2009年7月1日水曜日

選挙権

 だいぶ選挙の事が話題になってきた。自民党も今回はそうとう危ないだろう。個人的には2大政党時代の到来を期待していたし、民主党の躍進は期待すべきところなのであるが、肝心の民主党はというとどうもやる事なすこと心もとない。政権取ってもすぐ失速、そんな気さえする。ではと言って他を見回してみると、それ以外の政党はというと、宗教政党は趣旨に合わないし、共産党や民社党は論外中の論外だし、消去法でいくと何も残らない・・・
実に絶望的な状況である。

 それはさておき、選挙となるといつも気になる事がある。それは投票率の低さだ。私は選挙権を得て以来、ほとんどすべての選挙に行っている。旅行と重なった時は不在者投票までした事もある。だが、はたしてどれほどの人が毎回きちんと投票に行っているのだろう。最近では投票率が50%を下回る事も珍しくもない。非常に嘆かわしい。

 なぜ投票率が低いのか?
確かにアメリカの大統領選挙みたいに国を挙げて盛り上がる事もないし、入れたくなるような政治家も政党も少ない。入れたって入れなくたって何も変わらない。選挙に行く気がしないというのもわかる。しかし投票率が少ない根本的な理由は、そうした「選ばれる側」の問題ではなく、むしろ実は「選ぶ側」の問題だと思う。簡単に言えば「当然に与えられたものは大切にしない」という精神だ。

 父が小学生の頃、実家はかなり貧しかったそうである。いつもぞうり履きで学校に通っていたらしいが、ある時教室のゴミ箱に使い古した鉛筆が捨てられていたそうである。たぶん裕福な家の子が使い終わって捨てたのだろうが、その長さは父にすると十分使える長さであったそうである。拾いたくてたまらなかったが、周りの目を気にして拾うのにかなり時間がかかったそうである。

 父の実家の近所の住職さんは同じノートを端から端まで上下変えて3度使ったそうである。最後にはそのノートはまっくろになったという。物がなかった時代、手に入らない時代だからこそ徹底的にあるものを大事にした。今は物が溢れかえり、何でも簡単に手に入り、簡単に捨てられる。セブンイレブンが話題になっていたが、コンビニは時間が過ぎればまだ食べられる弁当を廃棄処分にする・・・

 選挙権だって今の完全な普通選挙の歴史は100年もない(日本では1945年から)。選挙権を巡って血を流した時代もそんなに古い時代の事ではない。そんな代償である選挙権も当たり前のように与えられれば、やがて見向きもしなくなる。20歳になって初めて選挙権を手にした時の感動もすぐに忘れ去る。「入れたい政党や政治家がいない」というのはただの言い訳で、これこそが投票率が低い真の理由だと思う。

 だから投票率を上げようと思ったら、実は簡単だと思う。例えば3度続けて棄権したら選挙権停止とでもすればいいのだ。そして復権するには、講習を受けて誓約書を提出するといった障壁をつくれば、たぶんみんな選挙に行くはずだ。失うとなれば、大事にしないものでも惜しくなるのが人の常だからだ。

 日本人はみな贅沢に慣れ、ブクブクと太ったブタの如きである。飢えていた時代から学ぶことに目を背け、身の回りに溢れるものの一つ一つがいかに大切なものかを忘れ去ってしまっている。失って初めてその大切さに気付くなどという事は嘆かわしい事だ。今の時代に生きられる幸せは当たり前の事ではない。それを築き上げてくれた先代に感謝すべき事なのだ。

 考えれば考えるほど絶望的な選択肢ではあるものの、今度の選挙もきちんと己の権利であり義務である一票を投じたいと思うのである・・・
    
    


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