2024年4月8日月曜日

存在感

 私が常日頃こだわっているのは、「自分の存在感」である。私がいるのといないのとではその組織において何が違うのか。「居ても居なくても同じ」では、私など無価値だと言うのに等しい。そこには自分的にこだわりを持っている。かつて「会議で発言しないのはいないのと同じ」と言われた事があるが、それも同じ理屈であると思う。発言するからこそ、その会議に出席している意味があるのであり、さらにその発言によって会議の結論にでも影響を及ぼすのなら、その「存在感」は増すというものである。

 自分がその組織に所属したことによって何が違うのか。かつて銀行の新人だった頃、先輩に「何でもいいから自分の足跡を残せ」と教えられた。その先輩は乱雑だった書庫を整理したそうである。新人だから大したことなどできるわけもない。だが、書庫の整理ならできる。その先輩は、書庫をきっちりと整理して支店のみんなから喜ばれたという。それも立派な「存在感」である。私も、さっそく担当を任された住宅金融公庫の申込書類を整理し、申込から貸付までの段階を顧客ごとに一覧できるようにして上司の感心を勝ち取った。

 以来、どこへ行ってもそれを常に心掛けている。新人であれば大した事ができるわけでもない。何をするにしてもハードルは低い。それが年次を経ればハードルは高くなる。今の私の年次で書庫の整理などしてもそれで存在感が増すかと言えば、ゼロではないがインパクトは薄いだろう(それでも整理して外部に借りていた倉庫を返して賃料削減には貢献したが・・・)。やはりそれなりのインパクトのある仕事をしないと周りに存在感は認めてもらえない。

 前職の不動産業の会社では、赤字に低迷していたところに取締役として入社し、赤字経営からの脱却に向けて徹底的に会社の仕組みを変えた。外注していた清掃業務を内製化し、私もハウスクリーニングを率先してやった。不動産の売買は厳格に利益管理し、主力の業務を賃貸業務に切り替えた。マンションの管理組合に参加してマンションの共用部分の工事を請け負った。仕事のない社員に営業を担当させ、私も同行してやり方を共に考えた。それらによって在籍していた6年半で赤字を一掃して最後の年は史上最高の黒字を計上してみせた。その後、社長に裏切られて社員もろとも追い出されたが、存在感は出せた。


 縁あって今の会社に入ったが、考え方は同じで、自分の存在感を出すためにいろいろやっている。転職フェアへの出展などは初めての試みで無事採用に繋げたし、M&Aで会社を購入するというのは業績に大きなインパクトを残せた。それまで社長自ら財務に深く関わっていたのを私がやることによってその負担をなくした。今では簡単な月次報告で満足していただいている。外部の株主との交渉も主導したし、新入社員の社内研修は今ではすべて私が企画している。役員だからこのくらいやって当然なのであるが、自分の「存在感」は出せていると思う。


 存在感にこだわるのは仕事だけではない。シニアラグビーにおいても然り。自分がチームに加わって良いのか悪いのか。チーム内では熾烈なポジション争いがあるわけではなく、試合ではみんなが出場できるように配慮がされている。しかし、「メンバーに入って欲しい」と思われるか否かはまた違う。私の場合は、幸いタックルが評価されている。チームメイトから体を張ったタックルで信頼感を得られており、たぶん「メンバーに入って欲しい」と思ってもらっている。それで自分の存在感を出せていると思う。


 先週、我が社も新入社員を迎えた。私も社内での研修を企画・主導した。その時にそんな「存在感」の話をした。「新人だから」と言わずに、何か小さな存在感を出すように心掛けて欲しいと伝えた。私が新人の頃、先輩の「足跡」の話に感化されたように、10人の新入社員の誰かの心に影響を及ぼせたなら、それもまた私の「存在感」とも言える。「居ても居なくても同じ」と言われるのは寂しいものである。それよりも「あの人が来て変わった」と思われるようになりたい。


 そんな風にこれからも自分の「存在感」にはこだわっていきたいと思うのである・・・


🌸♡💙♡🌸 Julita 🌸♡💙♡🌸によるPixabayからの画像


【本日の読書】

脳の闇(新潮新書) - 中野信子   成瀬は天下を取りにいく 「成瀬」シリーズ - 宮島未奈






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