それ以外にも細かい問題は日々発生しており、その都度対応の手間を取られている。さながらそれはモグラたたきのようであるが、叩いても叩いてもモグラは次々と顔を出す。顔を出してくるならその都度叩けばいいわけであり、七転び八起きではないが、顔を出した分はすべて叩ききってしまえばいい。そういう精神でやっている。しかし、日々やる事は問題ばかりではなく、むしろ問題以外の仕事は仕事であるわけである。それをこなしながらというのが大変なところである。
以前は、こうした状況に「なぜこんなに問題ばかりが起きるのか」と嘆きが入っていたのであるが、嘆いていても始まらないし、1担当者の時代から社内での役割が上がるにつれて問題は増えていく。今は取締役という立場上、社内の問題は「担当外」として見て見ぬふりをするわけにはいかなくなっている。現場で問題が起こっていて、それが耳に入った場合、担当者なり管理職なりが対応に当たるとして、それが適切にできるかどうかは気にしていないといけない。困っていそうであれば手を差し伸べなければならない。そうなるとそれはもう「自分の担当する問題」となる。
問題はこうして増えていく。それを嘆いていても仕方ない。逃げられないものであれば正面から向き合うしかない。何事もそうであるが、意識の違いは大きい。問題を嘆いてもなくならないし、ストレスは溜まるし、いい事はない。普段の自分の仕事に加わる「厄介事」は精神的にも重くのしかかってくる。しかし、考え方をかえて、「問題を解決するのが自分の仕事」と捉えると、問題が生じるのは店頭にお客さんがくるのと同じで、それで商売が成り立つと考えれば愚痴も出てくる余地はない。
人気のラーメン店は開店と同時に長蛇の列で、それが閉店まで続く。それを嘆く事は(少なくともオーナーの立場であれば)あり得ないわけで、むしろホクホク顔で笑いが止まらないだろう。「問題解決担当」と考えれば、社内でも頼られる存在になるし、自分の存在価値になる。社内で存在感を確保するという事は極めて重要であり、おかげで世間では定年退職年齢にあるにもかかわらず、給与もそのままで定年とは無縁で仕事ができる立場になっている。問題こそが自分を支えてくれているとさえ思えば愚痴も出てこない。
最近は、「仕事と書いてもんだいと読む」は社内でも使われるようになってきている。いい事だと思う。何事も気の持ちようであると思うが、正面から向き合う事でメンタルのダメージも軽減される。管理職が対応すべき問題でも「何かあれば声をかけて」と言っておけば管理職の心の負担も軽減されるし、自分の存在価値も上がる。考えてみれば、仕事で生じる問題は人気ラーメン店の店頭に並ぶ長蛇の列であるかもしれない。そう考えれば、問題も悪いものではない。
何事も気の持ちようだとすれば、問題もそんな風に考えて受け止めたいと思うのである・・・
【本日の読書】
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