2024年10月23日水曜日

投資かギャンブルか

 先日、採用活動でとある学生さんと話をした。大学では「なぜ日本人が投資下手なのか」について論文を書いているのだと言う。テーマとしてはベタなのではないかと思ったが、「そもそも金融教育が十分にされていない」とか、「額に汗して稼ぐことを良しとする文化」だとか、そんな意見があることを聞いた。あちこちで聞いたような話である。それはその通りなのだろう。お金にお金を稼がせるのを良しとしない。むしろ楽してお金を稼ごうとするのは罪悪のような感覚が日本人にはあるように思う。

 一方で、定期預金しかしていない人を小馬鹿にするような風潮もある。政府ももう十分な年金を支給できないと判断したのであろう、今やNISAだ何だと税制優遇して投資を煽っている。しかし、多くの人が投資などあまり考えた事もなく、せいぜいが銀行や証券会社に勧められるがまま投資信託を買ったりしているのが関の山のような気がする。私はと言えば、とりあえず今は株式投資をしている。過去に株の信用取引では大損をしたが、現物株投資では投資額はほぼ20倍くらいになっており、まずまずの成績である。

 銀行や証券会社の勧める投資信託は、「購入者にとって」いい商品ではなく、「売り手にとって」いい商品(すなわち儲かる商品)である事が多い。よくわからないまま銀行員や証券マンに勧められて元本保証なしの自己責任投資を行う事が、果たして投資なのだろうか。私の場合、配当(わずかだがちょっとしたお小遣いになる)と株主優待(ちょっとしたお得気分になれる)という点で定期預金よりはいいだろうと考えて現物株投資を行っているが、それで大成功している(今のところは)。

 ただ、短期売買を狙った株式投資では大失敗して大きな借金を負って大変な目にあった。短期で上がるかどうかに賭ける投資は、投資というよりほとんどギャンブルである。一方で有効な投資は、一方では危険なギャンブルでもある。銀行員時代、競馬好きな同僚がいた。毎週競馬場に行っていたが、馬券を買うのは1万円までと決めていた。それだと損をしても最大月4万円。独身者のお小遣いではちょっと贅沢な遊びのレベルである。そこには「ギャンブル」という危険なニオイはなかった。

 考えてみれば、言われるがままに訳のわからない投資信託を買うのと、「これが来る」と信じてお金を突っ込む競馬やパチンコとどこが違うのだろうか。私の株式投資は、成功した「投資」なのか、借金の山を作ってしまった「ギャンブル」なのか。やっている事は同じである。そう考えていくと、日本人に必要な金融教育とは、「何に投資するか」ではなく、「お金をどう投資するか」であるのだろうと思う。余裕資金の一部(しばらく使わなくてもいいお金)を「失っても困らない範囲で」行うという事ができれば何をやっても怖くはない。

 (将来のために)「貯めるお金」と、多少のリスクを取ってでも「増やすお金」とを区別し、限度を守って投資するなら、パチンコや競馬でも立派な投資と言えるように思う。日本でもカジノ建設をという話があるが、反対派の主張することは「ギャンブル依存症を増やす」という事のようである。昔からの博打もそうであるが、大きなお金を賭けさせて払えなければ借金を負わせて追い込むといった事が暴力団などによって行われていたが、「身の丈」にあった範囲内であれば問題は起こりようもない。

 考えてみれば、友達にお金を貸すのも他人の借金の保証人になるのも、みんな「身の丈」の範囲内であればまったく問題はない。身の丈を超えるから悲劇になるのである。日本人の投資下手を解消するなら、そういう「身の丈」教育がまずは必要であるように思う。あるものにお金を投入する際、それが「投資」なのか「ギャンブル」なのか。それは「対象」ではなく、「お金の使い方」の問題であると思うのである・・・


ASchuehleinによるPixabayからの画像

【本日の読書】
講談で身につく ビジネスに役立つ話術の極意 - 神田山緑 三体2 黒暗森林 上 (ハヤカワ文庫SF) - 劉 慈欣, 大森 望, 立原 透耶, 上原 かおり, 泊 功




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