2024年2月14日水曜日

責任感

 このところ、上司としてのあり方について考えさせられている。とあるプロジェクトでかねてから問題が生じており、抜本的な解決策をプロジェクトリーダーに指示をした。彼は課長職にあり、いわゆる管理職である。それまでの自分のやり方を否定され、感情的にもなり、挙句に「辞める」と言い出した。そのプロジェクトは彼を中心に回っており、いきなり抜ければプロジェクトそのものの進行が不可能となり、顧客にも迷惑をかけ会社も大打撃を受ける。にもかかわらず、引継ぎもせず「明日辞める」となったのである。最終的には思い留まったが、彼に対する信頼はなくなった。

 別の課では、若手数人がとあるプロジェクトに入っていた。ところが進捗が捗々しくなく、納期遅れの可能性が出てきた。顧客からもやんわりとクレームが入った。上司である部長は、問題に対して自ら動こうとせず、私が直接対応するべきではないかと告げたところ、「私がやるんですか?」と答え、私は絶句した。本人としては、入っても内容がわからないので何もできないという気持ちがあったのだろうが、であればできる人間を入れて立て直すなどの対応はあるはず。とりもなおさず顧客に対しては「自分が責任をもって対処する」と言い切るくらいはしてほしいところであった。

 2人に対して感じたのは、「責任感」という事である。課長職以上は「管理職」であり、社員ではあるが、経営側の人間である。残業をしても残業手当が支給されないのは、評価が「働いた時間」ではなく、「成果」でなされるからである。当然、給料もその分高い。求められるのは「成果」であり、「頑張ったこと」ではない。頑張ったこと事態は否定しないが、成果が出ていない以上、それを謙虚に認め、改善する努力をしなければならない。努力は「正しい努力」をするべきであり、そうでない努力を認めてほしいというのは難しい。

 また、トラブルが生じた際、真っ先に火消しにあたるのは管理職の重要な役割である。その昔、銀行員時代の事であるが、店頭でお客さんが怒り出すといつの間にかどこかへ行ってしまう課長さんがいたが、それは極端としても、いざという時に頼りにならない上司は部下から尊敬はされない。自ら前に出て対応するか、部下に経験としてそれをやらせるなら、後ろにいていつでも助けるという安心感を与えないといけない。「自ら前に出る」というスタンスこそが、管理職に必要な責任感ではないかと思う。

 先日観た映画『シャイロックの子供たち』という映画で、舞台となった銀行の支店で、副支店長が行員に檄を飛ばすシーンが出てくる。目標達成が危ぶまれる中で、部下たちに向かって「何とかしろ!」と怒鳴るのである。しかし、何とかなるものであればとっくに何とかなっているわけである。怒鳴ったところで何とかなるわけではない。必要なのは「何とかする方法」であり、檄を飛ばす前に「こうしたらどうか」という指導である。あるいは「こういう事はできないか」というヒントの提示である。そういう提示があれば、部下も具体的に動ける。

 怒鳴る事であれば小学生でもできる。映画に出てきた副支店長は、したがって小学生レベルなのである。肩書を持っているのであれば、「さすが」と部下に思わせるような事を示さないといけない。そういう指導をして、それでもできなかったのであれば、それは自分の責任である。それが責任というものである。それで評価が下がるのであれば、黙って受け入れるしかない。しかし、そういうスタンスは周りに自分に対する「信頼感」を植え付ける。そういう確たるスタンスを示す者は、何より信頼されるのだと思う。

 「私がやるんですか?」と言った管理職も、「私がやります!」と言えば、経営陣も安心して任せたであろう。もちろん、1人にすべて任せて終わりというものではなく、社内のリソースを可能な限り利用できるようサポートはするであろう。「任せる」とは、結果が出るまで見守る事を意味する。結果が出なければ任せた者の責任であり、任された者の責任ではない。しかし、それで任された者が結果を出せばそれがまた信頼感の上乗せとなる。「安心して仕事を任せられる者」という評価を得られるのである。

 そうした責任感はどうしたら醸成できるのであろうか。当面は、自らそれを教え諭していくしかないのかもしれないと思う。嘆いていても始まらない。言葉だけではなく、自ら背中でも示していきたいと思うのである・・・



【本日の読書】

ゴーイング・ダーク - ユリア・エブナー, 西川美樹, 木澤佐登志 魔女と過ごした七日間 - 東野 圭吾









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