2011年6月1日水曜日

誕生日に思う

47回目の誕生日の朝、母親からメールが届いた。
体調を崩して検査入院している病院のベッドから送ってきたみたいだ。
「日の出とともに生まれた子」と書かれている。
今の私よりも20歳も若かった47年前の母は、その時どんな気持ちだったのだろう。

これまでの事やこれからの事を考えるのに、誕生日というものはいい機会だ。
定年まであと13年。自分で仕事でも作り出さない限り、雇ってもらって働ける年数も考えてみればそんなに長くはない。以前は悠々自適の引退生活を考えていたのだが、今の調子で行くとどうやら悠々自適とは程遠くなりそうだ。    それでもまあこの国がしっかりしていればいいのだが、己の老後よりも何だか心配な状況である。

残りの人生はと考えると、あとどのくらいだろう。
親の年齢までとすると、最低あと27年。
敬愛していた祖父の年までだとあと42年。
いずれにしても、折り返し地点を越えた可能性は高い。
それまで出来るだけ働いて、遊んで、愛せたらいいのだが・・・

せっかく産んでもらったのに、この不肖の息子はあまり親孝行ではない。
自分の家族と親との関係を、いまだにうまく築けないでいる。
あちらを立てればこちらが立たず。七転八倒、試行錯誤の繰り返し。
出たと思ったらまたトンネル、かつての信越線碓氷峠のトンネルのようである。

両親も私が生まれた時には、どの親もそうであるように喜びと期待に溢れていただろう。
日一日と成長する姿を見て、いろいろな事を期待し夢想した事だろう。
人並みに学校を卒業し、就職し、結婚して子供もできたが、今の姿はだいぶ期待を裏切ってしまっていると自覚している。
それが今の私の大きな悩みの一つである。

48回目の誕生日までには、もう少し改善できているだろうか。
今よりも良き息子、良き父親、良き夫、良き友人、良き同僚、良き隣人になれているだろうか。これから一年、どう過ごしたらそうなれるだろうか。
そんな事を自問自答しながら過ごしていこうと思う。

「親の年までは頑張って健康に暮らしたいと思うから、良き手本となってほしい」
母親にはそんな内容の返信メールを出しておいた。
その通りにしたいと思うのである・・・



【本日の読書】
「この国を出よ」柳井正/大前研一
「なぜ日本人は落合博満が嫌いか?」テリー伊藤



    

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