2024年2月25日日曜日

大事なことはタックルから学んだ

 よく「大切なことは◯◯が教えてくれた」というような本を見かける(『人生で大切なことはすべてスラムダンクが教えてくれた』『人生で大切なことは手塚治虫が教えてくれた』等々)。それらはみんな真実だと思うが、人は誰でも何かを一生懸命やっていると自然とそこから学びを得られたりするものだと思う。それが例え「スラムダンク」であろうと、であろうとであろうと学べるものなのだということなのだろうと思う。そんな自分にも何かあるだろうかと考えてみると、一つにはやはりラグビーである。特に象徴的なのはタックルだろう。

 タックルはラグビーを象徴するプレーである。他の球技では基本的に人と人の接触はないように行われる。同じフットボールでもサッカーのタックルは「ボールを奪う行為」であり、せいぜい相手選手の肩に自分の肩を当てる程度である。バスケットボールも野球もボールを持っている相手を倒すような行為は反則である。激しくぶつかり合うという意味ではアメフトも同様であるが、ボールを持ってゴールへと向かう相手を体を張って止めるというところはラグビーの大きな特徴である。

 同じぶつかり合いではあるものの、ボールを持っている攻撃側は実はほとんど抵抗感がない。しかし、ディフェンス側のそれをタックルする方は抵抗感が大きい。私も高校でラグビーを始めた頃、ボールを持って相手に当たる行為は大好きであったが、タックルの練習は嫌でたまらなかった。なぜだろうかと考えてみると、主導権は攻撃側にあり、タックルする方はそれを「受ける」という形になるからだろうと思う。走り込んでくる相手に向かっていくのは勇気のいる行為である。

 私も高校時代は自分は攻撃型のプレーヤーだと思っていて、タックルには苦手意識しかなかった。しかし、大学に進みポジション争いが激しくなるとそんなことは言っていられない。タックルのできない選手が試合になど出られるわけがない。否が応でも練習せざるを得なくなった。練習を繰り返せば考える。「どうすれば倒せるか」、「どうすれば痛くないか」。教えられたことを試し、一流選手の試合を見て参考とし、自分でもいろいろと考える。そうするうちに自分なりのスタイルが出来上がり、いつしか苦手意識は無くなっていった。

 タックルで一番大切なのはなんと言っても「ハート」だろう。アドレナリン全開で「相手をぶっ倒す」と相手に向かっていく「ハート」である。これがないといくらテクニックを学んでもダメである。逆にテクニックなどなくても「ハート」があれば相手を倒せる。そこで大事なのは、あくまでも「ハート」であり、言い換えれば「怯まない心」とでも言えるかもしれない。ラグビーはぶつかり合いであり、体格差の影響が大きい。しかし、体格で負けてもハートで負けなければ大丈夫である。

 今のシニアチームに入ってまもない頃、試合で突進してきた相手にタックルに行き、見事に吹っ飛ばされたことがある。走ってきた相手の勢いと体重差ともあって正面から行っても跳ね飛ばされたのである。しかし、試合後、まだ話したことのなかったチームメイトから「ナイスタックル!」と声をかけられた。相手に吹っ飛ばされたのに「なんで?」という疑問が湧いたが、勢いと体重差で負けたのは仕方ないが、正面から止めに行った姿勢を評価してくれたのである。「体を張って止めにいく姿はチームメイトに勇気を与える」とも言ってくれた。意識はしていなかったが、そういう風に取ってもらったのは嬉しいことであった。

 そこは自分としても大事にしている。タックルに行って負けるのは仕方ない。しかし、大事なのは「怯まずタックルに行けたか」である。胸を張ってそう言えるなら、結果は仕方ない。また次頑張ればいいのである。その「怯まない心」は仕事でも私生活でも自分の基本になっていると思う。仕事でも自分の意見を言う時、上司であっても怯まずに自分の意見を言える根底には「怯まない心」があるように思う。電車の中で理不尽な言い掛かりをつけられた時も然りである。

 そうした「怯まぬ心」は、自分の考え方や行動における大事な基本になっていると思う。結果を気にしてあれこれ悩み惑うことは、私の場合それほどない。「ここは自分としてこうする」と決めたら怯まないでいられるのは、考えてみればタックルで培った精神なのかもしれない。他人から見たら大した事はないかもしれないが、そんな風に思うのである・・・

Patrick CaseによるPixabayからの画像


【今週の読書】

イーロン・マスク 上 (文春e-book) - ウォルター・アイザックソン, 井口 耕二 教誨 - 柚月裕子








0 件のコメント:

コメントを投稿