コロナ禍以来、社会にテレワークが浸透している。我が社も例外ではなく、テレワーク社員がいる。しかし、テレワークに伴ってコミュニケーション不足の問題も生じており、我が社では先日、「新入社員にはテレワークをさせず、出社して教育しながら仕事をさせよう」という事になった。役員会での正式決定である。そういう大方針が決まれば、あとは個々の社員についてうまくやるだけとなる。当然、それに伴って問題は生じるのかもしれないが、それは言ってみれば「小問題」であって、根本方針を変えなければならないような「大問題」ではない。
ところが、いざ現場に方針を示達すると、まず管理職から疑問が呈された。「〇〇の場合はどうするのか?」といった類の問題である。新入社員に出社させるとしても1人だけ出社させても意味はない。上司なり先輩なりも出社して指導する必要がある。さらに対象を2〜3年目の若手に拡大させようとなったら、「在宅勤務の者を出社させるにあたって生じる問題」が出てきた。それらの問題を列挙しつつ、疑問を呈してくる。そこでその管理職に「若手に在宅勤務をさせる事に反対の理由を述べよ」と告げたところ、「反対ではない」と言う。むしろ賛成だと。
その答えを聞いて何とも脱力感に見舞われてしまった。基本的な大方針に反対でないならあとは実行のみである。現場を預かる管理職であれば、現場で生じる細々とした「小問題」については自力で解決すべきである。少なくとも私はそう考えるし、そう考えてきた。それが自分の裁量であり、自分の責任で決定、解決できる範囲である。一々上司にお伺いを立てるとなると、それは自分の決定権を放棄する事になり、そんな状況で仕事をしても面白くないだろうと思う。仕事は自己決定権の範囲が大きいほど面白いものである。
私はもともと自立心が強かったためか、自己決定権をとにかく広げたいと思う方であった。だから推進すべき大方針が決まったならば、それに沿って進む中で生じる小問題は自分で決定、解決するのが当然だと思うし、そのくらいの裁量すらもらえないのであればやる気も出ないタイプである。なので件の管理職の問題提起には唖然とさせられたのである。もちろん、人によって考え方は異なるであろうが、管理職であれば小問題は自分の裁量で解決してもらいたいと思わざるを得ない。
一つ一つ「この場合はこうせよ」と範を示して教える事は可能であるが、忙しい中ではそのくらいは権限移譲してやってもらいたいと思う。範を示すことは可能であるが、「考え方」を理解してもらいたいと思わざるを得ない。「考え方」はなかなか指導が難しい。まさに先師の言われる通りである。確かに範を示してもらえれば、理解は早い。スポーツの世界でもそれは顕著である。お手本となる人が目の前でプレーを見せてくれると、理解も早い(それを上手に真似できるかという問題はあるが・・・)。
私も10年ほど前にラグビーを再開させた時、若い頃やっていたフォワードからバックスへとポジションを転向した。今も日々是改善である。チームにはコーチがいるわけでもなく、自分でスキルを身につけないといけない。ワールドカップや国内の一流チームの試合を観ては参考にしているが、難しいのは表面的に真似しても根本的な考えが理解できていた方が応用がきくというところである。ちょっとしたプレーであればコツがわかれば何とかなるが、大局的な考え方が理解できていると判断も早くなっていいのにと思う(なかなか難しい)。
道理が理解できれば自分で判断できるようになる。一々「ここはこうする」と教えなくてもできるようになる。いわゆる阿吽の呼吸というのもこれにあたると思う。同じ役員間でも、共通の考え方ができている役員とは話も早い。まず目指すべきは考え方(=道理)の理解というところであるのは、現代でも変わらぬ真理なのかもしれない。先の管理職については、考え方の理解に及ぶまで根気強く範を示さないといけないのかもしれない。それならそれで、根気強くやりたいと思うのである・・・
AlexaによるPixabayからの画像 |
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