2020年11月11日水曜日

創意工夫が大事だ

 仕事ができるとはどういうことかについてはいろいろあると思うが、できる人には何が必要かということについては持論がある。それは「考え方」「情熱」「創意工夫」である。仕事に対する「考え方」はあらゆるものの基本であるし、壁に行き当たった時に突破していく気持ちを奮い立たせるのは何よりも「情熱」だし、ただ闇雲に猪突猛進するのではなく、「どうしたらできるのだろうか」という「創意工夫」がなくてもダメだろう。それが仕事における三種の神器だと思っている。

 その中の「創意工夫」については、できない人が意外にも多いのだとこの頃感じさせる。その昔、初めて部下を持った時は、とにかく「どうしたらできるか考えなさい」といつも言っていた。すぐに「無理です」というのが得意な部下だったということもあるが、「なぜできないのか」、「どうしたらできるのか」、それを考えればすべてできるとは言わないが、かなりできるのではないか。そんな風に思えて、なんども指導したのである(ダメだったけど・・・)。

 たとえばここ何年も宅建の試験を受け続けている人がいる。私は2年目で合格したが、1年目に不合格となった時、なぜ合格できなかったのか、合格するまでにはあと何点取ればいいのか、何を間違えたのか、次はどんな勉強をすればいいのか、そうしたことを諸々考え、2年目は1年目の足りなかった部分を補って受験した。当然、1年目よりパワーアップしているわけで、2年目では合格した。同様にもうちょっと難しいマンション管理士は3年目で合格した。

 それは試験だけではなく、スポーツなどでも同じである。負けたのならそれはなぜ負けたのか。何が足りなくて、それはどう補えばいいのか、そのためには何を鍛えればいいのか。そうして2回目に戦う時は、1回目よりもパワーアップしているはずで、したがって勝てる可能性は高くなる(ただし、相手も努力しているから結果はわからない)。そういう「創意工夫」は、仕事では当たり前だと思ってきたし、自分でもあれこれいろいろと考えている。

 しかしながら、何年も宅建を受け続けている知人は、そうした創意工夫の形跡が見られない。同じようなことを同じように繰り返しているのだろうと思うが、したがって同じ結果にしかならない。何年も受け続ける根性は大したものだと思うが、何の創意工夫もなくただ受け続けて落ち続けているのは、まったく脳がないとしか言いようがない。仕事でも日常のルーティンを淡々とこなし続けているだけで、何の工夫も変化もないというのはこの手のタイプであるように思う。

 これが「手抜き」なら、話は別で、「どうやったら楽できるか」という工夫は割とするのかもしれない。個人的にはそれも創意工夫であり、悪いことではないとむしろ肯定的に思う。手抜きを責めるよりも創意工夫を褒める気持ちの方が強いのは、それが応用できればそれに越したことはないと思うからである。ただ、やはり何らかの目標があって、それを突破するような創意工夫が望ましいことは言うまでもない。目標でなくても困難な壁でもいいと思う。

 個人的にはそれは特段難しいことではなく、当たり前の思考パターンだと思う。したがって、「できない」と言って終わってしまう人のことはよく理解できない。前述の部下も「もう無理です」と言うだけで、それ以上の努力をしようとはしなかった。代わりにやってみせても、私だからできるのであって自分には無理という考え方であった(ここでも「考え方」が重要な所以である)。

 「できない」と思えばできないし、「できるのではないか」と「考え」ればできるかもしれない。こうやったらどうだろうかとか、あるいは誰かに知恵を借りに行くのでも良いかもしれない。とにかく、「どうしたらできるだろうか」と考え続ければ道は開ける可能性がある。年齢的に覚えられなくなってきているならどうやったら覚えられるかを工夫すればいい。1時間かかるならかければいいし、1時間でダメだったら2時間かけてみてもいい。そういう工夫はいくらでも出てくると思う。

 そういう工夫をせずに、「ダメでした」、「できません」、「仕方ないです」と悪びれるでもなく、また同じことを繰り返すのは、私的には信じ難い愚行である。同業者でも10年近く宅建の試験を受けているのに受からないという人の話はよく聞く。そういう人の仕事ぶりは、見なくても想像できてしまう。人は人でそれぞれの考え方があって、仕事よりも大事なものがあって、仕事は片手間でそんなことまでやっていられないという「考え方」なのかもしれない。それを否定するつもりはないが、自分としてはただ冷ややかに見るだけである。

 人の事はともかく、自分としては、仕事であれシニアのラグビーであれ、自分で熱意をもってやることに関しては、きちんとやりたい。お金をもらうならそれなりに責任を果たしたい。「できない奴」とは言われたくない。そのためにも、これからも創意工夫し続ける人間でありたいと思うのである・・・


TumisuによるPixabayからの画像 

【本日の読書】
 




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