不可使知之。
【読み下し】
子(し)曰(いわ)く、民(たみ)は之(これ)に由(よ)らしむ可(べ)し。之(これ)を知(し)らしむ可(べ)からず。
【訳】
先師がいわれた。「民衆というものは、範を示してそれによらせることはできるが、道理を示してそれを理解させることはむずかしいものだ」
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 コロナ禍以来、社会にテレワークが浸透している。我が社も例外ではなく、テレワーク社員がいる。しかし、テレワークに伴ってコミュニケーション不足の問題も生じており、我が社では先日、「新入社員にはテレワークをさせず、出社して教育しながら仕事をさせよう」という事になった。役員会での正式決定である。そういう大方針が決まれば、あとは個々の社員についてうまくやるだけとなる。当然、それに伴って問題は生じるのかもしれないが、それは言ってみれば「小問題」であって、根本方針を変えなければならないような「大問題」ではない。

 ところが、いざ現場に方針を示達すると、まず管理職から疑問が呈された。「〇〇の場合はどうするのか?」といった類の問題である。新入社員に出社させるとしても1人だけ出社させても意味はない。上司なり先輩なりも出社して指導する必要がある。さらに対象を2〜3年目の若手に拡大させようとなったら、「在宅勤務の者を出社させるにあたって生じる問題」が出てきた。それらの問題を列挙しつつ、疑問を呈してくる。そこでその管理職に「若手に在宅勤務をさせる事に反対の理由を述べよ」と告げたところ、「反対ではない」と言う。むしろ賛成だと。

 その答えを聞いて何とも脱力感に見舞われてしまった。基本的な大方針に反対でないならあとは実行のみである。現場を預かる管理職であれば、現場で生じる細々とした「小問題」については自力で解決すべきである。少なくとも私はそう考えるし、そう考えてきた。それが自分の裁量であり、自分の責任で決定、解決できる範囲である。一々上司にお伺いを立てるとなると、それは自分の決定権を放棄する事になり、そんな状況で仕事をしても面白くないだろうと思う。仕事は自己決定権の範囲が大きいほど面白いものである。

 私はもともと自立心が強かったためか、自己決定権をとにかく広げたいと思う方であった。だから推進すべき大方針が決まったならば、それに沿って進む中で生じる小問題は自分で決定、解決するのが当然だと思うし、そのくらいの裁量すらもらえないのであればやる気も出ないタイプである。なので件の管理職の問題提起には唖然とさせられたのである。もちろん、人によって考え方は異なるであろうが、管理職であれば小問題は自分の裁量で解決してもらいたいと思わざるを得ない。

 一つ一つ「この場合はこうせよ」と範を示して教える事は可能であるが、忙しい中ではそのくらいは権限移譲してやってもらいたいと思う。範を示すことは可能であるが、「考え方」を理解してもらいたいと思わざるを得ない。「考え方」はなかなか指導が難しい。まさに先師の言われる通りである。確かに範を示してもらえれば、理解は早い。スポーツの世界でもそれは顕著である。お手本となる人が目の前でプレーを見せてくれると、理解も早い(それを上手に真似できるかという問題はあるが・・・)。

 私も10年ほど前にラグビーを再開させた時、若い頃やっていたフォワードからバックスへとポジションを転向した。今も日々是改善である。チームにはコーチがいるわけでもなく、自分でスキルを身につけないといけない。ワールドカップや国内の一流チームの試合を観ては参考にしているが、難しいのは表面的に真似しても根本的な考えが理解できていた方が応用がきくというところである。ちょっとしたプレーであればコツがわかれば何とかなるが、大局的な考え方が理解できていると判断も早くなっていいのにと思う(なかなか難しい)。

 道理が理解できれば自分で判断できるようになる。一々「ここはこうする」と教えなくてもできるようになる。いわゆる阿吽の呼吸というのもこれにあたると思う。同じ役員間でも、共通の考え方ができている役員とは話も早い。まず目指すべきは考え方(=道理)の理解というところであるのは、現代でも変わらぬ真理なのかもしれない。先の管理職については、考え方の理解に及ぶまで根気強く範を示さないといけないのかもしれない。それならそれで、根気強くやりたいと思うのである・・・


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【本日の読書】
言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか (中公新書) - 今井むつみ, 秋田喜美  逆説の日本史: 大正混迷編 南北朝正閏論とシーメンス事件の謎 (28) - 井沢 元彦






2024年9月29日日曜日

相手の視点

イェール大学集中講義 思考の穴──わかっていても間違える全人類のための思考法 - アン・ウーキョン, 花塚 恵 先日、『イェール大学集中講義 思考の穴──わかっていても間違える全人類のための思考法』という本を読んだ。著者はイェール大学の心理学の教授。もともと心理学には興味を持っており、この手の本は迷わず読むのであるが、人間の持っている様々なバイアスに焦点を当て、よくある人間の行動を理論的に解説してくれるなかなか面白い本であった。自分のことを平均より上だと思ってしまう「流暢性効果」とか、自分が正しいと思う証拠ばかり集めてしまう「確証バイアス」など、「なるほど」と思ってしまうものばかりであった。

 その中でも私の目を引いたのが、「自己中心性バイアス」というもの。これは自分の持っている情報で考えてしまうというもので、人は全然相手の視点から考えないというものである。読んで真っ先に頭に浮かんだのは母親である。毎週末に実家に通って年老いた母の衰えた家事を手伝っているのだが、同時によく話も聞くようにしている。最近、繰り返し話すのは(年寄りの常で同じ話を何度もするのである)義妹の「許せない態度」である。弟の誘いで弟の家に行ったそうであるが、看護師をしている義妹は夜勤明けとかで寝ていて顔を出さなかったというのである。

 それは母の常識ではあり得ないことで、「義母がわざわざ来ているのに寝ているというのは何事か」と言うのである。それだけを聞くとその通りだと思うが、それこそまさに一面的な見方だと私は思うのである。夜勤明けで帰宅したら寝たいと思うのは普通の事。もしかしたらその次の夜も夜勤のシフトが入っていたのかもしれない。そうなれば睡眠を確保するというのは当然であり、むしろそういう時には誰にも来てほしくないと思うだろう。弟が夫婦でどんな会話をしたのかは知らない。弟は自分の都合で考えるから、「それなら寝ていていい」と言って強引に母を連れて行ったのかもしれない。

 義妹もそれならと寝ていたのかもしれない。そんな状況を想像すれば、私なら寝ていて顔を出さなくても気にしないし、むしろそんな時に訪問してしまった事を後でLINEでもして謝るかもしれない。しかし、母は自分の常識で義妹の態度を批判する。おそらく近所でも吹聴しているかもしれない。我が母であるが、私の妻とは嫁姑の冷戦を通り越してすでに「国交断絶状態」であり、義妹との関係もいいとは言えないだろう。その原因は明らかであり、もしも私だったら2人の息子の嫁と仲の良い嫁姑になっていただろう。それはこの本で言う「相手の視点から考える」という一言に尽きると思う。

 以前からもそういう事はしばしばあった。私は子供の頃、母親から「相手の気持ちになって考えなさい」と叱られた事を覚えている。「そんなのわかるわけがない」と子供の私は反論していたが、わからなくても想像はできる。そして私を叱った母は、そんな事はすっかり忘れて相手の気持ちなどまったく斟酌しない。嫁姑の争いは女の不寛容のなせる技であると思うが、その不寛容は「自己中心性バイアス」の賜物なのだろろうと思う。「相手には相手の都合がある、考えがある」と想像する事で、自分の感情を害することなく寛容になれる。もう年老いた母には無理であるが、自分はそういう寛容の精神を身につけたいと思う。

 考えてみれば、みんながみんな「自己中心性バイアス」から抜け出し、寛容の精神を身につけたなら、嫁姑の争いを始めとしてこの世からかなりの争いは無くなるのではないかと思う。しかしながら、妻を見ているとそう簡単にはいかないのだろうなと思わざるを得ない。わかってはいても、手も足も出ない。考えれば考えるほどそんなもどかしさを改めて感じざるを得ない。つくづく、難しいものだと思うのである・・・

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【本日の読書】
言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか (中公新書) - 今井むつみ, 秋田喜美  逆説の日本史: 大正混迷編 南北朝正閏論とシーメンス事件の謎 (28) - 井沢 元彦




2024年9月27日金曜日

女性の美

 その昔、3㎏も痩せるほど恋煩いをした経験がある。誰にでもある経験かもしれないが、相手の女性の事を思うと胸が焦がれ、食事も仕事も手につかない状況であった。そんな中にあって、私の中のもう一人の冷静な自分が問うてきた。「果たしてお前は彼女のどこがそんなにいいのだ」と。顔か体か性格か。またはそのすべてか。顔は確かに美人であった。体型は標準、性格は穏やかで優しい。そしてさらに問われた。「顔が変わっても思いは変わらないか?」。「体型は?」「性格は?」。いろいろと考えてみて、やっぱり「トータルだろう」とその時は思ったのである。

 最近、二つの恋愛映画を観た。『君への誓い』と『ビューティー・インサイド』である。『君への誓い』は実話を基にした映画で、事故で夫の記憶を失ってしまった新婚女性の話であり、『ビューティー・インサイド』は毎朝起きるたびに外見が別人に代わってしまう男のファンタジーロマンスである。いつもそうだが、映画を観るたびに自分と重ね合わせて観るのが私の常である。この時もこの2本の映画を観ながら自分に置き換えていた。果たして自分は相手の記憶を失っても、もう一度同じように相手に恋をするだろうか、相手の外見が変わっても同じように好きになるだろうかと。

 恋煩いをするほど恋した女性については、たとえ記憶を失っても何度でも好きになっただろう。それは外見も性格も私の好みに適していたからであり、どういうタイミングで出会っても同じように恋に落ちていただろうと思う。映画では現在の夫の記憶がないのに結婚前に付き合っていた男の記憶は残っていた。しかも別れた記憶はない。こういうパターンはなかなか危ない。どちらも自分が惹かれる要素を持っているわけであり、映画のストーリーもその点で波乱がある。まぁ、私など記憶があってもかつての思いは残っており、きっかけがあれば簡単に再燃すると思うが・・・

 それよりも「外見が変わっても同じように相手を愛せるか」というのはどうだろうかと思う。私も先の彼女が映画みたいにおじさんの姿で現れたらどうするだろう。最初は戸惑うだろうが、中身が彼女だと確信できたなら外見に関わらず同じように接するだろうと思う。彼女の穏やかな性格がそのままなのであれば話をしていても楽しいだろう。さすがに手をつないで歩くのは世間体もあって憚られるが、ずっと一緒にいて話をしていたいと思うに違いない。そう考えれば、外見だけで惹かれていたわけではないと改めて思う。

 しかし、では中身だけが大事で外見はどうでもいいのかと言うと、どうだろうか。映画のようにおじさんとなれば別であるが、女性であればたぶん気にならないと思う。ただ、最初は外見から入ったのは事実であり、初めから違う外見であれば惹かれるまで接することはなかったかもしれない。たとえば同じ職場で毎日顔を合わせ、意識せずとも話をしていくうちにだんだん中身に惹かれていくというのならあると思うが、そうでなければ中身に気付くところまでは行かないかもしれない。そういう意味では、外見も大事である。

 逆に外見に惹かれても、話していくうちにこれは違うというパターンもかなりある。百田尚樹の小説『モンスター』は、絶世の不美人である主人公が整形手術によって超美人に変わる話であった。中身は同じなのに周囲の対応が180度変わる。小説とは言え、実際も「美人は得」なのは事実だろう。ただ、恋愛対象となると、「それだけでは」と私は思う。やはり「愛とは、お互いに見つめ合うことではなく、一緒に同じ方向を見つめることである」(サン=テグジュペリ)であり、同じ方向を見つめる中身も重要であろうと思う。

 若い頃と現在とでは私自身の考え方も変化してきているところがある。人生経験を積んできて、結婚して「現実」に気付き、そういう経験を経て今の考え方に至っている。人間は年を取る。美しい女性も老いれば美しさを失う。しかし、人間の中身は変わらない。逆に言えば中身の美しさが外に現れてくると言えるのかもしれない。彼女もそういう意味で今も美しいと思う。映画のようにハッピーエンドにはならなかったが、自分も益々内面に磨きをかけたいと思うのである・・・

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【本日の読書】
言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか (中公新書) - 今井むつみ, 秋田喜美 逆説の日本史: 大正混迷編 南北朝正閏論とシーメンス事件の謎 (28) - 井沢 元彦




 

2024年9月23日月曜日

論語雑感 泰伯第八 (その8)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
子曰、興於詩、立於禮、成於樂。
【読み下し】
子(し)曰(いわ)く、詩(し)に興(おこ)り、礼(れい)に立(た)ち、楽(がく)に成(な)る。
【訳】
先師がいわれた。「詩によって情意を刺戟し、礼によって行動に基準を与え、楽によって生活を完成する。これが修徳の道程だ」
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 何となく本を読むのが好きになり、大学の学部選択の候補として文学部を考えるようになったのは高校生の時。最終的に将来的なことも考えて法学部を選択したが、今もう一度大学に入り直すとすれば、今度こそ文学部を選ぶと思う。それはさておき、そんな高校時代に文学から入った流れとして「詩」にも興味を持った。ヴェルレーヌとかリストとかの詩集を借りてきて読んだがピンとこなく、翻訳の問題かと日本の詩人に挑戦しかけたが頓挫してしまった。それでも今なら中原中也あたりからならいけそうな気もするが、もう少し機が熟すのを待とうと思う。

 詩にはあまり心を動かされなかったが、その代わりに俳句とかは好きな部類に入った。松尾芭蕉の『奥の細道』はいくつか心に残るものがあったし(「行春や鳥啼魚の目は泪」なんてすごいと思う)、与謝野晶子も心打ち震わされるもの(「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」)がある。親鸞聖人(「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」)は人生訓としても良いと思うし、俳句には詩よりも遥かにとっつきやすさがある。私の場合、詩よりも俳句の方に情意を刺激されるところがあると言える。

 音楽はもっぱら聴く方が専門で、小学校で奏でる方は早々に諦めた。「才能がない」という言い方は好きではないが、奏でる方に興味を見出せなかったのは確かである。興味は才能に深く結びつくものだと思っているので、そういう意味では才能がなかったのだろう。その代わりクラシックに抵抗感がなくなったというのはあったと思う。父親が映画音楽が好きで、家にもレコードがあった。そういう環境だと歌謡曲よりも歌詞のない音楽に自然と興味が行き、小学校で聴いたクラシックに自然と惹かれたというわけである。

 今は音楽に関しては、特定のアーティストの曲を聴くというよりも、ランダムに聴いている。ポップスもロックもクラシックも映画音楽も邦楽、洋楽取り混ぜて聴いている。聴かないのはジャズくらいかもしれない。それとラップはどうしても好きになれない。聴くのは車の中か自宅のPCか家の雑草取りの時にスマホで聴くくらいだが、いずれもBGMにしているのが大半である。「何かをしながら」というのは、時間に追われて余裕のなかった頃の名残なのかもしれない。

 詩(私の場合は俳句)や音楽が生活に潤いを与えるというのは確かだろう。人間は感情の動物であり、二つともその感情を揺さぶるものである。孔子の時代には広まっていなかったのかもしれないが、絵画もこれに加えられると思う。それに演劇関係も同様である。一般に芸術は一見、なくても困らなそうであるが(それがなくても生きてはいける)、しかしそれがあるからこそ生活の質が高まると言える。そういう意味では、芸術は人類進歩の証の最たるものかもしれない。

 これに行動基準としての礼が加われば生活が完成するというのも間違いはないだろう。人間はただ食べ物を漁って生きていくのではなく、人間生活の中で規律を守り、芸術によって豊かな精神生活を送る。それが動物と人間の違いであろう。であれば、それをより高めていく必要があると思う。映画やドラマや小説なども含めた芸術で心を豊かにし、日々正しく行動すればより豊かに暮らせることになる。孔子の言うところはもっともであり、それは現代でも変わらない。

 孔子の言葉は人間が動物と根本的に異なることを言い当てている言葉ということになる。あらためてそんな意識をもって日々の生活を楽しみたいと思うのである・・・


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【本日の読書】
イェール大学集中講義 思考の穴──わかっていても間違える全人類のための思考法 - アン・ウーキョン, 花塚 恵  おいち不思議がたり (PHP文芸文庫) - あさの あつこ




2024年9月19日木曜日

Uber Eats(ウーバーイーツ)はもう使わない

 先日、法事を終えて実家に帰りついた時、夕食の支度をする気力はなかったので、夕食は出前を取ることにした。実家では何度かUber Eats(ウーバーイーツ)を利用している。これまでは特に問題もなく便利に使っていた。価格が高いのが玉に傷ではあるが、配達してくれる利便性を考えれば致し方なしと考えている。注文してから配達員が受け取りに向かい、配達の過程がリアルタイムで表示されるので誠に具合がいい。配達員の位置がリアルタイムでわかるので、「いつ来るか」と待っている普通の出前と比べればそれに合わせて行動できるのがいいと思う。

 しかし、今回はハプニングがあった。配達を頼んだのだが、気がつくと遅くともこの時間までには配達するという時間が近づいている。スマホでアプリを確認したところ、なんと「キャンセル」と表示されている。よく見てみると、配達員が近くまで来てスマホに電話をくれたらしいのであるが、マナーモードにしていた関係で気がつかず(しかも疲れてうたた寝をしていた)、「電話に応答がなく、10分待機したが連絡がない」との事でキャンセルされてしまっていたのである。やむなくもう一度オーダーし、今度は無事に届いて両親とともにいただいた。

 さて、その後クレジットカード会社から利用通知が届いたのだが、それがなんと2件表示されている。最初にオーダーし、キャンセルされたものと2回目のオーダーである。てっきり一旦請求が成立し、あとで取り消されるのだろうとその時は思った。しかしながら、なんとなく気になってよく調べてみたらキャンセルされた注文の請求は取り消されないとの事。すなわちそれは注文者である私の丸損という事のようである。悪いのは電話に出なかった私という事らしい。

 ちなみに、私も何もしなかったわけではなく、着信に気づいてすぐ電話したがもう繋がらなかったのである。調べてみたら着信より15分経過していた。5分ならまだ配達員も近くにいただろう。このシステムは、「イタズラ注文」を防ぐには有効だろう。オーダーとともに決済が行われる。店は商品を渡せばそれでお役御免。配達員も近くまで行って電話をすればお役御免。すべては注文者の責任で、商品を積極的に受け取らないといけないというわけである。注文をしたらじっとスマホと睨めっこか、スマホ片手に電話がかかってくるのを待っていないといけないらしい。

 調べるのも、あれこれとアプリ内を探し回らなければならなかった。電話で事情を聞いてくれるシステムにはなっていない。すべては利用者の自己責任という事なのだろう。そんな状況に何となく英語の諺が頭に浮かんだ。                                                                              “a friend in need is a friend indeed”。                                                                      困った時の友こそ真の友。困った時にきちんと対応してくれるところが真に信用に足りるサービス。5分の違いで料金だけしっかり取られるサービスなどもう2度と利用したくないと思う。ちなみに自宅ではいつも出前となると駅前の中華に昔ながらの出前を頼んでいる。料金は店で頼むのと同じだし、現金と引き換えで確実である。

 駅前の中華は確実だが、うどんは食べられない。最新の配達サービスはなんといっても選択肢がとてつもなく多いのは魅力。出前のニーズは今後もあり続けるだろう。実家で利用する場合はどうしようか。かくなる上は、もう一つ利用実績のある出前館にしようと思う。ここは配達員が自社社員だと聞いている。自社社員であれば、たとえ注文者が電話に出なくても何とか届けようとしてくれそうな気がする。何より自社の看板を背負っているので、そういう対応が期待できる。

 今回も、利用前によく調べれば良かった。出前館ではキャンセルポリシーもしっかりとわかりやすいところに表示されている。やはりサービスはメイド・イン・ジャパンなのだろう。安易に外国のサービスに飛びついたところに反省点がある。考えてみれば、受け取らなくても届けたとみなされるなら、受け取るまで届けようというモチベーションも湧かないだろう。誰でも安易に配達員になれるシステムは、便利である反面、無責任でもある。3人で9,000円のうどんは、いい経験になったと諦めるしかない。今後は出前館にしようと思うのである・・・


【本日の読書】

イェール大学集中講義 思考の穴──わかっていても間違える全人類のための思考法 - アン・ウーキョン, 花塚 恵  汝、星のごとく - 凪良ゆう





2024年9月16日月曜日

伯父の一周忌

 伯父の一周忌の法要に不死身の父の実家を訪れた。伯父が亡くなってはや一年である。中央道の渋滞に巻き込まれ、法要には出席できず、墓参りから参加。長年、先祖代々の墓にはこれといった墓石がなかったが、とうとう従兄弟が建てたので、そのお披露目も兼ねてである。伯父の墓以外にも曽祖父や祖父母などの墓石も一つ一つ作られていて、なぜよくあるように一つの大きな墓石にしないのだろうかと思ったが、考えてみれば30年前の祖父は土葬だったので、遺骨を簡単に移せないという事情もあるのだろうと考えた。

 法事には兄弟とその家族が参加した。次男の父と家族4人、三男の娘夫婦、四男、長女と娘、次女と息子。葬儀とは違って身内だけ、しかもその一部。それも仕方あるまい。さすがに葬儀とは個人との最後のお別れであり、万難を排して参加するものだろうが、一周忌はそれほどではない。そして三回忌は故人の家族だけで行うと早くも宣言された。皆の負担を考慮したのであろう。父も四男も1人では参加できないし、三男は認知症で施設に入っている状況ではそれも仕方ないのだろう。

 みんなでささゃかに食事をして法事はお開きとなった。今さらながらであるが、日本の死者に対する慣例は仏事に即している。葬儀も宗派のお坊さんが来てお経を上げ、戒名をもらい、葬儀と同時に初七日の法要を行う。そして四十九日、一周忌、三回忌、七回忌と続く。死者を手厚く悼むという事では宗教儀式としての仏教は密接な存在であるが、今や忙しくなり、しかも高齢となった現代人は、葬儀と共に初七日の法要を行い、一周忌までしかやらないというのもやむを得ないのかもしれない。伯父の三十三回忌など、自分が生きているのも怪しいから仕方ないと言える。

 この機会にと、いとこ3人とLINEを交換した。今後何か必要があるかもしれないと考えたのである。するとそれを機に、ライングループ「いとこ会」が6人で立ち上がった。父方のいとこは確か8人であり、6/8の参加率はなかなかかもしれない。これに対し、母方のいとこ会もあるが、こちらは7/13である。今さらながら、昔は兄弟が多かったのでいとこの数も多い。我が子など、従兄弟は2人しかいない。それも元々交流が薄くてほとんど会う事もない。なんとなく可哀想な気もする。

 母方のいとことは、子供の頃から一緒に遊んでいるので今でも仲が良い。それに対し、父方のいとこは昨年、数十年ぶりに会うという有様だった。やはり子供は母親と行動を共にするし、母と娘は仲が良いからどうしても交流は母方の方が多い。我が家も例外に漏れず、子供たちは私の両親とは年に1〜2回会う程度である。妻の実家との接触頻度とはだいぶ差がある(しかし、義妹に子はなく従兄弟がいない)。子供たちがいとこ会を作ることはないような気がする。いとこの交流を促したのは伯父の残した遺産かもしれない。

 食事会が終わって父の実家に顔を出した時、父はおもむろにひとり散歩に出かけた。しばらく帰ってこなかったが、カメラ片手に付近を散策したらしい。父は今でも「富士見に住みたい」と言う。現実的にはもう車に乗れないし、家事もおぼつかない母と2人で富士見に住むのは無理がある。息子に甲斐性があって、お手伝いさんでも雇えればいいが、そうもいかない。残念であるが、諦めてもらうしかない。それにしても、87年の人生で15年しか住んでいない故郷が70年以上暮らしている東京よりもいいと言うのが故郷の意味なのだろうか。

 中央道は関越道に比べて渋滞が酷である。父をなるべく故郷に連れて行きたいと思うが、どうしてもそれが心のネックになる。そんなネックはあるものの、いとこ会も立ち上がったし、葬儀以外で共通の祖父母を持つもの同士、たまに集まるのも良いかもしれない。これからそんないとこ会の音頭取りをしてみようかと思うのである・・・


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【今週の読書】
戦争と経済 舞台裏から読み解く戦いの歴史 - 小野圭司  汝、星のごとく - 凪良ゆう





2024年9月11日水曜日

差別について

 差別はなぜ生まれるのだろうかと、ふと考えた。世の中には人種差別や部落差別など様々な差別がある。「その人がどういう人か」に関係なく、ただその人が差別対象に入っているからという理由で差別するのは誠に理不尽である。アメリカの人種差別については、映画化されたり、ドキュメンタリーで放映されている事もあって実態がかなり知られているが、知られている限りでも酷いものである。肌の色が明確に違うから差別しやすいということもあるのだろうが、白人が自分たちこそ最高だという思い上がりの現れであると思う。

 見た目が変わらなくとも差別は存在する。アメリカではかつてイタリア移民が差別されていたらしいし、ヨーロッパではユダヤ人が差別されてきたのも有名である。どちらも我々日本人から見ると同じ白人であるから見た目ではわからない。また、単一民族に近い我々日本人でも部落差別や朝鮮人差別というものがある。見た目で異質なものを排除するというのは何となく理解できるが、そうでないものを差別するのはどういうわけなのであろうか。私には幸いにしてそういう差別感覚がないのでよくわからない。

 私が差別について意識した最初のものは小学校の頃の朝鮮人差別であろうか。当時、朝鮮人を「チョン」と呼んでいた。私は友人たちから聞くまでまったくその存在を知らなかったので、印象深く残っている。ただ、差別と言っても「朝鮮人は凶暴」という内容で、「喧嘩をしたらまずい」というようなものであった。差別というより恐れであろうか。わけもわからない小学生のガキの話であるが、「チョン」という言葉に差別の色合いを強く感じる。幸い、私が朝鮮人から何かされるという事も、遭遇することもなかった。

 次に記憶にあるのは部落差別である。就職した銀行が関西系の銀行で、最初の研修の時に「同和問題」として部落差別はいけないという内容の話を聞かされた。部落差別については歴史の教科書にも出ていたので、いったいいつの時代の話なのかと訝しく思った。東京生まれの東京育ちのシティーボーイであった私にとって、部落差別などは歴史の教科書の中の話に過ぎなかったのである。ところがそれが現代でも注意しないといけない話だと知ってそちらの方に衝撃を受けたのである。大阪というところはそんなに前近代的な地域なのだろうかと。

 実はそれ以前にも、長野県の御代田に住む伯母から部落差別の話を聞いた事があり、田舎の方にはまだ残っているかもしれないという程度の認識はあったのであるが、大阪という都市で、都市銀行に勤めていて業務上の注意として意識しないといけない話だとは思えなかったのである。もともと差別意識などなかったが、どこで見分けるのだろう(何せ見た目ではわからない)とか、どうすればいいのだろうとか思ったが、結局、「意識などしなければいい」という結論に落ち着いた。もともと知らなかったのだし、知らないままでいればいいのだと思うに至ったのである。研修など寝た子を起こすようなものだと思ったものである。

 しかし、その後関西人の妻と結婚し、義理の祖母と話をした時に、「差別されるには差別されるだけの理由がある」という話を聞かされて驚いた。大阪には部落地域が散在しているようで、市民の間にはそういう意識が根付いているのだとわかった。関東人には無用でも関西人には必要な研修だったのだろう。ただ、出身地で分ける事も出来ないから全員一律の研修となったのだろう。私も関西に生まれていたらそういう空気に染まっていたのだろうと思う。部落差別など希薄化していた東京に生まれ育ったのが幸運だったのだろう。

 そう言えば、母に聞いた話だが、父との結婚の話が出た時、当時長野県の望月に住んでいた祖父が、父の実家をわざわざ訪ねて行ったそうである。父の実家は同じ長野県の富士見にあり、60kmほど離れている。当時は交通手段もろくになく、原付バイクで行ったそうであるが、どうやらそれは挨拶というよりも、「部落」ではないかを確認しに行ったらしい。父親とすれば、娘を嫁がせる相手の氏素性を確かめたかったのだろう。もしも「部落」だったら反対していたのだろうが、考えてみれば部落の人たちはそういう差別を受けてきたのだろうし、気の毒な事ではある。

 私はもともと理不尽な事が嫌いであり、部落差別のような理不尽な差別を受けたら我慢がならなかったろうと思う。人間がなぜ差別をするのかと言えば、人間にはもともと異質なものを排除したいという気持ちがあるからなのだろう。それは肌の色というわかりやすい違いがあれば簡単であるが、一見してもわからないものの中にも違いを見つけるのだろう。それを防ぐとしたら、「寛容」の精神しかないように思う。肌の色が違おうと、人とは違うものがあろうと、それでも相手を認める「寛容」の精神があれば、差別はなくなるように思う。逆にそれがなければ、研修をしたぐらいではなくならないのではないかと思う。

 最近ではLGBTという異質も世の中でスポットライトを浴びている。実はその昔、私は同性愛や「体は男だが心は女」という人種には虫唾が走ったものであるが、今は何とも感じない。ただ、それは「寛容」というよりも「無関心」という方が正しいだろう。「人は人であり、他人がどういう趣味を持とうがどうでもいい」という感覚で、あまり褒められたものではないかもしれない。それでも差別よりはマシだろうとは思う。自分に他人を差別する気持ちがないのは幸いである。たとえそれが無関心の結果でもいいじゃないかと思う。

 世の中に必要なのは「寛容」の精神であるとつくづく思う。それがあれば世の中の人と人との対立も差別もほとんどがなくなるように思う。だが、なくならないって事はそれだけ難しいのだろう。自分が世の中を良くできるとは思わないが、せめて自分はより寛容の精神を身につけていきたいと思うのである・・・


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【本日の読書】

戦争と経済 舞台裏から読み解く戦いの歴史 - 小野圭司  汝、星のごとく - 凪良ゆう






2024年9月8日日曜日

男女共学

 先日の日経新聞に面白い記事が出ていた。戦前、学校は基本的に男女別学だったが、戦後のGHQによる改革で旧制中学や高等女学校の男女共学への転換が進められたという。しかし、地方によって進捗はまばらで、その後共学化が進むも、現在でもまだ全国で公立高校の42校が男女別学なのだという。その中でも埼玉県には12校が残っているらしい。そう言えば大学時代のラグビー部の同期は県立浦和高校の出身だったが、同校は男子校である。

 私は都立高校を卒業したが、もちろん男女共学である。第一希望は地元の都立高校で、滑り止めに私立を受けたが、当時都内の私立高校はほとんどが別学であった。私はもともと親への負担を考えて公立高校を志望したが、それだけが理由ではなく、共学へ通いたいという思いもそれに加わっていたのである。念願かなって無事、第一志望の都立高校に合格したからよかったものの、不合格で滑り止めの私立に行っていたら男子校だったわけであり、そうなっていたら、親に申し訳ないという思い以上に残念だっただろうと思う。

 記事にも書いてあったが、男女共学化に対しては、OBを中心に根強い反対論があるらしい。高校時代、私立高(つまり男子校)に進んだ友人が、男子校はいいという話を力説していた。私は聞き流していたが、男子校には男子校の良さがあるというのが、たいがいの男子校出身者の主張である。それを否定するつもりはない。もともと高校時代というのはただでさえ楽しい時期である。男女別学だろうが共学だろうがそれは変わらないだろう。男子校出身者の主張に反論するつもりはまったくない。ただ、私自身は共学派であるというだけである。

 そもそもであるが、なぜ男女別学だったのかと言えば、それは「男女七歳にして席を同じゅうせず」という伝統だろう。男女の間にはどうしても性的な関係が絡む。自由な恋愛が御法度だった時代には余計な騒動を回避するという意味では、意味のある事だったと思う。しかし、現代ではもう男女を分ける意味合いというのはなくなってきている。共学であれば「恋愛にうつつを抜かして勉強に身が入らない」という考えがあるのかもしれないが、別学にすれば解決するという問題でもない。

 私は絶対共学派だったし、都立高校に入って過ごした3年間、やはり共学で良かったと思う。初めて彼女もできたし、彼女でなくてもマネージャーやクラスメイトなどに女の子がいるのはやはり違う。卒業してもクラス会で女性がいるのは華があるし、今に至っても女友達は男友達とはまた違う良さがある。ラグビーの試合も女子マネがいるとそれだけで気分が違う。試合が始まれば意識から抜けてしまうが、その前後の気分は違う。自分だけを観ているなどと自惚れるわけではないが、「目を意識する」のは確かである。やっぱり自分は男なのである。

 大学は女性比率が低く、法学部のゼミは男だけであった。なんとなく男子校の雰囲気は味わえたが、やはり女子が参加していると気分が違う。男子校の良さを訴える声を否定するわけではないが、共学の良さを知っても尚それを主張できるだろうかという気はする。今年は久しぶりに高校の同期会があるが、とても楽しみである。もう還暦のジジイとババアの集まりであるが、高校時代の友人は歳をとってもあまり違わない。たぶん一緒に歳をとっているからだろう。

 男子校の楽しさがわからないのは残念ではあるが、わからなくてもいいし、わかりたいとも思わない。東京はさすがにGHQのお膝元だったから共学化が進んで公立高校は共学になったのだろう。我が家は子供たちも2人とも公立高校だったから、親子でその恩恵を受けた事になる。戦争に負けてGHQに変えられてしまったもののうち、間違いなく良かったのはこの共学化だろう。今まで知らなかったが、改めてその点だけはGHQに感謝したいと思うのである・・・


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【本日の読書】
戦争と経済 舞台裏から読み解く戦いの歴史 - 小野圭司 ひこばえ(下) (朝日文庫) - 重松 清






2024年9月4日水曜日

論語雑感 泰伯第八 (その7)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
曾子曰、士不可以不弘毅。任重而道遠。仁以爲己任。不亦重乎。死而後已。不亦遠乎。
【読み下し】
曾(そう)子(し)曰(いわ)く、士(し)は以(もっ)て弘(こう)毅(き)ならざる可(べ)からず。任(にん)重(おも)くして道(みち)遠(とお)し。仁(じん)以(もっ)て己(おの)が任(にん)と為(な)す。亦(ま)た重(おも)からずや。死(し)して後(のち)已(や)む。亦(ま)た遠(とお)からずや。
【訳】
曾先生がいわれた。「道を行なおうとする者は大器で強敵な意志の持主でなければならない。任務が重大でしかも前途遼遠だからだ。仁をもって自分の任務とする、なんと重いではないか。死にいたるまでその任務はつづく、なんと遠いではないか」

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 昔の偉人は生涯をかけて追及する道をあれこれと考えていたのであろう。「仁をもって自分の任務とする」というのは大きな目標で、並大抵のことではできないと思う。それに比べて一般庶民は日々の暮らしに追われ、これといった目的などなく暮らしているのだろうと思う。かく言う私もそんな庶民の1人である。これといった大きな目的があるわけでもなく、ただ日々を過ごしていると言える。

 しかし、「仁をもって自分の任務とする」と言えば大げさであるが、ある程度はみな自分の信条というものを持っているのではないかと思う。私の場合、独身の間は自由気ままであったが、結婚してからは、働く目的、生きる目的の第一は家族のためになったし、子どもが生まれてからはその対象が子どもに広がっている。子育ての目的は自立した人間になる事であり、それは今のところうまくいっているように見える。

 本来的にはあまり人と関わらずに生きていきたいところであるが、この世の中ではそうもいかない。人間関係は大事であるが、基本的に他人には迷惑をかけず、関わった人には少しでも関わって良かったと思ってもらえるように振る舞っているつもりである。会社では高い給料をもらえるように自分のパフォーマンスを意識しているし、会社の人たちには少しでも働きやすい会社になるように心がけている。

 社会人になった時、当時の銀行というところは、行員に辛い思いをさせたがっているのではないかと思うような環境であった。先輩行員もストレスは後輩にぶつけて発散しているのではないかというくらい意地の悪い人がいたし、サービス残業は当たり前だし、若手はまるで奴隷のようであった。自分はそういう先輩にはなるまいと心に誓い、それを今も実践している。社員がいかに快適に働けるかを意識して日々の仕事をこなしているのが現状である。

 それは決してきれいごとではなく、きちんとした打算に基づいている。いい環境であればパフォーマンスも上がるし、みんながベストパフォーマンスで働いてくれれば会社も安泰であるし、それによって自分の高い給料も維持できる。自分の気分もいいし、まさに一石二鳥である。けっしてよそ行きのきれいごとを言っているのではなく、自分の利益についてあくまで追求した上での考え方である。

 人生は長く、途中で何があるかわからない。年齢とともに働ける範囲は狭まってくるし、私も今の会社を離れたら今の給料を維持できないだろう。であれば今の会社で全力を尽くすしかない。家族のために働く任務は重大でしかも前途遼遠である。死に至るまで続くという事はないが、子供たちが独立して(あと3年)、住宅ローンを完済し(あと10年)、いくばくかの老後の資金も貯めようと思えばなんと遠いではないか。

 曾子のように大きな任務ではないが、庶民には庶民なりの大きな任務があると思う。それは私1人の事ではなく、大概の人にはそれが当てはまるのではないかと思う。ただ、家族を養うためではなく、「どうやって」というのもある。私が入行した当時の先輩行員もそうであったが、後輩相手にストレス発散しているような人たちは違うだろう。少なくとも尊敬の念のかけらすら持てなかったが、生き方も大事だと思う。

 話題になったドラマ『不適切にもほどがある』の中で、ハラスメントを防ぐには相手を「自分の娘だと思う」とすべきとやっていたが、まさにその通りだろうと思う。私の娘もちょうど今年社会人になったが、我が社の若手社員を見ていると、娘も職場で私のような上司に仕えているのかもしれないと思うと、若手社員に対する対応もどうするべきかとおのずと決まってくる。そういう意識で若手とは接し、年齢の近い同僚ともその延長で考えれば自然と丁寧な対応になってくる。

 「仁」などという大きなものではないが、それが現代の「仁」と言えるかもしれないし、そういう生き方が「道」なのかもしれない。と、こじつけてみる。まぁ、偉人とは程遠い庶民であるし、庶民なりに人に対して恥ずかしくない生き方を維持していきたいと思うのである・・・

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【本日の読書】

離職率ゼロ!部下が辞めない1on1ミーティング! - 竹野潤 戦争と経済 舞台裏から読み解く戦いの歴史 - 小野圭司 ひこばえ(下) (朝日文庫) - 重松 清







2024年9月1日日曜日

取締役部長の問題点

 我が社では役員が3人いる。社員100名の中小企業では普通だし、十分だと思う。役員3人はそれぞれ開発現場、営業、人事・総務・経理を担当している。私と営業担当の役員は「部長兼務」である。中小企業故に人がいない事もあって、どうしても兼務せざるを得ないのである。また、会社法で企業には取締役が最低3人必要であり、中小企業では役員の兼務も珍しくはないと思う。しかし、取締役と部長とは厳密には相容れない関係であり、本来兼務すべきものではないと思う。

 なぜなら、取締役は、簡単に言えば「雇う立場」であり、部長は「雇われる立場」である。両方を兼務するのはおかしな話である。その弊害が我が社にも見られる。現場担当の取締役(元現場の部長である)がどうも取締役としての役割を果たせていないのである。と言っても、仕事をサボっているわけではない。きちんと仕事はしているし、部下の管理も顧客対応も問題はない。ただ、それは言ってみれば「部長の仕事」であり、取締役の仕事ではないのである。

 新卒で入社し、現場で叩き上げの彼は、いまだ仕事のやり方は部長時代と変わっていない。本来、部長から取締役に昇格した時に、これから何をするべきか、役員の仕事とは何かをよく考えるべきであったのであるが、それをせずにそれまでの延長上で来てしまっているのである。もっとも、取締役と言っても「部長兼務」であったため、必然的にそれまでの仕事をそのままやる事になり、そういう意識も持てなかったのだろうと思う。

 中小企業では仕方のないことかもしれない。役員(正式には取締役)は一種の名誉職のようになってしまっているのだろう。私が学生時代アルバイトをしていた防水工事の会社は社員が4人くらいだったが、アルバイトを引き連れて現場に向かう人は「専務」と呼ばれていた。役割的には係長と言ってもおかしくはなかったから、さしづめ専務兼部長兼課長兼係長といったところだったのだろう。

 それで問題ない企業規模であれば、役職なんてただの飾りであるが、規模が大きくなってくると、役割は意識しないといけない。我が社では経営計画を策定し、それを実行に移すといったところで役員としての役割が出てくるのである。ただ、そこも考えようで、私などは初めはただの部長として今の会社に入社したが、もともと銀行で中小企業については経営的な見方を常にしていたので、そういう見方のまま入ったから、部長でありながらも役員的な言動をしていた。それゆえに役員に引き上げてもらったという経緯もある。

 それは能力というよりも経験であり、私も現場上がりだったら「部長の思考」が抜けなかったかもしれない。社員から役員に昇格する時、一旦退職して退職金をもらい、そして株主総会の承認を得て取締役に就任する。我が社では役員になれば会社の株を持たされる(買わされる)。それを単なる事務手続きと意識してしまうと、役員になる意味というものが理解できないまま役員になってしまうかもしれない。

 会社を客船に例えるなら、役員はブリッジで目的地を決め、航路を決定し、それを船員に指示する役割である。船員はその指示に基づいて各自の持ち場で船がきちんと運航できるようにするのである。当の部長は、例えて言えば、現場に出突っ張りでブリッジに上がってこない状態と言えるだろう。社長へのホウレンソウ、経営方針をめぐり時に社長と議論し、相談して会社を有るべき方向に導いていく。そんな役割がある事に気づいていない。

 「課長になる時」、「部長になる時」、「取締役になる時」それぞれその意味を十分説明し、よく理解してもらってから昇格させるようにする仕組みづくりが必要であるなと考えている。各自に任せていると、かの取締役のようになってしまうだろう。中小企業とは言え、そのあたりはしっかりと意識して仕組みづくりをしていかなければいけない。さしあたり、かの役員とは一度膝詰めで私の考えを伝えなければいけないなと思うのである・・・


Wilfried ThünkerによるPixabayからの画像

【今週の読書】
離職率ゼロ!部下が辞めない1on1ミーティング! - 竹野潤 ひこばえ (上) (朝日文庫) - 重松 清 ひこばえ(下) (朝日文庫) - 重松 清