2024年9月16日月曜日

伯父の一周忌

 伯父の一周忌の法要に不死身の父の実家を訪れた。伯父が亡くなってはや一年である。中央道の渋滞に巻き込まれ、法要には出席できず、墓参りから参加。長年、先祖代々の墓にはこれといった墓石がなかったが、とうとう従兄弟が建てたので、そのお披露目も兼ねてである。伯父の墓以外にも曽祖父や祖父母などの墓石も一つ一つ作られていて、なぜよくあるように一つの大きな墓石にしないのだろうかと思ったが、考えてみれば30年前の祖父は土葬だったので、遺骨を簡単に移せないという事情もあるのだろうと考えた。

 法事には兄弟とその家族が参加した。次男の父と家族4人、三男の娘夫婦、四男、長女と娘、次女と息子。葬儀とは違って身内だけ、しかもその一部。それも仕方あるまい。さすがに葬儀とは個人との最後のお別れであり、万難を排して参加するものだろうが、一周忌はそれほどではない。そして三回忌は故人の家族だけで行うと早くも宣言された。皆の負担を考慮したのであろう。父も四男も1人では参加できないし、三男は認知症で施設に入っている状況ではそれも仕方ないのだろう。

 みんなでささゃかに食事をして法事はお開きとなった。今さらながらであるが、日本の死者に対する慣例は仏事に即している。葬儀も宗派のお坊さんが来てお経を上げ、戒名をもらい、葬儀と同時に初七日の法要を行う。そして四十九日、一周忌、三回忌、七回忌と続く。死者を手厚く悼むという事では宗教儀式としての仏教は密接な存在であるが、今や忙しくなり、しかも高齢となった現代人は、葬儀と共に初七日の法要を行い、一周忌までしかやらないというのもやむを得ないのかもしれない。伯父の三十三回忌など、自分が生きているのも怪しいから仕方ないと言える。

 この機会にと、いとこ3人とLINEを交換した。今後何か必要があるかもしれないと考えたのである。するとそれを機に、ライングループ「いとこ会」が6人で立ち上がった。父方のいとこは確か8人であり、6/8の参加率はなかなかかもしれない。これに対し、母方のいとこ会もあるが、こちらは7/13である。今さらながら、昔は兄弟が多かったのでいとこの数も多い。我が子など、従兄弟は2人しかいない。それも元々交流が薄くてほとんど会う事もない。なんとなく可哀想な気もする。

 母方のいとことは、子供の頃から一緒に遊んでいるので今でも仲が良い。それに対し、父方のいとこは昨年、数十年ぶりに会うという有様だった。やはり子供は母親と行動を共にするし、母と娘は仲が良いからどうしても交流は母方の方が多い。我が家も例外に漏れず、子供たちは私の両親とは年に1〜2回会う程度である。妻の実家との接触頻度とはだいぶ差がある(しかし、義妹に子はなく従兄弟がいない)。子供たちがいとこ会を作ることはないような気がする。いとこの交流を促したのは伯父の残した遺産かもしれない。

 食事会が終わって父の実家に顔を出した時、父はおもむろにひとり散歩に出かけた。しばらく帰ってこなかったが、カメラ片手に付近を散策したらしい。父は今でも「富士見に住みたい」と言う。現実的にはもう車に乗れないし、家事もおぼつかない母と2人で富士見に住むのは無理がある。息子に甲斐性があって、お手伝いさんでも雇えればいいが、そうもいかない。残念であるが、諦めてもらうしかない。それにしても、87年の人生で15年しか住んでいない故郷が70年以上暮らしている東京よりもいいと言うのが故郷の意味なのだろうか。

 中央道は関越道に比べて渋滞が酷である。父をなるべく故郷に連れて行きたいと思うが、どうしてもそれが心のネックになる。そんなネックはあるものの、いとこ会も立ち上がったし、葬儀以外で共通の祖父母を持つもの同士、たまに集まるのも良いかもしれない。これからそんないとこ会の音頭取りをしてみようかと思うのである・・・


svklimkinによるPixabayからの画像

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