2011年6月6日月曜日

日曜参観

昨日、長男の幼稚園で日曜参観があった。
「日曜参観」とは名打っているものの、ターゲットは明らかにお父さんだ。
ママたちは普段から何かと子供たちの幼稚園での様子を見ている。
普段来られないお父さんたちを呼ぼうという意図はありありしている。
ただ、お父さんが来られないところもあるから、「父親参観」としていないだけだろう。

実際、来ていた親の8割方はお父さんたちだ。
(ちなみにあらかじめ家族は1名に制限されていた)
また、少数参加していたお母さんたちの中でも、兄弟姉妹が在園しているという理由でお父さんが別の教室にいるという人もいたから、実際は9割以上という事になる。

中には日曜日も仕事という人もいると思うのだ。
だが仕事を休んだり、時差出勤などで調節しているのかもしれない。
実際、私の行きつけの美容院(近年は床屋ではないのだ)のオーナーも来ていたが、忙しくなるからとお昼前に帰って行った。唯一の知り合いだっただけに、ちょっと残念だった。
そんな風にして、今は当たり前のようにお父さんが来るのだと実感する。

自分の子供時代を振り返ってみると、親父が参観日に来たという記憶はまったくない。
記憶の中ではいつも後ろに立っていたのは母親だ。まあ今みたいに週休二日制ではなかったし、「男が・・・」なんて雰囲気もあったみたいだし、親父を責めるのも酷なのかもしれない。それゆえに、当たり前のようにお父さんが来ている現代はやっぱりいい時代になっているのかもしれない。

この日曜参観では親子工作が恒例だ。
今年ははと時計
ティッシュの箱を加工して、折り紙で折ったはとをつけるだけのものなのだが、この工作が実は私は苦手。今年も説明がわかりにくく、完成形の見本もなくて苦戦。
最後はごまかしたが、年長の長男の目はごまかせても他の人には見せたくない出来栄えだった。

子供たちと一緒にお弁当を食べて、最後は親子で自己紹介。
子供は名前だけでいいが、大人はそうもいかない。
「やっぱりちょっとウケた方がいいだろう」とサービス精神を発揮する。
次に会うのは運動会の時だろうが、ちょっとウケを取っておいたから覚えてもらえるかもしれない。

さて、この日の事を長男はどのくらい覚えていられるだろう。
将来自分が親父となった時に思いだしてくれるだろうか。
そんな事をちょっと考えた一日である・・・

【本日の読書】
「なぜ『そうじ』をすると人生が変わるのか?」志賀内泰弘
「プラチナデータ」東野圭吾


      

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