2024年4月15日月曜日

休みの日に考える

 週末はだいたい同じように過ごす。土日どちらか1日はシニアラグビーの練習に行き、どちらかは実家へ行って家事をこなす。本当は家でのんびりしていたいところであるが、どちらも好きでやっているので致し方ない。忙しく過ごしているようであるが、移動中はいろいろな事を考えたりする。主なものは、仕事とラグビーである。仕事については気になっている事であり、ラグビーについては試合中のプレーについてのあれこれである。「この前のあのプレーはああすれば良かった」とか、「こういうシチュエーションではこんなプレーをしてみよう」など妄想は限りない。

 仕事について考えていると、そう言えば昔、支えた支店長に「休みであっても仕事の事が頭に浮かぶようでなければダメだ」と言われたのを思い出す。「仕事の報酬は仕事だぞ」とか、最終的に結婚式の仲人までしていただいたその支店長にはいろいろとご指導いただいた。しかしながら、当時の私にはそのご指導を受け入れる心構えができていなくて、「休みの日にまで仕事の事なんか考えていられるか」、「そんな報酬いらねぇよ」と心の中で毒づいていたのである。今となっては、誠に恥ずかしい限りである。

 と言っても、その後の人生で仕事人間になったというわけではない。基本的な考え方は変わっていない。休みの日には仕事よりプライベートが大事であり、仕事は生きるためにしているのであって、仕事のために生きているわけではない。ただ自然と気になって、気づくと考えてしまっているというだけである。ラグビーのプレーに関する妄想と同じである。この週末は、週明けの会議で役員間で認識の相違がある問題について、どう説明しようかとあれこれ考えていた。説明の仕方によっては相互理解が遠のくと思う問題である。

 それは売り上げ目標の考え方によるもの。現場を担当する役員は、役員会で業績報告をするのだが、説明を聞いても目標を達成できるのかどうかわからないのである。よくよく分析したところ、その原因がようやくわかったのである。経営計画で立てた数値目標は、いわる「成り行きベース」の計画よりも高い。成り行きベースで頑張っても計画は達成できない。計画と成り行きベースとのギャップを「経営陣」が考えて埋めていかないといけない。ところがその役員は現場の各プロジェクトの報告を事細かにしてくれるのだが、「計画との差異」についてはそれが及ばない。大事なのは「その差異をどう埋めるか」である。それを議論しないといけないのに、そこが抜け落ちてしまっている。それをどう説明するかとあれこれ考えていたのである。

 人の心を占めるものは人それぞれである。その時々で気になる事が、優先的に脳内を占拠する。それが趣味であったり、仕事であったり、気になる女性であったりするわけである。仕事人間ではないと言いつつも、仕事の事が脳内を占めるという事は、それだけ仕事の事を気にしているという事になる。それ自体、否定するつもりはなく、事実その通りであると思う。ただ、休みの日にまで仕事の事が脳裏を離れないと言うと、仕事中毒なのかという気がしなくもないが、結局、自分がやっている事をなんとかうまくやろうとすればあれこれ考えるだろうというものである。そこに仕事も趣味も違いはない。

 そう考えてみると、客観的に「仕事が趣味」になっているのではないかという気もするが、突き詰めて考えると、「趣味とは何か」という事にもなる。「好きでやっている事」と言えばその通りであるが、仕事は「好きでやっている」というより、「やっている事を好きになっている」という方が正しい。詭弁のようではあるが、「楽しみながらやっている」のは間違いない。だから気になる事が脳裏をかすめるのであろう。ただし、前向きの事であればそれほど考えても苦にならないのは確かであるが、苦しいのは悩みの場合だろう。

 過去に何度かそういう事があった。前職では社長に頼られて会社の代表権を持つことになった。肩書は「代表取締役副社長」である。ところが、代表権を持った途端、会社の借り入れに保証を入れるように要求された。銀行ではなく、東京信用保証協会である。公的機関なのにと思いつつも、会社にとって必要な借入だったので判を押した。ところがさすがにその時は悩んだ。保証といっても金額は7,000万円であり、とても個人で返せるものではない。万が一の時には家も含めて財産を失う事になる。自分で立ち上げた会社ならまだしも、請われて入った会社にそこまでする義務はない・・・

 どうしようか悩みに悩んだが、その間は寝ている間も夢に見て目が覚めた事もあった。銀行員時代にもあるトラブルから眠れないほどの苦悩に襲われた事があったが、同じ仕事の考えであっても、夜中に目覚めるほど悩むようなものはやはり避けたい。趣味の分野ではそんなことはないが、そこがやっぱり仕事と趣味との大きな違いなのであろう。夜中にうなされるが如く目覚めて寝られなくなるのと比べれば、あれこれ楽しんで考え事をするならいいと思う。それが仕事の事であっても、その過ぎゆく時は幸いである。週末にあれこれ考えるのであれば、たとえ仕事であっても心穏やかに考えられることであれば良しとしたいと思うのである・・・

PexelsによるPixabayからの画像


    【本日の読書】
脳の闇(新潮新書) - 中野信子  三体 (ハヤカワ文庫SF) - 劉 慈欣, 大森 望, 光吉 さくら, ワン チャイ, 立原 透耶






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