2009年7月28日火曜日

食育

我々がある人間を憎む場合、
我々は彼の姿を借りて
我々の内部にある何者かを憎んでいるのである。
                    ヘルマン・ヘッセ
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夏休み中でもあり、家族で旅行に行った。今年は少々経済状況も悪く、近場でのレジャーだ。見知らぬ土地で他人と多く接すると、どうしても考え方とか習慣の違いとかが目に付くようになる。他人は他人であり、あまり意識はしないようにしようとは思うのだが、堪えきれぬ部分はブログに綴る事にする。

夏のレジャーは何といってもプールだ。プールに入ると4歳の長男は頻繁にトイレに行く。自分が同じ年頃の頃は「真面目に」トイレに行ったかなぁと考えると、長男は「真面目」だ。そうして出てくる時はトイレのサンダルを揃えて出てくるようにさせている。しかし、トロトロとサンダルを揃えている長男の横を大人がサンダルを脱ぎ散らかして出て行く。何も感じないのだろうか・・・

唖然としたのは夕食時だ。我が家はバイキング好きだ。子供たちに注意している事は、「食べられる分だけ取りなさい」という事。バイキングは好きなものを好きなだけ食べられる。逆に言えば残さないで食べられるという事である。

我が家の隣のテーブルに座った一家。最初から視線を惹き付けられた。とにかくテーブルにお皿を山のように並べている。食べているお母さんも、体型はと言えば「蹲踞(そんきょ)」が似合いそうな体型だ。うっかりハグなぞしようものなら、横から見たら「がっぷり四つ」に組んでいるように見られる事必至だ。食欲も横綱級なのだろうなと見ていた。

さてそんな家族が帰ったあとのテーブルを見ると、山のようなお皿のそれぞれに食べ残しがあれこれと・・・取るだけ取って食べるだけ食べて、あとはいらない、そんな食べ方だったのだろうと思わせられた。子供なら勢い余って取り過ぎたという事もあるかもしれない。だが大人自らがそういう事を、たぶん意識もしていないのだろうが、やっているのを見るのはあまりいい気がしない。

日本には「もったいない」という文化がある(ハズ)。経済大国になって食べるものや着るものやその他諸々の事に不自由しなくなったのは確かだが、だからといってモノを粗末にしていいというものではないと思っている。特に食べ物についてはそう思う。

アメリカに行くととにかくそのスケールには圧倒される。レストランでも「こんなに食えるか」というくらい大盛りで出てくる。ロスに初めて行った時、夜食用に軽く「おつまみ」程度に頼んだシーザーサラダが山盛りで出てきて、夫婦で目をシロクロさせて食べた記憶がある。アメリカに肥満人が多いのも当然だ。

ステーキを頼んだ時も、出されたステーキをみて「全部食べられるだろうか」と焦った。
ふと見ると隣の白髪の老夫婦も同じものを頼んでいた。あんな爺さんでも食べるのか、と感心していたら何の事はない、しっかりと残していた。「残せばいい」という価値観は、飢えをしらない歴史と無関係ではないのだろうが、私には理解不能だ。

自分たちの価値観こそが正しいとは言わないが、食べ物に関してはいまだに地球上では餓死者が存在するだけに、もう少し意識変革が必要なのではないだろうか。
世の中を変える第一歩はまず我が家から。
そう思って子供たちに対する「食育」はしっかりやっていきたいと思うのである・・・
    
    

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