2022年12月18日日曜日

防衛費増額議論に思う

「継戦能力」予算を倍増 防衛3文書、装備品整備に9兆円

20221210 2:00 

政府は国家安全保障戦略などの防衛3文書で自衛隊の「継戦能力」に関する予算の倍増を盛り込む。202327年度までの5年間で、定期的に防衛装備品を点検し老朽化した部品を取り換えるといった維持整備費に9兆円、弾薬補充に2兆円を充てる。装備品をいつでも使える状態に保って稼働率を上げ、継戦能力を高める。相手のミサイル発射拠点をたたく「反撃能力」の手段となる長射程ミサイルには5兆円を確保する。防衛力整備費用は5年間の総額を現行計画の1.5倍にあたる43兆円に増やす。

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 最近、我が国の防衛力を巡ってのニュースが目につくようになった。特に「継戦能力」なるものが際だってきたと感じていたら、とうとう「防衛費増強」という名目で、しかも財源は増税でということも新聞に出るようになった。新聞に出るというのは、ある程度政府が意図的に流しているからなのだろうと思う。日本には記者クラブというのがあって、そこでクラブに加盟している記者が政府から情報を得て報道しているというし、という事は政府が国民に伝えようという意思表示なのであろうと思う。


 何となく唐突感はあるが、そうではないと思う。水面下で問題が生じ、どうにも予算は増やさねばいけないということになり、とは言え財源は確保しにくいし、増税は国民の理解を得にくい。という中でどうするかというと、最初は関係のないところから小出しに出していって少しずつ問題に触れさせ、徐々に増税のムードを作り上げておいて満を持して「増税が必要」という議論に持っていこうというものではないかと思う。「嘘も100回つけば本当になる」と言われるが、「必要だ」と繰り返せば何となく必要感が醸成される。そこが狙いなのだろうと思う。


 そもそも防衛費なんて必要なのかと考えると、残念ながら今の人類のレベルでは必要なのだろう。本来は争いなどせず、平和的にやれば万事うまく行くと思う。されど人類の歴史は戦争の歴史。今もウクライナでは戦火が炎上中で、その影響が為替や物価に及んでいる。我が国も台湾危機に備えて、各企業が中国からの調達シフトを進めており、それは少なからず調達額の増加=利益の圧迫につながっているという。互いに譲り合える世界なら物価高などとは無縁に暮らせるのにと思わざるを得ない。


 もともと人間には欲があって、「もっともっと」というのは人間の本能に近いと思う。それ自体悪いとは思わないが、そこに「自分だけ」が加わると、他人を排除しようということになる。「自分だけは」がやがて「自分の家族だけは」になり、「自分の住む地域だけは」、「自分の住む国だけは」となるのだろう。それが領土を巡っての争いとなる。それが高じれば戦争となる。そういう歴史を繰り返してきて、ようやく戦争は少なくなったが、それが人類が賢くなった証かと言えばさにあらず。結局は、「抑止力」でようやく均衡を保つ世界となっている状況である。


 「抑止力」に頼らざるを得ないというのも本来情けない話ではある。「抑止力」は非常に危うい。「あいつはケンカが強そうだ」と思えば人はケンカを避けようとする。しかし、勝てると思えばケンカも辞さない態度になる。ケンカを避けるためにはケンカに強くならなければならないというおかしな世界になる。相手がケンカに強くなろうと武術を習い始めたと聞けばこちらも対抗して習い始めなければならない。なぜなら、相手が強くなってこちらに勝てると思われたらケンカを売られるかもしれない。それが国家レベルになると軍拡競争になる。


 防衛費の増強については、ついに「反撃能力=敵基地攻撃能力」を保有するという宣言が日本政府によってなされた。これまでは「殴られたら殴り返す」としていたのを「殴られそうになったら殴られる前に殴る」と改めたわけである。軍事的な事はわからないが、背景には兵器の性能が上がってきた事があるように思う。「殴られたら殴り返す」と言っていても、一発でノックアウトされたら意味はない。北朝鮮が核ミサイルを発射しようとしていたら、「殴られるまで待て」は果たして正解なのかと問われたら、反対派の人は何と答えるのだろうか。

 

 しかし、かと言って怖いのはそれが拡大解釈される事。「大量破壊兵器を隠している」と言いがかりをつけて、自分たちの意にそぐわない政権を先制攻撃によって倒してしまった大国の例もある。力は正しく使ってこそであるが、正しく使える人が常にその地位にあるかどうかの保証は何もない。議論をすることはいい事だと思うが、何となくもう結論が出ていることに対して、増税のムード作りのためになされているような気がしてならない。そして本来、そういう議論にもっと国民全体が関心を持つべきだと思うが、そうではないところが残念なところ。


 また、議論が盛り上がるとしても、我が国はマスコミの報道に一方的に流されるところがあって、それもまた怖いところがある。この先どうなるのだろうか。せめて自分はしっかりと関心を持って成り行きを見守りたいと思うのである・・・

 

Mike CookによるPixabayからの画像 


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