2020年11月8日日曜日

LGBTに思う

 今、『Auオードリー・タン-天才IT相7つの顔-』という本を読んでいる。オードリー・タンは、2016年に35歳で台湾のIT大臣となった人物で、今回のコロナ禍において、台湾はいち早く封じ込めに成功したが、その一部陣頭指揮を取ったことでも注目を浴びた人物である。その人となり、および青少年時代の天才振り(IQは180だそうである)は、確かにただ者ではない。しかしながら、個人的に興味深かったのは、「トランスジェンダーである」というところである。

 オードリー・タンは、生まれた時は男であったそうであるが、今現在は女性として公式に活動しているとのこと。昨今、LGBTという言葉が市民権を得ており、すっかり違和感はなくなっている。体は男だが心は女。体は女だが心は男。そんなことを言われても、ピンと来ない。また、男なのに男が好き、女なのに女が好きというのも同様(と言っても「女が好き」という部分は理解できる)。最近は、LGBTだけではなく、もっと細かく分類できるようであるが、もう訳がわからない。

 私が若い頃、まだLGBTが市民権を得ていない頃は、「男は男らしく、女は女らしく」というのがもっと当たり前で、ナヨナヨしている男などは一段下に見られる傾向があった。「女の腐ったような奴」というのは、男に対する侮蔑言葉であったし、大人しくて声の小さい男子は、「シャキッとせんか!」と体育の先生に喝を入れられるイメージであった。もちろん、「体は男だが心は女で恋愛対象は男」というトランスジェンダーは「気持ち悪い」というのが当たり前の時代であった。

 かつてアル・パチーノ主演の映画『クルージング』というのがあって、この映画はゲイがテーマになっていた。ゲイとは「心も体も男だが恋愛対象も男」というタイプで、自らの体を鍛えた黒革レザーのマッチョの男たちが力強い口づけを交わすというイメージがある。映画『クルージング』では、ニューヨークのゲイ・エリアが背景に描かれていて、男ばかりのバーの中に黒いタンクトップ姿の主人公が入って行くのだが、店内の雰囲気が実にショッキングだったのを覚えている。

 その後、エイズが蔓延し、しかも同性愛の人たちが多く罹患したことから、一種の天罰的な風潮が流れた。ソドムとゴモラではないが、道徳に反することをやっているからそうなるのだと。今から思えばそれもエイズに対する理解不足があったからであるが、少なくとも社会の同性愛に対する批判的な雰囲気が後押ししたのは間違いがない。今、仮に同性愛者間で何らかの疫病が流行ったとしても、もっと冷静に受け止められるだろうという気がする。

 自分は極めてノーマルで、「男は男らしく、女は女らしく」という考え方を持っているが、その「男らしく」というのも考えようによっては怪しいものである。例えば我々のイメージする「男らしく」と、アフリカのどこかの種族のそれとは必ずしも一致していない。その種族は戦いの前に顔にペイントするかもしれないし、アメリカのインディアンも顔にペイントする。それは女性の化粧と目的こそ違えど変わらないだろう。つまり「らしく」というのは、文化的社会的に決まってくるもので、人間が生まれながらに備えたものではない。

 昨今は、男も毛深いのが嫌われるからと言って「お手入れ」する男も多いようだが、これとて私の感覚からいけば蹴りを入れたい部類である。松本零士の漫画『キャプテン・ハーロック』には、長い間の平和ボケで、戦うことを忘れ、化粧をしハイヒールを履く男たちを嘆くシーンがある。それもSFの世界というより現実味を帯びてきているが、それに違和感を抱くことが、もう違和感を持たれる対象になっていくのかもしれない。男女がデートで化粧品屋に寄ってお揃いのファウンデーションを選ぶのもおかしくない時代になっていくのかもしれない。

 そうなると、「男は男らしく」などと主張していると、頭の古いジジイといつか言われてしまうのかもしれない。今の流れからいけば、個人の価値観は変化していくものであり、男だから女だからという感覚は捨てなければならなくなるのかもしれない。体は男だが心は女という人が、体は女だが心は男という人と結婚して、しかし生殖機能は変えずに子供をもうけたら、「男が子供を産む」ことも現実となる。

 あるいはノーマルな男が好きになった女が、実はトランスジェンダーのゲイで、たまたまお互いの趣向が一致して同性婚で結婚して子供を産んでも同じである。生まれた子供からすれば、「僕のお母さんは(法律上は)男」となるわけである。そんな組み合わせを考えていったら暇なんかいくらあっても足りない気がする。なんだかややこしい世の中になっていくのだろうか。

 LGBTの人たちが差別されずに堂々と生きていけるような社会を作ることは大事なことだろう。私もノーマルを捨てる気はまったくないが、少なくともLGBTの人たちを認めることには抵抗はない。とは言え、自分としては自分の思う「男らしさ」をいつまでも追求し、女性の胸とお尻に魅力を感じる心をいつまでも持ち続けたいと思うのである・・・


mikaelthunbergによるPixabayからの画像 

【今週の読書】
   



0 件のコメント:

コメントを投稿