2024年10月13日日曜日

叔父の葬儀

 父方の叔父が亡くなった。昨年、長男の伯父が亡くなったばかりだが、今度は三男の叔父が父よりも早くこの世を去った。人間も生物であるので時間がくれば自動的にというわけにはいかない。叔父の方が父よりもずっと早くに認知症になり、そして先に行ったのである。父も自分よりも早いとは、と呟いていた。もともとそれほど交流が密だったわけではなく、認知症になったと聞いていた事もあり、最近はずっと会っていなかった。私の弟と確認したら、最近というより、叔父とは30年くらい会っていなかったかもしれない。

 通夜に行き、棺の中で眠る叔父の顔を見たが、昔の面影はまったくなく、「これ誰なのか」と思うくらい変わっていた。しかし、数年会っていなかった伯父でさえ本人とわからないくらい変わっていたので、30年くらい会っていなかった叔父が別人のごとく変わっていたのも不思議ではない。叔父は私の父よりも背が高く、昔からカメラが趣味で、いつもカメラを手にしていた印象がある。それは8ミリカメラにも及び、まだ私が子供の頃、部屋を暗くして映写会を開いてくれたのを覚えている。

 当時は8ミリカメラは珍しく、カタカタという音とともにスクリーンに白黒の動画が映し出される。今ではスマホで簡単に撮れる動画が、撮るのも見るのも手間をかけないといけなかったが、叔父が得意気に解説しながら撮影した動画を見せてくれたのを覚えている。通夜の会食の場でそんな思い出話をしていたが、たまたま会話の流れで叔母が叔父とは8歳違いだと初めて知った。よく会っていたのは小学生から中学生の頃で、数えてみるとその頃叔母は30歳前後だったとわかる。記憶の中の叔母はとてもそんなに若く見えず、本人には言えないが、密かに衝撃を受けたのである。

 その叔母が一枚の写真を見せてくれた。それは叔父と2人でマイク片手に歌っている姿。叔父はカラオケが大好きだったという事で、よく叔母と歌いに行っていたらしい。記憶の中にある叔父よりも髪の毛が後退し、それ相応に歳を取っていた。記憶の中の叔父と棺の中の叔父とを結ぶ姿であり、なるほどと思わせてくれた。改めて写真はその時々を捉えて残す貴重なものなのだと思わされた。父方の親戚付き合いは母方に比べると密度が薄い。頻繁にとは言わなくても、年に一度くらいは挨拶を交わす関係であってもよかったかもしれない。

 しかし、実は父は叔父についてあまりいい話はしない。どうも2歳年上の父を批判する言動をしばしばしていたらしい。それが父には面白くなく、「あいつは俺を馬鹿にしている」としばしこぼしていた。客観的に見れば、2歳しか歳の離れていない兄弟である。弟として兄に対抗心を持っていたのかもしれない。晩年は認知症になり、施設に入っていた事もあって、遺族は身内だけの家族葬を選択。本格的な葬儀ともなれば遺族の負担も大きく、それはそれでいいのではないかと思う。

 叔父の骨を拾って葬儀は終わった。こっそり従姉妹に聞いたところ墓はまだ決まっていないという。東京ではなかなか悩ましいところである。一人娘の従姉妹には子供はなく、墓を決めたところでそこもいずれ苔むす事になりそうである。諸行無常。叔父の墓がどうなるのかはわからないが、同じ祖父の血を引く者同士として、改めて従姉妹とはもう少し連絡を取り合っていきたいと思うのである・・・


ELLE RITTERによるPixabayからの画像

【本日の読書】
ただしさに殺されないために~声なき者への社会論 - 御田寺圭  逆説の日本史: 大正混迷編 南北朝正閏論とシーメンス事件の謎 (28) - 井沢 元彦






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