2024年7月14日日曜日

アンチエイジング

 その昔、頭が硬い上司がいて、いろいろとアイディアを提案してもあれこれ言って先送りの末に有耶無耶にされるという事があり、イライラさせられた事がある。石橋を叩くのも大事だが、叩いてばかりで渡ろうとしないのは問題である。慎重なことは大事であるが、慎重すぎるのは「過ぎたるは及ばざるが如し」である。さまざまな経験を積めば、いろいろなリスクに思いが及ぶのはわかるが、組織の活性化を阻害しては何にもならない。いつしかこれぞ「老害」なのだろうと思うようになっていた。

 しかし、自分もいつの間にか上司より部下の数の方が圧倒的に多くなり、かつての上司の立場になっている。そんな自分を振り返ってみて、「大丈夫だろうか」とふと思う。還暦になって、しかも会社の財務を預かる立場になって、いつの間にか保守的になって、かつて嘆いた「老害」になってはいないだろうかと心配になったのである。「大丈夫だ」と思いたいが、「評価は他人が下したものが正しい」という野村監督の言葉にある通り、自分で大丈夫だと思っていても本当かどうかはわからない。

 ただ、それ手でも何となく自分はまだ大丈夫な気がする。自分が受け持っている総務部(と言っても財務も人事も含む総務である)では、みんなに「業務改善提案」の提出を義務付けている。そしてその結果もきちんと人事評価に織り込んでいる。その目的は、「漫然と仕事をしない事」。常に何か改善点はないか、見直すべき事はないか、新しい工夫はないか、を強制的に考える仕組みを作っているのである。みんなには不評だが、やめるつもりはないと宣言している。

 その代わり、どんな些細な提案であろうと点数を与えている。0点という事はない。そうやって仕事のマンネリ化を防ぎ、何か新しい事を考えるように仕向けている。それは自分自身にも向けていて、役員としてどんな新しい工夫をするのかを意識している。新しい工夫と言っても、そうそういくつも簡単に出てくるものではない。悪戦苦闘の連続である。そういう意識でいると、若手から何か提案があれば、「やってみなはれ」という気持ちになる。

 実際、何か前向きの提案をしても、認められなければガッカリするし、そのうちにそんな提案などしても無駄だという気持ちになる。それは組織の停滞に繋がるし、そんな様子がわからない社長から見ると、「うちの社員はダメだ」となるのかもしれない。それを防ぐためには、何か提案があればそれを積極的に後押しするしかない。何が何でもというわけにはいかないかもしれないが、ダメならダメでその理由を説明し、できれば更なる改善を求める事も必要だろうと思う。

 実際、私も先日部下から改善提案を受けたが、非常にいい内容だと思ったので、全社的に進めようと答えた。「ではやれ」だと本人も戸惑うであろう。そこで次回の役員会で提案して役員の同意を取り付ける事にした。そうして「個人の提案」から「会社の施策」になればお墨付きが得られ、そうする事で本人も進めやすくなる。こうした環境作りは上司の責任だろうと思う。そういう施策が次々と出てくるようになれば、「アクティブ総務」の評判を築く事ができるかもしれない。

 世の中では「アンチエイジング」という言葉がある。いつまでも若々しくありたいという気持ちはよくわかるが、それは見かけだけの事であっては意味がないと思う。見かけも大事であるが、それ以上に「精神のアンチエイジング」は必要ではないかと思う。ただでさえ、肉体は老いても精神は老いぬもの。であれば「老害」というのも本来はあり得ないはず。ただ、「面倒だ」と思う心はあるのかもしれない。新しいものについて考えるのが面倒だと感じる心である。

 それは何となく理解できるところである。私もだんだんと億劫になってきているところがある。それは「精神の疲労」なのかもしれないと思う。当面、注意しなければならないのは、この「精神の疲労」かもしれない。それを防ぐのは、「精神の休息」なのだろうか。何が役立つかはわからないが、この「精神の疲労」に気をつけつつ、老害とならないように精神のアンチエイジングに努めて行きたいと思うのである・・・


LEEROY AgencyによるPixabayからの画像

【今週の読書】
思考の技術論: 自分の頭で「正しく考える」 - 鹿島 茂  Mine! 私たちを支配する「所有」のルール - マイケル ヘラー, ジェームズ ザルツマン, 村井 章子  心はあなたのもとに (村上龍電子本製作所) - 村上 龍




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