2024年10月27日日曜日

人の記憶

 この週末、久しぶりに高校の同期会があった。前回から8年ぶりとのことだったが、そう言われればそういう気もするし、それよりも前回はどこでやったのかと考えてみると思い出すのに時間がかかってしまった。約120人の出席者だったが、時間にもゆとりがあり、じっくりといろいろな友人たちと話ができた。それにしても、当たり前であるが、人の記憶というものは人それぞれであり、同じ経験をしているはずなのに覚えている人と覚えていない人がいる。自分には鮮明に残っている記憶が相手にないというのも意外な気がする。

 1人の友人と久しぶりに再会した。彼は実は中学校からの同級生であるが、高校時代は同じクラスになったことがない。特に同じクラブにいたこともないし、趣味が合うこともなく、会えば親しく話をするくらいである。会場でぽつんと立っているのを見かけて話しかけた。実はその時、名前を忘れてしまっていたが、幹事の心遣いでみんな名札をつけており、それで名前で話しかけることができた。いつ以来だろうと考え、「前回来ていたっけ?」と聞いたところ、「中学の集まり以来だね」と答えが返ってきた。

 そう言えば、中学の時の集まりがあって、それは2017年の事であった。つまり7年前である。衝撃的だったのが、その場に彼がいた事、彼が中学以来の同級生だったという事をすっかり忘れていた事である。彼はその集まりでの私との会話に言及してくれたが、私は狐につままれたように相槌を打つことしかできなかった。確かに彼はあまり社交的な性格ではなく、目立つ存在ではなかったが、それなりに好意を持って接してきたつもりである。なのにまったく私の記憶から抜け落ちていたのである。

 彼のことを蔑ろにするつもりはないし、これからも仲良くしていきたいと思っている。なぜ忘れてしまったのかと考えると、会えば話をするし、中学校以来の友人だし(忘れていたが)、しかし逆に言えば会わなければ思い出す事もない。人間の脳の記憶容量には限界があるだろうし、そんな脳が彼のことを忘れたのも当然かもしれない。申し訳ないなと思う気持ちが生じた。その他、声をかけてくれた何人かは名前も覚えていなかった(名札が大いに役に立った)。

 覚えていない言い訳としては、もともと一度も同じクラスになった事がなく、高校時代も話をした事があっただろうかと思うくらいであるが、向こうは私を覚えている。幾つかのエピソードを挙げて「まだやってるの?」と聞かれて内心面食らった。なぜ知っているのだろうか、と。相手は自分のことを覚えてくれているのにこちらにはその記憶がない。何だか不義理を働いているような気分になる。私が全校的な有名人であればそういう事もあるだろう。しかし、残念ながら謙遜するまでもなくそんな事はない。

 話をした中には、高校時代とはまるで人相が変わってしまった者もいる。あまりの別人化に話ていてもやっぱり狐につままれた気分だったが、記憶が残っていればそれを頼りに話ができる。話しかけてくれるという事は、ある程度好意を持ってくれているという事である。ありがたいと素直に思う。覚えていないのは、思い出さないからに他ならない。普段会わずに、思い出しもしなければ、脳だって記憶容量に限界がある以上、deleteするだろう。たまに思い出して記憶の維持をする事が必要なのかもしれない。

 好意を持って話しかけてくれた友人はやはり大事にしたいと思う。ただでさえ友人は少ないし(いたずらに数を増やしたいとも思わないが)、せめて自分に好意を持って話しかけてくれる同級生は友人として大事にしたいと思う。次の同期会は4年後の予定だが、その時は今回の事をしっかりと覚えておいて、自分から話しかけるようにしたいと思うのである・・・



【今週の読書】

孤闘 三浦瑠麗裁判1345日 - 西脇 亨輔  三体2 黒暗森林 上 (ハヤカワ文庫SF) - 劉 慈欣, 大森 望, 立原 透耶, 上原 かおり, 泊 功






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