2020年11月4日水曜日

大阪都構想雑感

 先日、大阪で「大阪都構想」を巡る住民投票があり、僅差で反対派が勝利した。都民としては、よその家の出来事であり、どうこうということはない。嬉しくもないし残念でもない。大阪府民のみなさんの判断なのでどうこう言うつもりもない。ただ、新聞ではメリットばかりが報じられていたので、なんで反対なのかがよくわからない。僅差ということは、一長一短だったのだろうと思うが、マスコミにはもう少し反対の声の内容を伝えてほしかったとだけは思うところである。

 報道によれば、都構想を行う目的は2つあり、1つは大阪府・市の二重行政を解消して大阪が成長する土台をつくること、もう1つは行政を細分化することで、きめ細かな住民サービスを拡充することだという。それだけ聞けばメリットの方が大きそうで、なんで反対の人がいるのかよくわからない。投票に行くのは高齢者が多いだろうが、高齢者は得てしてよくわからないものに対しては否定的に反応する傾向があるから、もしかしたらそういう理由なのかもしれない。

 また、総論賛成各論反対的なところもあるもしれない。つまり、大阪全体としてはいいが、自分には不利益があるから反対ということである。そこで思い出すのが、私が銀行員時代のこと。時間外勤務の削減ということがずっと言われていた。銀行全体としては、時間外勤務は人件費となり経費である。より多くの収益を上げるためには経費の削減が必要であり、したがって時間外勤務を抑制し経費を抑えようという目論見である。だが、ずっと言われていたということは、掛け声に関わらずうまくいっていなかったのだろうと思う。それは当然かもしれない。

 そもそも、銀行全体としては「費用」であっても、従業員個々人にとっては給与であり「収益」である。当然、「より多く」という考えが働く。「より少なく」と考える「費用」とは違う。なんで努力して減らそうとする者がいるだろうか。もちろん、私もそう考える1人であった。そもそも銀行員は多忙であり、仕事はいくらでもある。1時間の仕事を2時間かけてやる公務員のような真似はしなかったが、かと言って30分でやろうとも思わなかった。

 もちろん、銀行全体の収益力が向上すれば、それは巡り巡って従業員への還元、つまり基本給のアップという形で1人1人に給与収入の増加をもたらしたのかもしれない。しかし、それは約束されない希望(理論)でしかない。目の前の確実な残業手当にはかなわないのである。かくして上(経営)で笛吹けど、下(現場)では踊らないという事態が発生する。いくら「収益力が向上すれば給料が上がりますよ」と言っても個々の心には響かない。傍から見れば、時間外の削減は「早く帰れるというメリットもあるのになぜ反対する(実行しない)のだろうか」となるわけである。

 また、自分の経験からいくと、「思ったように考えは伝わらない」ということもある。我が社でも「これはいい」と思ったアイディアが通らないことはよくある。「こんなに説明してもまだわからないのか」とか、「何でそんな風にひねくれた解釈をするのか」ということは日常茶飯事である。そこには「伝え方」の問題と「理解力」の問題とがあるが、こればかりはいかんともしがたい。特に「伝え方」は何とかなったとしても「理解力」だけはどうにもならない。大阪でもそういうことがあったかもしれない。

 まぁ、都民の立場から詳しくわからないことをあれこれ論じるつもりはないし、きちんとした分析は専門家がきっといくらでもしっかりやってくれるのだろう(新聞には乗らないけど)。そんなことに立ち入るつもりはないし、わかった風なことを言うつもりもない。ただ何となく身の回りの事象に当てはめて考えてみると、そんなことを感じたりするのである。

 それにしても、私はと言えば、今は中小企業と言えども役員待遇なので時間外手当はない。したがって自由に働けているという感覚である。昔は、時間外手当と言っても青天井ではなく、「年間上限360時間」という法律の縛りがあったから大変であった。何とか超えないように四苦八苦し、年間の時間外労働時間が「359時間50分」という時もあった。ただでさえ忙しいのに、そんなところにも気を回さないといけなくて、それが労働者保護になっているのかどうか疑問に思ったものである。

 最期はわき道にそれてしまったが、大阪府民の今回の決定が良かったのか悪かったのかはわからないが、つらつらとそんなことを思い出しながら考えてみたのである・・・



【本日の読書】



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