2024年8月11日日曜日

夏休み

 先週、夏休みが終わった。今の会社も夏休みは交代で取ることになっていて、毎年のことだが、どこへ行くにも激混みとなるお盆を避けての取得である。前職では、転職時にお盆に夏休みを取得した事があるが、それは会社全体でこの時期に休みを取るというものであったためにやむなく従ったのであるが、元々アマノジャッキーな私としては我慢ならず、翌年から交代制にしようと主張して会社の制度を変えてしまったという過去がある。そうして今年もお盆を避けて休みを取ったという次第である。

 思い起こしてみれば、昔は「休むことは悪」という風潮が世の中にはあったが(何せ「24時間戦えますか」の世の中であった)、今はそういう風潮はほとんどないと言える(少なくとも私の周辺では)。いい時代というか、昔が異常であったと言える。銀行員時代、夏休みはもちろん交代で取っていたが、毎日1回は職場に連絡を入れなければいけないというルールがあった。休み中の本人に聞かないとわからない事があった場合のためというのがその理由。私はこれが嫌でたまらなかった。

 今考えても当然であるが、休みは従業員としての権利であり、心身ともにリラックスするために、休みの日は仕事を離れてのんびりできる期間である。しかしながら、休む事が悪という風潮にそれは反している。その根底には、「休んでも周りに迷惑をかけないようにしなければいけない」という雰囲気があった。ちなみに今は「おかげさまとお互い様」を合言葉に、「休む人が気持ちよく休めるようにすれば自分も気持ちよく休める」という精神を部下には強要している。当時の風潮に対する反発である。

 銀行の主任時代だったが、反抗的な私はその夏海外旅行へ行った事もあって、あえて休み中に電話を入れなかった事がある。海外から高い国際電話をかける気にはなれなかったのである。すると、なんと日本の職場からホテルにまで電話がかかってきたのである。呼び出しを受けて、何かトラブルがあったのかと慌てて電話を取った。すると「連絡がないから」と言う。ついでのように事務的な質問をされたが、私も本部の事務部門に聞かないとわからない。「こちらで聞きますか?」と嫌味のように返したが、さすがにそこまでは求められなかったが、旅行気分をぶち壊されたのは言うまでもない。

 今も私と同世代の人間には、「休むのが悪」という雰囲気は根強い。我が社の社長のように「仕事が趣味」となれば休まないのも理解できる。そういう人はいいと思うが、私は今でも「休む派」である。もう子供も大きくなれば家族旅行という事もなく、休んでも何をするのかと問われると痛いところだが、それでも普段平日にしかできないことをしたり、今年は家族にも黙って都内のアパホテルで1人過ごしたが、エアコンの効いたホテルの室内でのんびり映画を観たりドラマを観たり、ネットサーフィンをしたりと過ごし、大浴場に浸かったのはいいリラックスタイムであった。

 もっとも私も完全に頭の中をオフにしたわけではない。取締役として仕事には責任を持っているが、今はスマホで会社内のやり取りが見えるし、メールチェックもできる。合間合間に確認する事で、「何か起こってないか」と案じる事もなく、チェックする事で逆に安心を得られたという効果もある。あの時もスマホとチャットツールがあれば、お互いストレスなく海外旅行を楽しめたかもしれない(ただあの時はそこまでしたいとは思わなかったと思うが・・・)。

 世の中の進歩は、確実にいい方に向かっていると思う。時代の風潮や技術などの恩恵も大きい。今は銀行ではどんな働き方をしているのだろうかとふと思う。働くのが苦行だったのは過去の事になったのだろうか。私も仕事が趣味ではないが、安定した望み通りの生活を送るためにも仕事で成果を上げる事は必須であり、そのためにこそ頑張ろうと思う。夏休みは十分リラックスできたし、また来年の夏休みを楽しみに、1年間楽しく働こうと思うのである・・・


นิธิ วีระสันติによるPixabayからの画像


【今週の読書】

歴史学者という病 (講談社現代新書) - 本郷和人  父が息子に語る 壮大かつ圧倒的に面白い哲学の書 - スコット・ハーショヴィッツ, 御立 英史




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