2022年12月30日金曜日

2022年末雑感

 いよいよ年末である。毎年のことながら1年が経つのは早い。昨年は突然失職するという激動に見舞われたが、縁あって転職した先がシステム開発会社。システム開発のことなど皆目わからないが、財務は共通。全社的な視点であれこれと意見具申していたら、社長にも認められ、役員にしていただいた。結果的に見れば年収も上がったし、仕事の範囲も大きく広がった。あのまま前職に留まるよりも良かったと思う。人間、何が幸いするかわからないものである。

 今年予想外だったのは、前職の社長との裁判だろう。前職で設立した別会社を合法的に貰い受けたが、それが気に入らなかったらしく、突然の提訴。思いもかけぬ裁判所通いとなった。弁護士にも相談したが、基本的に依頼せず自分でこなしたのはいい経験である。まだ、3回目の裁判となる見込みだが、どうなるのかは神のみぞ知る世界。こちらからの反撃はタイミング待ち。相手の動き次第のところがある。焦らず、相手の動きに合わせて臨機応変に対応するしかない。いずれにせよ、来年には決着をつけたいものである。

 もう一つの想定外は弟の詐欺被害だろう。フィリピンの不動産を巡ってのもの。あれよあれよという間に何千万円。両親共々見事に巻き込まれてしまった。退職の際、関連会社を手に入れてその流れで手にしたお金をすべて弟に貸してしまった。自分だったら絶対に引っかからないが、弟が引っかかるというパターンは予想していなかった。「おかしい」と思っても、頼まれれば断りきれずというものだが、兄弟の関係が悪くなっても断るべきだったかと思わなくもないが、難しい。

 ラグビーは、とうとう最後の2試合を怪我で欠場した。他のところならごまかしながらやれると思うが、膝だとそもそも走れないのでごまかせない。練習も休んでいるが、治りは悪い。昔はこんなことはなかったと思うが、これが老化なのだろうかと思ってみたりする。忘年会ではタックルを褒められ、チームメイトからはかなり信頼されていると感じて嬉しく思った。体を張ったタックルはチームメイトからの信頼を得るのに大きな役割を果たすが、一方で体のダメージが大きいのも確か。いつまで自分のタックルができるのだろうかと思ってみる。

 また、年末になって義母が突然亡くなった。義父が帰宅したら風呂で亡くなっていたという。死因はヒートショックらしい。最近は認知症の症状も出ていたというが、83歳という年齢は早いと言えば早い。されど、施設に入り、会いにきた子供の顔もわからなくなってまで長生きするのがいいのかどうかは難しい。そういう意味では、祖母よりも若かったが、まだ自宅で普通に暮らしていたので「人間の残骸」のような姿を見せることなく逝ったことになる。自分はどこまで人として生きていけるだろうか、などと思わず考えてしまう。

 今年は年間を通じて週末は実家へ行って、両親のために簡単な掃除と料理をするという生活を送った。週末の2日を1日はラグビー、もう1日は実家とで、それ以外の趣味に充てる自分の時間をあまり持てなかったが、両親と過ごす時間も今だけであり、これも仕方ない。よく「孝行したいときに親はなし」というが、自分にはまだ両親はいるので今のうちに一緒の時間を多く取りたいと考えている。少なくとも「もう少し〜していれば」という後悔はしないようにしたいと思う。

 あと2日でまた新しい年がはじまる。来年もまた想定外のことがいろいろと起こるだろう。今年から持ち越した問題も何らかの決着がつくだろう。どんなものか早く知りたい気もするが、知ってしまったらがっかりするか楽しみに思うか。それは人それぞれであるが、自分としては来年の年末雑感を先に読みたいと思う。悪いことにはあらかじめ覚悟ができるし、良いことは楽しみができる。先に何があるかわからないことから「不安」が生じる。何があるかわかれば「不安」は生じない。自分としては「不安」を回避したいと思うようになっている。

 今年は同世代の友人が2人亡くなった。自分もそういう年代に入ってきている。「より長く」も大事だが、「より良く」も大事にしたい。少なくとも人に恨まれるようなものにはしたくない。前社長のような恥ずべき行為はもちろんしたくない。そういう「芯」は維持して、良い年を迎えたいと思うのである・・・

Ursula Di ChitoによるPixabayからの画像 


【今週の読書】

 





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