2024年4月5日金曜日

息子との会話

 先週末、私の実家へ息子を連れて行った。受験を理由に正月も行かなかったので、合格の報告を兼ねて連れて行ったのである。両親ともども孫の大学合格を喜んでくれ、少ない年金から合格祝いまで出してくれた。私としてもいい親孝行ができたなと喜ばしく思う。そして、いい息子を持ったとも。何より良かったのは、往復の車中。2人っきりで車中、いろいろな話をした。一緒に住んでいるとは言え、家では普段あまりじっくりと話すこともない。それが今回ばかりはゆっくりと話ができたのである。

 大学に入って何をすべきか、何をしたいか。大学は高校と違って11人の学生の面倒を見てくれない。「4年間で◯単位取れば学位を与える」と言うだけである。サボっても怒られることはない。ただ、単位を取らなければ学位がもらえない(=卒業できない)だけである。ゆえにすべて自分次第である。私の学生時代は、「いかに授業に出ないで単位を取るか」をみんな考えていた。みんなそうして平均週5コマ(1コマ90分)くらいしか授業に出ていなかったところ、私は12コマ出ていた。勉強したかったのである。

 息子がどんな考えを持っているかはわからないが、4年間どう過ごすかはすべて自分次第。いい加減に過ごすのも、いろいろチャレンジするのも自分次第。後から「あの時◯◯しておけば良かった」と後悔しない様、スタートに立っている今こそよく考えてごらんと息子には語った。何より自分の人生である。勉強して合格を勝ち取った自分の大学である。私からは「勉強しろ」とは言わなかった。勉強は人から言われてするものではない。学費は出すので、勉強をする環境は与えられる。あとはそれをどうするかは自分次第である。

 私も自分の大学時代を振り返って後悔はない。あえて言うなら、14コマ、15コマ出たかったということくらいだろうか。しかし、時間は限られているし、勉強だけが学生生活でもない。できる限りのことはやったので、後悔はない。もう一度学生時代に戻りたいかと問われれば、「戻りたい」というよりも、いろいろな経験を積んだ今、「改めて大学で学んでみたい」という表現が正確かもしれない。まだできる可能性もある話だし、将来の楽しみとしてそんな選択肢も取っておきたいと思う。

 息子は第二外国語の選択でスペイン語を選んだと言う。意外な感じもした。私はと聞かれ、「ロシア語」と答えた。なぜと問う息子に、天邪鬼な性格ゆえと答えたが、当時はドイツ語かフランス語かという雰囲気で、最もマイナーな言語を選んだのである。もっとも、第二外国語の選択肢は中国語を加えて4つしかなかったので、息子の大学の方が選択肢は広い。自由に選んでいいと言われていたら、間違いなく選んだのはアラビア語である。これは今でも変わらぬ気持ちである。これもいずれ学んでみようかと思う。

 息子とそんな会話を交わしながらの車中は楽しいひと時。「海外留学も考えてみたらどうか」という私の意見に「そうしたい」と力強く答える息子。私もそういう気持ちがなかったわけではないが、そこまで深く考えずに終えてしまったところ。息子にはいろいろと経験させたいと思う(お金、大丈夫かなという不安はある)。自分がこれから迎えるわけではないのに、息子の4年間を想像すると楽しい気分になる。大学どころか高校にすら行けなかった我が父。今は孫がいろいろな可能性を秘めて大学の門を潜った。父の苦労も実を結んだと言える。

 翻って、会社では新入社員10名を迎えた。自ら企画した社内研修で、これから本格的に社会人として自立していく新人に、自らの思いも加えて話をした。10年後に「あの時に戻ってやり直したい」という事のないように。もしかしたら未来の自分が後悔の念を今の自分に送っているかもしれない。エンジニアは技術職。自らの技術を磨けよと伝えた。どれだけ伝わったであろうか。少しでも多く、伝わったのであればやった甲斐もあろうかというものである。

 いずれにせよ、これからの希望に満ちた若者と話をすることは、自分にとっていい刺激である。自分も人生が終わりではない。まだ先の道のりはある。若者たちに負けないよう、そして後に若者たちの参考になるようなものが残るように、切磋琢磨を続けたいと思うのである・・・

 

paula bassiによるPixabayからの画像

 

【本日の読書】

安倍晋三黙示録 『安倍晋三 回顧録』をどう読むべきか - 西村幸祐 成瀬は天下を取りにいく 「成瀬」シリーズ - 宮島未奈





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